
(4)ここぞの場面で必要とされる人間になりたい/西翔

学生最後の春季リーグも終盤を迎えた日、西は口にした「おれ、もう(野球部を)辞めるから」。普段なら明治のユニホームを着てベンチにいるはずの西が、野球部の正装姿でバックネット裏から法政2回戦を観戦。その目は遠いところを見ているようだった。
2007年4月、明大野球部の門をたたいた。東邦高校の先輩だった岩田慎司(平21営卒・現中日ドラゴンズ)の勧めもあって野球部のセレクションを受験。「野球は限界までやると決めていた。だから(自分の力の)ギリギリの世界に挑戦したい」と意気込んでスタートを切った。しかし甲子園を沸かせた球児が集まる明治のレベルは高いため、簡単にはベンチはもちろんAチームに入るのも至難だった。ただ「バッティングでは勝負できるはずだ」と自信を失うことなく練習に励んだ。そしてオープン戦でも高打率を記録し、見事3年の秋にベンチ入りを果たす。代打や守備固めでも出番が回ってきたら必死だった。と同時に「いいプレーをしてレギュラーになりたい」と試合に出るために目立ちたいという気持ちが先行し始めていた。
4年生になり春前のオープン戦では打てないと不調を感じつつもベンチ入りを果たす。が、「一人一人がチームの勝利ために」というチームに求められる姿勢にプレッシャーを感じるようになった。チームに貢献したい一方で結果が出ず力になれない自分にいらだち始めていたからだ。そんなときにベンチを外された。学生最後の年の不調は一層西に追い打ちをかけ、練習に身が入らない状況に陥った。すると勝負の世界である以上、練習しない選手は必要とされないためAチームからも外されチーム練習を傍観するだけになってしまった。「あの時はさすがに辛くて泣いたな」と今振り返ると微笑ましいエピソードも、その時は居場所を失った思いだった。
しかしそこから這い上がった。一度辞めると宣言はしたが、思った以上に周囲からそれを惜しむ声が掛けられた。両親にも「今はやりたいことをやりなさい」と言われ奮起。「おれは一人で野球をやっているんじゃない。家族や友達のためにも形あるもので何か残さなきゃいけない」と再起を誓い、明大グラウンドに戻ってきた。だがすぐに立ち直ったわけではなかった。Aチームには帯同するようになるも、起用されない苦しい日々が続く。そこで西は「Bチームでもいいから使ってほしい」と黒岩学生コーチ(商4)に訴える。プライドを捨て、チームのために何ができるかを真剣に考えたことが評価され、やがてオープン戦に使ってもらえるようになった。そしてリーグ開幕直前には、わき目も振らず「チームが負けているとき、勝ち越しの場面、みんなが打ちあぐねているときの一本。チームための一本を目指す」と決心した。
今は西自身が野球を楽しんでいる。東大戦を終えて6打席6安打で打率は10割。2カード目では先制ホームランを放ち、その日の明治に波を寄せた。「大きいのは狙っていなかったが、打ちどころが良かったからホームランになっただけ。なんとかチームの一本を出したかったから素直にうれしい」と大きな声で言う。連続打席出塁と連続打数安打の六大の記録更新も気になるところだが、今の西には記録更新が目標ではない。「必要とされる人間になりたい」。明治のユニホームを着て戦う最後のリーグ戦で頂点に立ち、4年間ときに争い、共に闘った仲間のために一日でも長く野球をしたい。西は今、誰よりも強くそう願っている。
◆西翔 にししょう 法 東邦高出 177㎝・77㎏ 右/右
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