(1)「引き継がれる藤田野球」

1999.01.01
 秋季リーグ戦が閉幕し、同時に藤田主将のチームも終えんを迎えた。下級生の練習環境を変えるなど、さまざまな部内改革を行ってきた4年生たち。彼らの1年間の軌跡について迫る。

第1回 『ありがとう』の精神。引き継がれる藤田野球

 10月30日、07年秋季リーグ戦が閉幕した。それとともに本学硬式野球部の4年生は引退となり、次代の3年生を中心とした新体制が始動しようとしている。身を削り、精根を使い果たしてもなお届かなかった「優勝」という2文字。早稲田の優勝が決まった瞬間、藤田主将(法4)はその事実を真摯(しんし)に受け止め、静かに口を開いた。「優勝はできませんでした。けれど、今年の明治は本当に良いチームだったと思います」。勝敗がつくスポーツにおいて勝利できなければ意味がないという人もいるかもしれない。だが、それでも優勝以上の価値を見出せるチームがそこにはあったように思える。

全員で野球がしたい

 1年前の新チーム発足時、「どのようなチームにしたいですか」という本紙記者の質問に、藤田主将は間髪入れずに答えた。「試合に出ている選手も、出ていない選手も、勝ったり負けたりで笑ったり泣いたりできるチームにしたい」。一見、理想論にも思える回答。なぜなら、本学には部員が100人以上もおり、全員が試合に出られるわけではない。ほとんどの選手が高校時代にベンチウォーマーさえも経験したことがないようなスター選手ばかりで、他選手の活躍を素直に応援できるかといえば難しい。それは藤田主将も分かっていたことだろう。しかし、あえて「理想のチーム」の実現に挑んだのには、特別な理由があった。
 それは04年春に本学が優勝したときのこと。当時1年生だった藤田主将は優勝パレードで、あることに違和感を覚えた。メンバー外の4年生や学生コーチはオープンカーに乗せてもらえず、車の後ろを歩いていたのだ。サポートしてくれてきた選手たちの扱いを見て、「自分たちの代が4年生になって優勝したら、メンバー外の4年生と学生コーチを、オープンカーの1番前に乗せてあげたい」と1年生ながらに決意した。

 そしてその2年半後、いよいよ最上級生となり新チームを結成。その思いは同期の4年生にも波及していく。まず、彼らは下級生の練習状況を変えることから始めた。練習中は上級生のサポートをし、練習後は上級生の練習着の洗濯などで自主練習ができないという明大野球部の伝統的体質。歴代の選手たちは誰もが「自分が上級生になったら、下級生が練習できない環境を変えたい」と考えてきた。だが、いざ上級生になると自分たちが下級生時代に苦労したという背景があるため、その環境を変えたくない。上級生の立場に甘え、自分たちの代で変えるのがつらいために改革から逃げてきたというのが今までの野球部の歴代の選手たちだった。だが、藤田主将らは「自分たちが優勝したいなら、自分たちが苦労しよう。自分たちが犠牲になろう」とスローガンを掲げ、練習では率先してグラウンド整備などを行い、下級生も同じ練習ができるように理不尽な上下関係を取り払った。
 その4年生の思いはチーム全体に浸透し、下級生は皆、口をそろえて「藤田さんが言うならやろうという気持ちになる」(小道・法2)と言う。また、「今まで試合に出ている上級生を応援する気にはなれなかったが、新チームになって初めて応援したいって思えるようになった」(池田・法3)。過去に、これほど下級生が上級生に対して感謝の念をもつことがあっただろうか。下級生は上級生がいるから練習できないという状況下で、上級生を応援する気持ちになれるはずがなかっただろう。お互いが感謝の気持ちを持つことができれば、チームは一つになれるということを藤田主将たちが教えてくれたのだった。

改革を支えた4年生

 この1年間さまざまな改革を行ってきたが、これらが成功した根底には、試合に出られなくともチームをサポートしてきた4年生と、学生コーチの存在があった。「試合に出て打って貢献できたらなって思うけれど、自分にはできない。けれど声出しならいつでもできる」(松井・文4)と常にチームを盛り立てる。またどんな形でもいいから貢献をしたいと考え、練習で自らバッティングピッチャーを買って出る4年生もいた。決してスポットライトを当てられることがない裏方の仕事。神宮で観客が目にするのは試合に出ている選手のプレーだけかもしれないが、本当の殊勲者は彼らだったのではないか。

 そしてもう一つ、このチームを象徴するエピソードがある。今年の春季リーグ戦が開幕し、試合に出場するメンバーが寮を出発してバスでグラウンド横の斜面を降りていく最中、車中の選手がグラウンドの異変に気づいた。なんと、グラウンドにはメンバー外の選手たちが「NO.1」という人文字を作っていた。発案者は4年生の学生コーチ。試合に出ることができないのならば、自分たちにできることは何か。せめて背中を後押ししたいという気持ちの表れだった。

次世代へ伝えるべきこと

 4年生が行ってきたのは改革だけではない。「下級生に自分たちの財産を伝えること」(田中学生コーチ・政経4)も行ってきた。古川(理工4)は下級生の左投手を集め、左独自のフィールディングを伝授。水田(文4)も同じタイプの下級生投手に声を掛けて走り込みをするなど、自分たちの「経験」を惜しまず後輩へ伝えた。「今は下級生から、教えてくださいと言ってくるまでになった。以前までは考えられなかったこと」(田中)。4年生の神宮での経験を下級生に伝えたことは、新チームに必ずつながっていくはずだ。

 4年生の改革は、春秋共に優勝という形では実を結ぶことはなかった。だが、藤田主将の代から次世代へ引き継いでいってほしいものがある。それは、「常に感謝の気持ちを持って野球をすること」だ。
 「自分たちはこのボールパークで毎日練習ができた。けれど、これは当たり前のことではないんです。試合に出られなくともサポートしてくれる4年生や下級生、学生コーチの支えがあってこそメンバーは神宮で最高のプレーができる。すべての人たちに常に感謝の気持ちを持つことを忘れてはいけないと思います」。学生コーチに、下級生に「ありがとう」。藤田体制発足から約1年、藤田主将がグラウンドでこの言葉を口にしなかった日は1日もなかった。
 大改革を行い、それを1年間つらいながらも継続してきた4年生たちは明大野球部を卒業する。だが、残る下級生たちにはこの1年間で受け取った感謝の気持ちと精神を、忘れずに引き継いでいくことを願いたい。