
(10)羽根次郎部長祝辞/明大体育会ホッケー部創部百周年記念祝賀会
今年度で創部100周年を迎えたホッケー部。現役やOB部員、多数の大学関係者をはじめ、日本ホッケー協会会長三須和泰氏も参加し、盛大に祝賀会が行われた。
以下、羽根次郎部長の祝辞です。
ホッケー部部長の羽根次郎です。本日は、ご多忙の中私ども明治大学体育会ホッケー部創部100周年の記念式典にご出席くださり、誠にありがとうございます。 また、ご代表として、ホッケー協会からは、三須和泰日本ホッケー協会会長をはじめ、東京都ホッケー協会ならびにルーツ校の慶応義塾大学など各大学ホッケー部の関係各位のご臨席を、そして学内からの柳谷孝理事長、畠中君代駿台体育会会長をはじめ、理事会や父母会のご関係者、校友、職員、教員など関係各位のご臨席を得ました。平素より多岐にわたるご支援を賜り、重ねて厚く御礼申し上げます。
さて、明治大学ホッケー部は1923年に産声を上げました。明治法律学校が明治大学に昇格したのが1920年のことですから、ホッケー部は大学とほぼほぼ一にして歩んできたことになります。この1923年というのは、ラグビーでは第1回明早戦が開かれた年でして、また、東京六大学野球がまだ東京帝国大学のいない東京五大学野球だった頃に当たります。 順調に力を蓄えた我々明治ホッケー部は、創部3年目の1925年、全日本選手権で優勝を果たします。これは端艇部に続く本学2例目の快挙となりました。その後も全日本選手権では通算7度栄冠に輝き、1952年に始まった全日本学生選手権では 通算12回の優勝を達成しております。私たちは、こうした先人たちの栄光と、それを支えた努力と苦労を忘れてはなりません。
先人といえば、小林定義先生の名を置くことはできません。選手としてのみならず、指導者としてのご活躍についても、私ごときが紹介するまでもないほど、 明治ホッケーの、そして日本ホッケー界の常識であると言っても過言ではないはずです。その豪放なお人柄につきましても、坂本会長、宮田総監督などOBの方々より常々お話をうかがっております。願わくは、ご生前の小林先生に一目お会いしたかったところです。そんな小林先生のご指導のもと、宮田総監督が現役選手でおられた1977年、明治大学ホッケー部は関東学生リーグを春秋連覇いたしました。早稲田、法政と覇を競い合っていた頃の快挙でした。その後はさらに東京農業大学、山梨学院大学の台頭もあり、明治が連覇を果たすには一層の奮闘努力が求められる時代となってきました。そんな中、まるで100周年の節目に錦を飾るかのように、本年度、明治ホッケー部は関東春秋連覇を1977年以来、実に46年ぶりに達成いたしました。大学王座決定戦でも3位に入り、来年度からの躍進を大いに期待させる結果となりました。4年生をはじめ学生諸君は本当によく頑張りました。また、父母会のご関係者にはご観戦、ご声援を賜り、心より力強くうれしく思いました。感謝申し上げます。
私は部長就任以来、目標がいくつかございました。1つは、強豪・山梨学院に勝って関東を制覇することでした。今年度、それを連覇という形で学生がかなえてくれました。髙松(雄飛・法4=丹生)前主将ならびに部員の皆さんありがとう。次の目標は大学日本一です。今日こちらに御臨席くださった関東各地の大学関係者の方々。インカレは2019年に、大学王座に至っては2006年に山梨学院が優勝して以来、関東の大学の優勝がございません。来年度こそ関東の大学同士で決勝を戦えるよう、私たちは良きライバルとして、これまで以上に切磋琢磨(せっさたくま)を重ねていきたく存じます。どうかよろしくお願いいたします。余談になりますが、最後3つ目の目標。それは私が定年前に部長を辞めることです。ただし、1つだけ条件があります。それは、ホッケー部のOBに明治の教員になってもらい、バトンタッチをすることです。そうならない限り、私は逆に部長を辞めません。現役諸君、部長の椅子を温めておくから勉強も頑張りましょう。最後になりますが、皆さま方の今後のご健勝とますますのご発展を祈念するとともに、 変わらぬご支援のほどお願い申し上げ、私からの挨拶とさせていただきます。本日はどうもありがとうございます。
[石田聖]
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