(2)安打の軌跡① 衝撃デビューから2年次まで

2015.09.09
 下級生時の積み重ねが現在へとつながっている。髙山は1年次から外野のレギュラーに。春に20安打、秋に16安打を放ち、1年次のみで36安打をマーク。2年次には春秋とも13安打ずつで26安打。2年終了時で通算62本もの安打を残した。リーグ史上まれに見るハイペースで安打を放ち続けた髙山の1年次、2年次の活躍を振り返る。

<1年次(2012年)>
 日大三高3年次に5番打者として夏の甲子園優勝へ導いた髙山は、その実力を1年春からいかんなく発揮。大学でのデビュー戦は開幕の東大1回戦だった。「緊張はなかった」と8回に代打で初出場。中田から右前打を放ち、初打席初安打を記録した。さらにその試合の9回には窪田から左越え適時二塁打を放ち初打点も挙げた。2カード目の慶大2回戦では3番中堅で初スタメンも果たした。
2カード終了時点で3安打の髙山は、ここから驚異的なペースで安打を量産。他の外野手の不調、そして何より髙山の状態の良さから、3カード目の法大3回戦から3番打者としてスタメンに固定された。そこから7試合で複数安打をマーク。最終カードの立大1回戦で規定打席に到達し、最終的にリーグ2位の打率4割1分7厘、リーグトップの20安打でベストナインを獲得した。外野手の控え番号である背番号38を付けて挑んだ初のリーグ戦。自らの力でレギュラーをつかみ「ここまでやれるとは思っていなかった」と本人も驚きの衝撃デビューだった。

 不動のレギュラーとして主に2、3番を務めた秋は、厳しいマークにあった。「苦手なコースを何度も責められた」と打率は2割6分7厘に下がり、リーグワーストの16三振を喫した。それでもリーグ2位の16安打は、警戒される中でも甘い球を仕留めた堂々の結果である。3カード目の東大2回戦では、香取からリーグ戦初本塁打も記録。チームは春と同じく4位に終わったことについては「自分がしっかりしていれば勝てた試合が何試合かあったので、チームに迷惑を掛けてしまった」。中心選手としての自覚が芽生えたシーズンでもあった。春に比べれば低迷したが秋の16安打を合わせ、1年次で36安打の数字を残した。

<2年次(2013年)>
 苦しいシーズンだった。背番号9を付け迎えた2年春は打率2割4分1厘、13安打と7季で最も低い数字に終わった。2カード終了時点で25打数2安打と不振に陥り、3カード目は自身初のベンチ外を経験。しかし4カード目の慶大戦から巻き返す。2回戦でスタメン復帰し3安打、3回戦で2安打した。勝ち点を挙げた方が優勝の最終カード法大戦では、リーグ戦自身初となる1番に座り全4試合で安打を放ち、3季ぶり35度目の優勝に貢献した。

 攻撃的2番打者として活躍した秋、快挙を決定付ける一打を放った。それはシーズン13安打目、通算62安打目。最終カードの法大2回戦で3―3の延長12回表、2死二塁で打席が回ると、本多(法大)が投じた6球目を捉えた打球は右中間を破る勝ち越しの適時三塁打に。明大史上4度目、38年ぶりとなる春秋連覇をぐっと手繰り寄せ、塁上で大きく何度もガッツポーズを見せた。主に2番を任されながらも打撃スタイルは崩さず打率2割9分5厘、13安打と攻撃の起点となった。さらに2度目のベストナインも獲得。12試合中9試合で安打を放ち「苦手なところを大分打てるようになってきた」と手応えをつかんだシーズンだった。

 2年終了時の通算62安打は高田氏の同時期の60安打を上回るペースだった。「偉大な先輩の記録が目標にある」。秋のシーズン後の髙山の言葉から、史上30人目の100安打、そしてリーグ新記録へのこだわりが少しずつ表れていた。

シーズン 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 四死球 打率
髙山 1、2年次成績
1年春 13 48 20 .417
1年秋 14 60 16 .267
2年春 14 54 13 .241
2年秋 12 44 13 .295
通算 53 206 62 13 24 13 .301

 次回の特集は9月11日(金)「安打の軌跡② 100安打、そして記録への挑戦」です。