(7)最後の大仕事 藤田真弘

1999.01.01
 「野球をするのはもう、今季で終わり」。藤田の決意は固かった。藤田を知る者はみな“もったいない”と口をそろえる。だが、自分の人生にけじめをつけるため下した決断に、もう迷いはない。

 高校時代に広島の名門・広陵高校の主将としてチームを日本一に導いた藤田主将。再び日本の頂点を目指すため、彼は明治の門をたたいた。しかし大学野球は彼が思っていたほど甘いものではなかった。「1年生のころはなかなかやる気が出なくて毎日ただ単に練習をこなしていただけたった」。1年前、日本一に輝いた彼の姿はいずこ…。王者の面影は消えつつあった。

 2年の春、高校の後輩である上本(早稲田)がライバル早稲田に入部し、早くもレギュラーを獲得。「上本がバリバリやっている姿を自分はスタンドから見ているだけ。一緒に下で戦いたいって強く思った。このままではいけない…」。そして藤田は、ついに目を覚ました。だが、どんなに頑張ってもうまくいかない。その年の春季新人戦でキャプテンを務めチームの優勝に貢献するも、リーグ戦での出場はわずか1試合。超高校級の選手がそろう明治でレギュラーを張るためには、並大抵の努力では追いつかなかった。

 3年次の秋、そんな藤田に二度目の転機が訪れる。伝統ある我が明治大学硬式野球部の主将へ就任。「自分は神宮での経験もないですし、正直本当に主将でいいのかって思いました。でもやらせていただけるなら一生懸命やろう、ただその一心でやってきました」。下級生時代は周りに合わせているだけでよかったが、今ではそうもいくまい。自分が動いて引っ張っていかなくては誰もついてきてはくれない。神宮の経験がないだけに彼はひたすらがむしゃらに野球をやるしかなかった。また、野球だけでなく部内改革にも着手。練習環境の改善、ミーティングの改良などさまざまな改革を行い、部全体の向上を目指してきた。そしてグラウンド整備など、どんな些細なことでさえ誰よりも率先してやってきた藤田主将。「藤田さんは下級生に気を使いすぎるくらい真面目。下もしっかり練習できる環境をつくってきてくれた」(房林・農3)。

 そして4年の春、見事レギュラーを獲得。これは経験不足のハンデをなくすため苦しみに耐えてきた藤田の、努力の賜物ともいえる。また「Charenge~新しい可能性を求めて~」というチームのスローガンは彼自身が掲げる最大の目標でもあった。いざリーグ戦が始まれば、打撃には多少不安要素を残しながらも、全試合に出場し軽快なグラブさばきと強力なキャプテンシーで存在感をアピールした。しかし日本一を掲げ臨んだ今年の春季リーグ戦では2位と惜敗。藤田は斎藤佑樹(早稲田)からあわやホームランとも思える強烈な一打を放つも、あと一歩及ばなかった。「早稲田戦の悔しさは忘れられない」。主将としても一選手としても辛酸をなめた春。夏は死に物狂いで練習し、肌を焦がしてきた。また「いつも同期やみんなが協力して盛り上げてきてくれた。本当に感謝している。だからこそ、一緒にやり遂げたい」という熱い思いも彼を奮い立たせた。

 「この秋ですべてをやりきりたい。野球への悔いは絶対に残したくないから」。〝日本一をもう一度〟を胸に最後のシーズンへ挑む主将・藤田真弘と野球人・藤田真弘。自身の野球人生を有終の美で飾れるか。残るはあと2カード、泣いても笑ってもこれが最後のチャンスだ。

◆藤田真弘 ふじたまさひろ 法4 広陵高出 174cm・70kg 右/左 二塁手