(2)自覚と感謝の気持ち 川嶋仁徳

1999.01.01
(2)自覚と感謝の気持ち 川嶋仁徳
 川嶋は高校2年の春、第75回選抜高等学校野球選手権大会出場に出場。川嶋の花咲徳栄高は、甲子園全4試合のうち3試合が延長。また、そのうち2試合がサヨナラ勝ち。3回戦の東洋大姫路高戦では、球史に残る引き分け再試合を演じるなど、まさに“粘りの徳栄”を見せた。日本中を沸かせた快進撃の数々。結果はベスト8だったが、その内容の濃さはどのチームにも負けない。そしてこの価値あるベスト8の中で、川嶋の存在は不可欠なものだった。

 川嶋は幼い頃、誰もが憧れるプロ野球選手を目指していた。しかし中学2年のとき、進路に悩んでいた先輩が高校で野球を続け、甲子園を目指すというのを聞いた。「自分も目指そう!」。彼はプロよりも前にある“甲子園”という夢を見つける。そして中学3年の夏、地元埼玉県の代表として花咲徳栄高が甲子園に出場。その翌年、彼は自分の夢を実現させるため花咲徳栄高野球部に入部した。

 川嶋は1年の秋にレギュラー獲得。努力を重ね、自ら夢への道を切り開く。そして2003年春、花咲徳栄高の甲子園出場が決定。彼の夢がかなうときが来る。チームは全国で勝てる野球をつくりあげ、川嶋自身も「初球から振っていく!」と、モチベーションは高かった。さらに2年生ながら打点がチーム内でトップタイ、と勝負強さを見せる。中でもグエン・トラン・フォク・アン(現東芝)やダルビッシュ有(現北海道日本ハムファイターズ)ら豪腕を相手にしての勝気なバッティングは、彼の心の強さを物語っていた。夢の大舞台、甲子園での緊張は少なかったという。それは日々の厳しい練習が大きな自信となり、何よりも「好きな野球なんだから楽しくやるだけだ」という気持ちが大きくあったからだ。

 甲子園で学んだことは二つある。まずは“自覚”。甲子園に出場し有名になるということで、常識ある行動が求められる。そして、私生活の中できちんとした行動を心がけるようになった。第二に「甲子園に連れてきてくれた先輩への感謝」と「ピンチの時に声を掛け合う大切さ」。周りの人への気配りなど、技術に関してよりも人間的に学ぶことの方が多かった甲子園であった。

 大学は「神宮でやれるから」と明治を選んだ。その3ヵ月後、神宮での川嶋の姿は新人戦で見られた。しかし、「やっぱりリーグ戦で出場しないと!」と彼の目標はもっと高くにある。目標を神宮に変えても彼の“楽しむ野球”は変わらない。川嶋が野球を好きだという気持ちは変わらないから。そんな彼の活躍が楽しみだ。リーグ戦で一日も早く、彼の姿が見られるのを期待したい。

●甲子園こぼれ話 ―土の行方―●

 「本当は持って帰らないつもりだった…しかしやはり持って帰りたい物。袋の中に入れて持ち帰った土はきちんと飾ってある。練習に身が入らないとき、これを見るとやる気が沸いてくるんだ。今でもこれを自分の励みにしている」。

◆川嶋仁徳 かわしままさよし 営1 花咲徳栄高出 177cm・71kg