(6)広陵高時代の恩師・中井監督インタビュー

2011.09.20
(6)広陵高時代の恩師・中井監督インタビュー
 野村の野球人生を語る上で、高校時代の07年の甲子園決勝は欠かせないだろう。8回に逆転ホームランを浴び優勝を逃した劇的な一戦。今や、その悲運さを感じさせないほどの活躍を見せているが、この経験が彼の糧になっていることは間違いない。今回はその高校時代の監督、野村も「最高の恩師」と信頼を寄せる広陵高・中井哲之監督にお話を伺った。

―中井監督―

・野村さんの大学での活躍は率直にどう思われますか
――誰にも負けないという努力をしたのだろうと思いますね。あんな顔して負けず嫌いで気が強いので。

・これほどの活躍は予想していましたか。
――全然予想していないですね。

・高校時代はどういう投手でしたか
――フォアボールが少ない、勝てるピッチャーでした。野村より速いボールを投げる選手は教え子にもいっぱいいるが、野村はそれでもゲームメイクできる。研究熱心で自分の中で投球術・理論を持っている。自分をよくわかっている。自分はこういうピッチャーだからこうすれば勝てる、こうしたらダメという感覚がよかった。1つ上に吉川(光夫投手・現日本ハムファイターズ)というドラフト1位のピッチャーがいたが、その吉川がブルペンにいるときは「自分は今日はいいです」(野村)と言って投げませんでした。横で投げると、吉川のような速い球を投げたくなり、つられてフォームを崩すからと。そういう感性のいいピッチャーですね。自分の中でビジョンを持っていると思います。

・07年の決勝については
――準優勝後、宿舎のインタビューで僕の隣に野村がいました。野村が一番ストライク・ボールというのをわかっていたと思う。いろいろな思いがあったと思うが、言っちゃいけないことを僕が代弁してしまった。野村は隣で号泣していました。自分たちのことを考えて言ってくれたというのは野村たちもわかってくれたと思います。大人として監督としてやっちゃいけないことを実践してしまったので、横で聞いていてずっと泣いていました。常々、勝ったのは選手のおかげ、負けたのは監督のせいと言っていましたから。あれは死闘でしたね。

・その経験が生きていると本人も言っていますが
――経験を武器にできる子。進路を選ぶ時、彼は本当は早稲田に行きたかったけど縁を頂けませんでした。たくさんの大学から声を頂いていたけどどうしても早稲田を倒したい、対戦したいと言って明治を選びました。そういうところに男らしさや強さがあると思います。決めたことをやり通せるハートの強さがありますよね。

・大学へ進学するにあたって何かやりとりは
――「早稲田にだけは絶対負けません、それをバネに夢を実現します」と言っていました。早稲田に絶対勝ってプロ野球に行きますというメッセージだったと思います。

・今でも連絡はとられていますか
――よくとっています。礼儀も正しくて、シーズンが始まる時、キャンプに行く時、オフに帰る時など事あるごとに報告の電話や学校へのあいさつをしてくれます。そういう部分はびっくりするぐらいきちんとしていますよ。

・高校時代印象的なエピソードは
――僕の前では優等生だったから、問題は特になかったけど、春の選抜の後に練習用のユニフォームの背番号にずっと「6」を付けさせていたことがあります。理由は選抜の準々決勝(帝京戦)で初回に6点を取られたからです。立ち上がりに大量失点するとチームが勝てないのだよという意味を込めて「1」を付けさせるところを、春からずっと「6」を背負わせて生活させました。
 あとは口にボールが当たったことがあってすごく腫れていたから「ペリカン」というあだ名をつけて呼んでいました(笑)。腫れても練習を休むことなくやっていたのも思い出しますね。

・野村さんの大学でのピッチングは実際に見られますか
――広陵が出た時の神宮大会などで見たし、オフにも高校に来てピッチングをしているから見ますよ。高校に比べて体は大きくなったけど、大学球界においてもプロを目指すにも小さくて細い。パワーピッチャーじゃないので、体幹をしっかり鍛えて、枝葉をなびかせて、体をしならせることを求めろと言っています。自分の中で求めている「こうなりたい、そのなるためにはこれが必要」と考えて実行していますよね。

・変化を感じた点は
――ベースの上でのスピードや変化球のキレは全然違います。「こんなふうになるんやね」という感じ。自分の預かった選手は低く見るけど、野村は「すごいなあ」と思います。大人のピッチングをする。余裕があるし、ポイントをおさえて、強弱付けてゲームをつくれていますね。

・昨秋は野村さんと土生さん(早稲田)で投打のタイトルをとることがありましたが
――監督としてもうれしいし、学校・野球部としてもうれしいです。オフになれば母校に足を運んで指導もしてくれるので後輩も喜びます。取り組み方や技術的な話もしてくれます。土生は「六大学で一番いいピッチャーは野村です」、野村は「六大学で一番いいバッターは土生です」とお互いがいないところで言っています。ライバルというか、あいつには負けないと言いつつも認め合っていますね。高いレベルでもっともっと切磋琢磨していってほしいと思います。

・野村さんが土生さんにサヨナラを浴びるという直接対決もありました
――やっぱり意識するみたいですね(笑)。「明治は戦力が残っているので明治の方が強いです」と野村から聞いています。早稲田の土生もキャプテンになって、「昨年のようには戦えないので泥んこになってやっている」と聞きます。2人の対決をみられる私は幸せだと思います。周りも応援してくれて、楽しみにしてくれる。教え子の活躍は頑張る材料になりますね。

・この代に特別な思いはありますか
――あと一歩で優勝のところで負けた悔しさを、色々な場所で発揮している選手が多いと思います。バネになっているのではないでしょうか。こちらも感じるところは大きいですね。

・毎年広陵高から選手が進んでいますが明大野球部の印象は
――甲子園出場を問わず全国から良い選手がたくさん入ってきている印象です。野村などお世話になっている教え子からは「抑えつける指導ではなく自分たちで考えてやっている」と聞いています。チャンスをつかむもあきらめるも自分次第。そういう点は広陵と似ているのかなと。自主練習もできるし、野球できる施設・環境もととのっているから野村からも「ぜひ明治に良い選手来さしてください」と言われます。後輩にも「明治いいぞ、六大学なら明治がいい」と彼が言って、いい循環が生まれていると思います。

・将来的にどういう投手になってほしいですか
――野村がもう4年なんてはやいですね。本人はプロ野球に行くつもりなので、結果を出して上位指名という最高のイメージをして頑張っていると思います。夢が実現しても「野村という選手がプロ野球選手だった」と言われる選手になってほしいですね。

・「野村という選手がプロ野球選手だった」というのは
――プロ野球選手の野村が好きではなく、野村という人間、野村と言う男をいいなと思ったら、たまたまプロ野球選手だったり、明大のエースだったり、そういう愛される選手になってほしいです。「野村かっこええの、なにしよるん?」て聞いたら「ちょっと野球を」というそういうおしゃれなのを理想としています。野球がうまいイコール偉いともすごいとも思わない。プロとしても人生も成功してほしいですよね。

・野村さんにメッセージがあれば
――たくさんの方に応援してもらっているとも思うので、ありがとうの気持ちを忘れずに精一杯努力してほしいです。結果は後からついてくる。好きな野球を思い切り楽しんでもらいたいなと思います。