(28)神宮大会前インタビュー 川口貴都、萩原英之

2016.11.08
 リーグ優勝へ導く快音を響かせた。夏に野手転向をした川口貴都外野手(法4=国学院久我山)。打率は3割4分8厘でリーグ4位、安打数はチームトップの16本と最後のシーズンで最高の結果を残した。有終の美を飾るため「打者・川口」は最後までフルスイングを貫き通す。(この取材は10月29日に行ったものです)

――今季チーム全体を振り返っていかがでしたか
今年は春もそうなんですけど、4年生にすごいまとまりがあった学年だったので、それに3年生以下がついてきてくれた結果がこういう春秋連覇につながったかなと思います。(今年の明治の強みは)春も秋もそうなんですけど、優勝できるかできないかという崖っぷちのところまで追い込まれても優勝したっていう粘り強さが良いのかなと思います。

――一番大きかった試合はどれでしょうか
早稲田に2連敗して、最初の立教の初戦というのはすごい息の詰まる試合だったんですけど、そこを勝ち切れたというのが一番大きな試合だったのかなと思います。(早大3回戦後は)負けてしまったのですぐに切り替えて。立教に勝ち点取れば優勝っていう状況だったので、全員で「立教から勝ち点取ろう」というふうにやってました。

――試合を重ねていく上でチームとして強くなった部分は
打線としては最初は良かったんですけど、後半は打てなくて。それをピッチャーがカバーしてくれたおかげで勝てたかと思います。(ミーティングは)春はあれだけピッチャーが頑張っていたので、秋こそはバッターで勝とうというミーティングでみんなで言い合ってて、それをずっと秋のシーズンは通してやっていました。野手だけのミーティングもあったので、野手中心にやっていたと思います。

――柳主将にかけたい言葉は
春秋連覇の主将にすることができたので、次は明治神宮大会で日本一取って日本一の主将にしたいと思います。柳は落ちこんでいてもネガティブな言葉はかけずに、チームを明るくしてくれる言葉を常にかけてくれるキャプテンです。そこが一番助かった部分ですね。

――個人としてはどんな1年間になりましたか
春は投手として秋は野手としてやらせていただいて、春はそこまで満足する結果が出なくて、監督に野手転向のきっかけを勧めてもらって。それで秋は結果で恩返しできたらいいなと思っていたので、それを実行できたかはわかりませんけど、優勝に貢献することができてよかったなと思います。

――最初に野手転向したのは
最初に野手に転向したのは大学2年の夏です。最初は肩を痛めてしまって、それで満足に投げれなかったので野手になったんですけど、だいぶ肩が治ってきてもう1回監督にピッチャーやらせてほしいということで。それは4年に入る前ですね。

――投手として迎えた春季リーグはいかがでしたか
春は優勝という形だったんですけど、柳、星という二枚看板に頼っての優勝だったので、自分は特に何もできなかったなという数字でした。そこは悔しかったです。(印象深い試合は)東大の3回戦なんですけど、久々の神宮のマウンドですごいもう一回このマウンド立てたっていううれしい気持ちで、打たれてしまったので満足はしてなかったんですけど、そのマウンドがいちばん印象的でしたね。(抑えられてうれしかった選手は)六大のバッターはレベルの高い選手の集まりだと思ってるので、特にはないんですけど、強いていうなら立教の佐藤竜彦…久我山なんで(笑)、対戦する機会があってそこを抑えられたのはうれしかったです。

――春が始まる前と終わった後での気持ちの変化は
やはり自分の想像していた結果と現実が違って。ずっと前から監督には野手のほうはいいとは言われていたので、投手としての結果が出た瞬間に、自分としても投手だめなのかなという気持ちでした。

――そこから夏に野手転向されました
どうしても投手として入学したので、投手として終わって卒業したいというのを非常に強く持っていました。(善波監督からの一言がなかったら)もしかしたら投手でやっていたかもしれないです。(野手転向は)即断でした。どうしても優勝に貢献したいという思いでモチベーションとしては、自分が神宮で活躍する姿を常に想像していて。練習を怠ったら試合出れなくなるとか、そういうふうに常に思っていたので、その意識がモチベーションを維持できていたんじゃないかなと思います。

――夏に一番意識して取り組んでいたことは
春は投手だったのでバット振る量が野手とはかなり差があって、その差を埋めようとひたすら振ってました。一日200は最低でも振るようにしていました。(これだけは誰にも負けてなかった練習は)ただ漠然と野球の練習をしているだけじゃ結果は出なかったので、ティーバッティングの上げてもらうのを6種類ぐらいやっていて、それを毎日継続していたら結果が出ましたね。8月の終盤あたりから徐々に手応えを感じてきました。(チームとしては)やはりバットを振る数ですね。非常に多く決めてやってました。

――迎えた秋季リーグ、打率はリーグ4位、安打数はリーグ2位タイの活躍でした
正直ここまで活躍できるとは思っていなかったです(笑)。(安打16本)調子うんぬんではなく、とにかく優勝したいという思いが体を動かしていたと思うので、その思いが一番の大きな要因かなと思います。(日頃からの練習では)試合ない日もバッティングの練習は常にやっておかないと、やっぱりいきなりレベルの高いピッチャーが出てくると打てなくなるので、そこの部分をちゃんと休まずにやっていました。

――印象深い試合は
法政2回戦で2打席連続でホームランを打つことができたんですけど、それはもう人生初で。やはりあの2打席は非常にうれしかった打席でした。神宮でダイヤモンドを回るのは高校以来だったんで、すごい懐かしさと、六大で打つホームランは違うなと思いながら回ってました。当たりも人生で一番でした。(バッティングは苦じゃなかった?)そうですね、すごい好きなので。バットを多く振るのは特に苦ではなかったです。(打ててうれしかった選手は)今年広島東洋カープに1位でいった加藤投手は、確かにすごい速くて最初は手が出なかったんですけど、何とか食らい付くことができてヒット一本は打てたので、その投手から打ててよかったなと思います。

――萩原選手(英之外野手・営4=九州学院)の存在は刺激になりましたか
2人して、夏までは全然結果が残せなくて。2人で「秋こそは結果出して、優勝に貢献したいな」ということをずっと言っていたので。あいつの活躍がなければ、自分の活躍もなかったと思うので、あいつの存在は大きいです。(立大2回戦でのホームランで生還)本当にあの試合で勝てば優勝だったので、あそこで打ってくれるのはさすがだなと思ったのと、あと夏あれだけ一緒にやってきたのでうれしかったです。

――マウンド上の投手を見ていて思うこともありましたか
打線が点を取れなくて、徐々にピッチャーも点を取られ出して。その追い詰められる瞬間が一番投げてて苦しそうだなという思いはありましたね。自分はもう野手としてやっていたので、柳、星には「打ってやる」「野手で楽にするように頑張るから一生懸命投げてくれ」という言葉はかけていました。

――優勝した瞬間はどんな気持ちでしたか
8シーズンやってきて5回優勝して、今までの4回はすごいなと思って見ていただけだったんですけど、今回のこの1回は自分も少しは貢献できたと思えたのでまた違った優勝ですごいうれしかったです。

――善波監督にかけたい言葉はありますか
あそこで自分の人生を変えてくれた方なので、優勝できてほっとしてるのと、感謝の言葉をあらわしたいですね。

――4年間で一番辛かった時期は
2年の夏なんですけど、初めて大きなケガをして投げれなかった時がすごい苦しかったです。(それを支えてくれたのは)10個下に弟がいて、弟も今野球をやっているんですけど、その弟が野球始めたきっかけが、自分が野球をしているところを見てだったので、弟のためにもここで終わらずに何とかしなきゃといけない思いがすごいありました。その弟の存在が一番大きいですね。当時はピッチャーだったんですけど「兄ちゃんがピッチャーやってるところ見たいから頑張って」っていうのをすごい言ってくれていたので、その言葉が一番ですね。試合も見に来ていました。(秋の優勝後には何か言われたか)野手として臨んだ秋で、それも弟に報告して、弟もそれを理解してくれていて。「ホームラン見たい」というのを約束にしていて。その約束を果たせたので、それが一番うれしかったです。

――明治の選手で支えになった選手はいましたか
牛島(将太捕手・営4=門司学園)と吉田大成(内野手・国際4=佼成学園)がいつもオフの日も一緒にいるんですけど、その2人が結果を出して頑張っている姿を常に刺激としてやっていましたね。(この野球部でよかったと思えた瞬間は)優勝して、その学年関係なくみんなで喜び合えてる瞬間というのが、よかったなと思えました。

――日本一をかけた神宮大会が始まります
(現在の練習は)次は初めて見る投手なんですけど、そのピッチャーに振り負けないように、野手は振り込む量を多くしています。投手は0でなるべく抑えられるようにというのをやっています。(自身は)その投手に振り負けないように練習しているだけですね。フルスイングが一番のアピールポイントだと思っているので、そのフルスイングを見てほしいです。

――卒業後は社会人でプレーされます
見てる人たちに「川口の打席を見に来た」と言ってもらえるようなプレーヤーになりたいと思っています。

――ファンの方々にメッセージをお願いします
春秋連覇できたのも、ファンの方のおかげだと思っています。次は日本一になって、もう一度ファンの方々に喜んでもらえるように頑張りたいと思います。

――最後に神宮大会へ向けての意気込みをお願いします
個人の目標としては日本一のメンバーになれるように頑張りたいと思います。全日本のような結果にならないように、この秋はチーム一丸となってやっていきたいと思います。

――ありがとうございました

◆川口貴都 かわぐちたかと 法4 国学院久我山高出 180cm・87kg 外野手 右投右打

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 四死球 打率
川口 今季・通算成績
今季 11 46 16 .348
通算 17 46 16 .348
 ラストシーズンに強打者復活だ! 萩原英之外野手(営4=九州学院)が今季初めてスタメンに定着し、打率はリーグ5位となる3割4部5厘。優勝を懸けた立大2回戦では決勝本塁打を含む5打数4安打4打点の活躍でリーグ優勝の立役者の一人となった。ケガで出遅れた大学野球生活だったが、最後の秋に得点力アップを図るチームの期待にバットで応えてみせた。(この取材は10月29日に行ったものです)

――今季はどのような思いでグラウンドに立ちましたか
今までは結果を出したいとか、試合に出たいとかそういう、チームのためにというよりかは自分のことを優先していたような感じで。それがやっぱり、結果に出てなかったのでチームにも貢献できていませんでした。でもこの秋は最後で、今までやってきたことを全てチームのために出し切って貢献したいっていう気持ちがありました。その一心で、チームのために絶対活躍してリーグ戦優勝に導くと、そういう気持ちだけで挑んだシーズンだったかなと思います。キャプテンが柳で自分が副キャプテンをさせてもらっているんですけど、そこの責任感がでてきたのがレギュラー定着という形につながったんじゃないかと思います。

――早大カードで初めて勝ち点を落として、チームに変化はありましたか
うまくいきすぎていた部分があったので。やっぱりうまくいかないときもあるのが野球なので、そこをうまく切り替えて次につなげられるようにしようということになりました。立教戦では切り替えて、立教に勝ったら優勝なので、早稲田には負けてしまったんですけど、立教に勝てば優勝で、立教に勝つことだけ意識しようと。反省するべきは反省して、立教に勝てば優勝ってみんなに言って。立教戦で打てたのも、その思いが僕は人一倍強かったから結果が出たのかもしれないです。

――過去の代とくらべて一体感はいかがでしょうか
柳がキャプテンになり、キャプテンでピッチャーで、なかなか難しいところがあるので、僕らで4年生を中心にバックアップしようと。一人一人が柳に頼ることなく、自分たちもしっかりやろうと、なるべくキャプテンに負担をかけないようにしていこうとみんな口にしてやってきたので、それがチームの一体感につながったんじゃないかと思います。

――ご自身は立大2回戦では決勝先制本塁打を放ちました
気持ちで振っていこうと。とにかく、どんな形であれ闘争心って監督によく言われていたんですけど、気持ちを全面に出していこうと思った結果が、初球の真っ直ぐを一球で捉えられたんじゃないかなと僕は思っています。

――その一本は公式戦初本塁打でしたが感想は
それは気持ちいいですよ。これからも野球は続けますし、大学生活でやってきたことっていうのが最後の最後で出てくれた。これからがスタートだと思っています。リーグ戦優勝したのも神宮大会で日本一になるためのスタート位置に立てただけです。最後打てたからって満足することは一切ないですね。いいきっかけにはなりました。ああいう感じでやっていこうって。今までやってきたことは間違いじゃないんだなっていう風には思いますけど、これからが勝負です。いい方向に向いたきっかけの一打でした。

――最終戦では5打数4安打4打点の大活躍でした
今まであまりチームに貢献できていなかったので、そんな中でも起用してくださった監督含め、ずっと一緒にやってきたチームメートのためにも『最後くらいは俺が活躍してやるんだ』じゃないですけど、そういった気持ちが表れたんじゃないですかね。なんとか星を楽に投げさせてやろうって。試合前に星と話していたんですけど、『今日は俺が打つからしっかり投げてくれ』って話をして。それがたまたま結果が良かっただけで。(星選手は)『頼むよ。楽に投げさせてくれ』『任せておけ』っていうような話を試合前の練習でしていて、最初にホームラン打ってベンチ帰ったら喜んでいたので『ああ楽に投げられるよ』って。最終戦まで自分は打点がなかったんですよ。打点が0で、なかなか勝利につながる一打っていうのが打てていなかったので、打点を取るっていうのは自分としてもうれしかったです。

――ご自身と同様にこの秋ブレークした川口選手はどのような存在でしょうか
いや~ライバルですよ、自分からしたら。やっぱり高校時代から戦っていましたし、大学入っても最初彼はピッチャーだったので、ピッチャーと野手で、本当に野球勘も似ていて、常にライバル視して高め合ってきた仲です。負けず嫌いなところであったり、ホームランを打ちたいとか、活躍をしたいとか、いろんなことなんですけど。とりあえず二人で辛い時も『俺ら試合出てなかったし、ここで抜いてどうするんや』じゃないですけど、二人で鼓舞し合ってきた仲です。

――2年次に大きなケガをしましたが、当時の状況をお聞かせ下さい
最初の東大戦でスタメンで使ってもらっていたんですけど、途中で振れなくなって。ファウルを打ったときにビリビリビリって。これはやばいやつだってなって監督に『もう振れません』っていう感じですね。それからはメンバーを外れて騙し騙しやって、2年の秋に手術をしました。9月のリーグ戦始まる前くらいですかね。有鉤骨骨折です。野球ができなくて、ケガしてからなんですけど、もっともっと野球に対する思いが湧いてきましたし、『バットを振りたいのになんで振れないんだ』とか、ケガにあたってしまうこともありました。

――元の打撃には戻りましたか
感覚が全然違かったので。手にメス入れて、骨をとって削って摘出しました。今まで振ってきた感覚とは違う感覚で。前みたいに振れるようになったというか、違う風な取り組みをしました。僕は前の自分に近づきたいとかはないですいし、ケガはまた新たな自分を作ろうと思ったきっかけでもあります。思いっきり握れなかったので、それだけ力みがあったんだって分かりましたし、いかに力を抜いて打てるようにするのかとか、ケガを通じていろんなことを、野球技術のこともそうですし、サポートしてくれる人の気持ちまで分かることができたので、ケガもいろんなプラスになることが多かったです。試合には出られなかったんですけど、他に得るものがあったんじゃないかなと思います。

――当時はどんな思いで野球に関わっていましたか
チームを見ていて負ければ試合に出ている選手と同様の悔しい気持ちはありました。でも、常に自分がプレーしているイメージをスタンドからでも持ち続けてやっていました。いつ呼ばれてもいいような準備をしていました。悔しかったですね。

――善波監督は1年次から起用を考えていたそうです
そうですね、期待をもって練習に熱を入れてくれていたっていうのは自分でも感じていますし、それに応えるだけの体力がなかったっていうのもケガにつながることだったと思います。全てがまだまだ未熟だったので、なかなか試合に出る形にはならなかったと思います。

――苦労の多い4年間だったのではないでしょうか
自分は今までずっと試合に出て活躍するのが当たり前でしたが、大学レベルの中で野球やって今までよりもひとランク上のところで野球をやってみて、試合に出られないこともありましたし、人生初めてのケガもしました。思うように野球をやらせてくれない環境の中で、野球をやるためには自分で練習して環境を作っていかないといけないと思っていますし、そういう意味では試練だったと思います。

――副主将の話を受けたのはいつでしょうか
3年の終わりです。4年生が引退して、柳がキャプテンになるっていうときに自分も副キャプテンに。このチームは副キャプテンが4人いて多いんですけど、それは監督からの思いっていうのはありますし、『試合に出て活躍してくれ、明治大学を優勝に導いてくれ』っていうのもありますし、そういう役職を与えることで自分自身を鼓舞しようじゃないかと。そういう面もあると思いますね。伝統のある明治大学で副主将を務めさせてもらうていうのはすごくありがたいことだと思います。善浪監督からは『頑張れ、チームを引っ張ってくれ』っていうことを言われました。

――今夏はチームで打撃向上を掲げたそうですが
振る量も例年より多かったと思いますし、やっぱりイメージして意識して、どんなケースなのか頭に入れて、その場面を想定したバッティングを。ただ打つのではなく、意味のある、ひとスイングひとスイング意味のあるようなスイングを心がけてやってきました。自分が思っているスイングができるように、トンボは長かったり重かったりするので、それを振ることによって本当のバットを振ったっときに振れるような練習をしていました。

――ご自身の打撃はどのようなことを意識されましたか
シンプルに振れるように意識しました。力んでしまったりすると自分のイメージ通りのスイングができなくなってしまうので。ムダをなくすっていうのを一番意識しました。

――4年生になってから練習で意識していたことはありますか
とりあえず振る量っていうのは、人一倍振らないと試合に出られないって分かっていたので、特に変わったことはしていないですけど、やっぱり、量、質っていうのは上げられるようにしました。何スイングかはわからないですけど、納得のいくまでですかね。それが10スイングで終わる日もあれば100、200、300っていう日もあるので。自分の納得いくスイングができたら今日は終わりという感じです。

――春に「勝利につながる一打を打ちたい」とおっしゃっていました
その思いは変わらないですね。そういう打点を取るっていうのは自分の一番チームに貢献することだと思っていますので、その延長線としてホームランが一番打点が入りやすいです。ランナーがいてホームランが打てるとそのまま点数が入るので。

――最後に明治神宮大会への意気込みをお願いします
リーグ戦と違って負けられない戦いなので、そういうところではスキをなくして、今までやってきたことを試合でぶつける。それぐらいのことをやってきたのでそこは自信を持って残り3戦やっていきたいです。

――ありがとうございました

◆萩原英之 はぎわらひでゆき 営4 九州学院高出 177cm・79kg 外野手 右投左打

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 四死球 打率
萩原 今季・通算成績
今季 10 29 10 .345
通算 17 43 10 .233