(3)5度の甲子園出場 梅田大喜

1999.01.01
(3)5度の甲子園出場 梅田大喜
 高校野球の名門・明徳義塾高で、1年の夏からレギュラーとして甲子園に出場し、優勝という快挙を果たす。その後、春夏合わせて甲子園に出ること5回。大舞台の楽しさ、怖さは熟知している。そんな彼に甲子園について語ってもらった。

 ――1年生レギュラー!
 1年生のときのポジションはサード。ノックなどでは一番初めに、一番強い打球が飛んでくるし、1年生レギュラーとして、先輩の中に混じってのプレーは気が抜けないものでした。練習は厳しいし、つらかったですよ。体重もすぐに8キロ以上落ちました。その中でも、1年生らしく、声を出したりすること、また試合に出られない上級生の先輩を納得させるということを心掛けていました。

 ――あこがれの聖地・甲子園へ
 4月に入学して、夏の大会までの間。練習試合含めて52試合負けなしだったんです。そのまま甲子園に行っちゃおうぜ、という雰囲気があって、本当に出場できた。雰囲気や、もちろん打ったホームランは全て覚えています。ダルビッシュ有(現・北海道日本ハムファイターズ)など、同年代のライバルも印象深いですね。

 ――初めての…
 3年生の春には、捕手にコンバート。ワンバウンドの球を体で止めなきゃいけなかったりする、とにかく大変な役。十数年野球をやってきたなかで、初めてのポジションということもあって、一時は(野球を)辞めようかな…とも思ったんです。ところが、これで最後だ!と臨んだ試合で、投手を完封させて勝ってしまったんです。捕手の面白さを知りました。

 ――甲子園から神宮へ
小学校のとき、卒業文集とかに将来の夢って書くじゃないですか。「夢は東京の大学へ行くこと」って書いちゃったんですよね(笑)。また、自分は愛知県出身で、中日ドラゴンズファンでした。明治出身の先輩の存在(川上憲伸氏・平11政経卒 等) や、ちょうど(本学から)誘っていただいたということもあり、明治に決めました。

 ――甲子園とは・・・
 (春季リーグ戦で)初めて神宮でプレーしたときも、甲子園の経験があったからこそ、緊張しませんでした。大舞台での動き方も、分かっていました。高校球児のみなさんには、(自分の実力に)決して天狗になることなく、是非ガムシャラに目指して欲しい場所ですね。

●甲子園こぼれ話 ―土の行方―●

 1・2年のときは、「また来るぞ」という意味もあり持ち帰りませんでしたが、やっぱり3年の夏には、スパイクの袋に入れてもって帰りましたよ。実家で大事に保管しています。

◆梅田大喜 うめだひろき 政経1 明徳義塾高出 177cm・75kg