
(1)父とつながる夢舞台・神宮 大越遼介

2006年6月9日の東京六大学野球春季新人戦の対東大戦。大越遼介(政経1)は特別な思いでマウンドに立っていた。
高校時代は日大三高のエースとして甲子園に出場、1回戦は14奪三振の記録するなど甲子園を沸かせ、ベスト8まで進んだ。プロでも通用するであろうと多くの人が語る。しかし彼の進路はすでに決まっていた。
「神宮のマウンドで投げたい。それが、小さいころからの夢でした」。
神宮にはほかの選手にはない「縁」がある。父は元東大のエース。早稲田キラーとして名をはせ、東京六大学野球で8勝を挙げている。大越が1番最初に見た野球の試合も、父に連れられて観戦した東京六大学野球だったという。幼少時代から神宮の雰囲気を体験していた彼の目標が、神宮のマウンドに立つというものになるのも当然といえる。さらに日大三高に入るきっかけも、明治に日大三高出身の選手が多いからという理由だった。そしてその日大三高で、全国に名を轟(とどろ)かせ、明治大学入学を決めることになる。
入部当時は野球部の決まりに戸惑うこともあった。高校時代のやらされる練習から、自主的な練習へと移行し、その自主性に甘え、練習をサボってしまう選手もいる。だが、大越は違った。夜に行うランニング、室内練習など、自分で必要と思ったことは進んで行った。すべては神宮のマウンドに立つために。
大越の神宮デビューは新人戦に決まった。迎えた新人戦の前夜、善波コーチに登板を告げられる。相手は東大、父親のいた大学だ。デビュー戦が東大というのは、父と同期で仲のよい善波コーチのはからいだった。「正直うれしい。でも父親のいた大学と戦うんだってあらためて思うと少し複雑だったけど」。
大越は夢舞台でも、躍動する。直球、変化球ともにいつも以上のキレを見せ、東大は手も足も出ない。初登板とは思えぬ堂々としたピッチングを見せ、結果は2回無失点。父に誇れる結果だった。
今の目標は「1試合でも早く、リーグ戦に出ること」。そして「おやじを超えること。おやじは東大で8勝、だから自分はその倍くらい勝つ意気込みでいる」。神宮の申し子が父親を超える日も、そう遠くはない。
高校時代は日大三高のエースとして甲子園に出場、1回戦は14奪三振の記録するなど甲子園を沸かせ、ベスト8まで進んだ。プロでも通用するであろうと多くの人が語る。しかし彼の進路はすでに決まっていた。
「神宮のマウンドで投げたい。それが、小さいころからの夢でした」。
神宮にはほかの選手にはない「縁」がある。父は元東大のエース。早稲田キラーとして名をはせ、東京六大学野球で8勝を挙げている。大越が1番最初に見た野球の試合も、父に連れられて観戦した東京六大学野球だったという。幼少時代から神宮の雰囲気を体験していた彼の目標が、神宮のマウンドに立つというものになるのも当然といえる。さらに日大三高に入るきっかけも、明治に日大三高出身の選手が多いからという理由だった。そしてその日大三高で、全国に名を轟(とどろ)かせ、明治大学入学を決めることになる。
入部当時は野球部の決まりに戸惑うこともあった。高校時代のやらされる練習から、自主的な練習へと移行し、その自主性に甘え、練習をサボってしまう選手もいる。だが、大越は違った。夜に行うランニング、室内練習など、自分で必要と思ったことは進んで行った。すべては神宮のマウンドに立つために。
大越の神宮デビューは新人戦に決まった。迎えた新人戦の前夜、善波コーチに登板を告げられる。相手は東大、父親のいた大学だ。デビュー戦が東大というのは、父と同期で仲のよい善波コーチのはからいだった。「正直うれしい。でも父親のいた大学と戦うんだってあらためて思うと少し複雑だったけど」。
大越は夢舞台でも、躍動する。直球、変化球ともにいつも以上のキレを見せ、東大は手も足も出ない。初登板とは思えぬ堂々としたピッチングを見せ、結果は2回無失点。父に誇れる結果だった。
今の目標は「1試合でも早く、リーグ戦に出ること」。そして「おやじを超えること。おやじは東大で8勝、だから自分はその倍くらい勝つ意気込みでいる」。神宮の申し子が父親を超える日も、そう遠くはない。
◆大越遼介(おおこし りょうすけ)政経1 日大三高出 172㎝ 74㎏ 投手 左/左
多彩な変化球とコントロールが武器。高校時代、齋藤佑樹(早稲田実高)からホームランを放つなど、その非凡なバッティングセンスにも期待できる。
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