(13)ラストシーズンに懸ける思い~岩田慎司~

1999.01.01
 2008年4月19日。東京六大学野球春季リーグ開幕戦。開幕投手に指名されたのは岩田(営4)だった。岩田は初の大役だったが、6回無失点の好投を見せた。開幕前、エースは岩田と言われてはいたものの、下馬評では「明治は今年はピッチャーがいない」と決して評価は高くなかった。「悔しかったけど、それで自分も発奮した」という岩田。開幕戦以降も主に第1戦に先発、ときにはリリーフのマウンドに立つこともあった。結局15試合中13試合に登板し4勝、防御率0.95の成績を収め、8季ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。MVPにも選ばれ、岩田は名実共に明治のエースとなった。

 1年春に早くも神宮デビューを果たした。その後も好投手が多く揃う明治の投手陣の中でも登板機会に恵まれた。だが初めてベンチを外れた2年秋から徐々に歯車が狂い始める。3年の春先には、右肩の棘上(きょくじょう)筋腱部分断裂というケガに見舞われた。「やっと上級生になってこれからだって時に、野球ができないのは本当につらかった」。それでも岩田は腐らなかった。「もう一度野球がしたい――」その思いを胸に1カ月半、できる限りの努力を続けた。その甲斐もあって肩の状態は回復したものの、事態は好転しなかった。3年秋には再び神宮のマウンドに立ったものの、思うような結果が出ない。そしてそのまま、今まで投手陣を支えてきた久米(平20農卒・現福岡ソフトバンクホークス)、古川(平20理工卒・現読売ジャイアンツ)ら4年生が引退。いよいよ岩田は最上級生となり、ついていく立場から、下を引っ張っていく立場へと変わっていった。

 最上級生となった岩田はピッチャーリーダーに就任。「4年生が抜けて、自分がやらなきゃいけないというのはあった」。善波監督も開幕前から「岩田を柱に」と言い続けていた。そして春、岩田は十分すぎるほどにこの期待に応えた。それに呼応するように江柄子(文4)、野村(商1)ら他の投手も奮闘し、チーム防御率は1.08をマーク。岩田にとっても、チームにとっても今春は最高のシーズンとなった。この活躍が認められ、岩田は世界大学選手権の日本代表に選出された。台湾戦で1失点完投勝利を挙げると、決勝のアメリカ戦でも先発し10回途中まで無失点と貫禄のピッチング。日の丸を背負っても岩田は自分の投球を貫き通した。

 そして33年ぶりの連覇を懸けて迎えたラストシーズン。2季連続開幕投手に選ばれた岩田だが、これまでに蓄積した疲労による練習不足で、勝利こそしたものの本来のピッチングとは程遠い内容だった。翌週の慶応戦でも思うように投球できず、そのままチームも連敗で勝ち点を落としてしまった。チームも、岩田自身も波に乗れないまま迎えた法政戦。ここで岩田は初めて1回戦の先発マウンドを野村に譲った。その野村はそれまでのチームの悪い流れを払しょくするかのような完封勝利。「1年生には負けたくなかった。4年生の意地を見せないと」と岩田は翌日の2回戦、同じく法政打線を完封し2連勝。「やっと100%に近い状態に戻ってきた。法政戦はとにかく結果が欲しかったので、ゼロに抑えられてよかった」。若い力に刺激され、岩田はようやくエースの姿を取り戻した。

 明治で野球をやってきて気づいたこと。それは「頑張ればいいことがある」ということ。これまで挫折も栄光も味わってきた岩田だからこそ、誰よりも努力することの大切さを知っている。1年間、チームのために身を粉にして投げ続けてきた岩田の学生野球もいよいよ最終章。今週末にはいよいよ天王山の早稲田戦を迎える。「全く勝てない相手じゃない。気負い過ぎないようにいつもの力を出せれば」。チーム33年ぶりの春秋連覇――それを体現できるかどうかはこの男の右腕に懸かっている。

◆岩田慎司 いわたしんじ 営4 東邦高出 181cm・80kg