(1)紙面に載せられなかった善波監督秘話を大公開

1999.01.01
(1)紙面に載せられなかった善波監督秘話を大公開
 今年のスローガンは「結心」~紫魂を胸に頂点へ~ですが、わたしたちの時代はスローガンなんてありませんでしたね。それどころではないです(笑)あるとしたら、監督の口癖の「なんとかせえ」とかですかね。あの言葉のおかげで、自分で考えてプレーができるようになりました。

 昔は今とはだいぶ違って、サインが相手にわかるくらい簡単なものでした。法政でキャッチャーだった木戸(現・阪神タイガースヘッドコーチ)さんにサインがばれて「バントのサイン出ているけどバント出来るのか?」とか言われたことがあります。また、3年生時の明治対法政の優勝決定戦でスクイズのサインが出た時の話です。島岡監督からスクイズのサインが出た時に法政の内野陣がマウンドへ集まって話し合いを始めました。試合のあと法政の人に聞いた話では「スクイズのサイン出たけど、どうする?」という内容の話し合いをしていたそうです。その時はなんとか先制点となるスクイズを決めることができました。

 あと、一番印象に残っていることは、食事に行った時の話ですね。島岡監督と食事に行くと、監督の許しを得るまで食べ続けなくてはいけなかったです。つつじヶ丘の吉野家では牛丼を5杯食べないと許してもらえなかったです。しかも、食べきらないと合宿所を追い出されることもありました。だから必死になって食べたのを覚えています。でも、監督と食事に行けるのは結果を出した選手や、期待されている選手だけなので、喜ばしいことでもありました。

 合宿所を追い出されると言ったら、エラーやバントの失敗をすると高い確率で合宿所を出されていましたね。私も1年生の時のノックのとき三塁に暴投してしまい、合宿所を追い出されてしまいました。でも、翌年の1月に無事寮に戻る許しを得ました。

 そんな厳しい監督でしたけど、1度だけ(監督の)子供のようなかわいい笑顔を見たことがあります。あれは、私が4年の時の日米大学野球から帰ってきたときの話です。お土産としてブランデーとおもちゃのようなドジャースのヘルメットを買って帰ってきました。そして、まずブランデーを渡したら、「ブランデーなんていらねぇよ」と一喝。せっかく買ってきたのにと、思いながらももう一つのヘルメットのお土産を渡したところ「そうだよ、これだよ」と見たこともない笑顔でとても喜んでくれましたね。

 当時に比べて、今は環境が良くなりました。やる気になればどこまでも伸びると思います。昔は朝5時からずっと練習やっていたので、今と比べてやらされている感じはありました。しかし、今はやらされているという感覚になってほしくないと思っています。今は選手にキメの細かいトレーニングをしてほしいということで、ジムでトレーニングを行っています。それは自分で選択して色々なトレーニングができるようにしています。(今の選手たちは)それなりに体ができているので良い方向に向いていると思います。そのようなことを通じて、選手たちには自分で自分の管理ができるようになってほしいですね。(談)

◆善波達也 よしなみたつや 昭60文卒