(2)MAX152km速球派右腕 松橋拓也

1999.01.01
 2004年、2005年夏の甲子園大会連覇の駒大苫小牧高で1年春からベンチ入りを果たした松橋拓也(商1)。2年の夏の甲子園準決勝・東海大甲府戦ではMAX147kmを計測し、一躍注目を浴びた。3年最後の夏の甲子園では、2回戦・聖心ウルスラ学園高相手に散発2安打、119球で完封するなど、駒大苫小牧高を2年連続優勝へと導いた。甲子園の地から神宮球場という新しい地へと、戦いの場を変えた松橋の心中に迫る。

雪上ノック

 ――松橋は高校時代、どのような練習をしていたのだろうか。
 
2004年、駒大苫小牧高が初めて大旗を北海道に持ち帰るまで、東北より北に優勝旗が渡ることはなかった。原因は大量の積雪でグラウンドが使えなくなり、練習ができなくなるためだが、駒大苫小牧高の香田監督は厳しい環境を利用し、シートノックの特訓を行った。凍結したグラウンドでは、ノックで飛んでくる打球の速度が増す。この練習によって、松橋含め駒大苫小牧高の選手たちは、甲子園で力のあるバッターの速い打球に対応できた。しかし、練習では「痛いのを通り越して、指先の感覚がなくなるんです。技術に加えて、根性を鍛える意味もあった練習でしたね」。

夢に描いた舞台

 ――2年の夏、3年の春夏、松橋は甲子園の地に立つ。
 松橋が初めて甲子園のマウンドに立ったのは2年の夏、準決勝・東海大甲府高戦。「試合の前日に登板を知らされて、その夜は緊張して眠れませんでした。甲子園は高校球児にとって夢の場所ですから…」。初の甲子園という大舞台での投球内容は3回3失点で途中降板と松橋自身としては満足のいくものではなかった。それでも子供の頃から夢に描いていた地に立てた喜びを噛み締めて投げ続けた。
 3年最後の夏、松橋は背番号「1」をつけて甲子園に再び登場する。「2年時の優勝とは違って自分たちが主役。やっぱり達成感が違いましたね」。8月20日、京都外大西高との決勝戦は5-3で快勝。人生で1番記憶に残る試合となった。「甲子園の土って、普通は泣いて持って帰ると思うんです。けれど、自分たちは笑って持って帰ることができました」。

野球の原点

 ――松橋が駒大苫小牧高の野球を通して得たものとは。
 スカウトによる球速の測定ではMAX152km。試合でもコンスタントに140km台を出す速球派ピッチャー。そんな松橋のスタイルを築いたのは、香田監督だった。「今、自分がここにいるのは監督がいたから。一から香田監督に育ててもらいました。本当に感謝しています」。

新たな地・神宮へ

 ――駒大苫小牧高から明治へ。
 松橋が甲子園を去って1年が経過した今年の8月、本学恒例の高森合宿で、キャッチャーミットに勢いよく速球を投げ込む松橋の姿があった。4年間の目標は「リーグ優勝に貢献したいですね。個人としてはベストナインかな」。松橋が神宮のマウンドに立つその時を待ち望んでいるファンは多い。

◆松橋 拓也 まつはし たくや 商1 駒大苫小牧高出 178cm・75kg 右/右
公式戦の記録では2年時に147km、3年時には149kmを記録するなど、今もその球速は増している。直球だけでなく、フォークやスライダーなど球種も多彩。