
(18)戸上隼輔 明スポ独占インタビュー
11月25、26日に行われた全農CUP大阪大会で優勝を飾り、パリ五輪シングルス代表をほぼ確実にした戸上隼輔(政経4=野田学園)。今回は長いパリ五輪代表選考レース、2023年の振り返り、五輪に対する思いなどをうかがった。数日後には全日本選手権(以下、全日本)が控える戸上。3連覇が懸かる本大会での活躍にも期待がかかる。
(この取材は12月15日に行われたものです)
――まずは全農CUP大阪大会優勝おめでとうございます。
「ありがとうございます」
――優勝が決まった瞬間、床に倒れ込んでガッツポーズされていました。当時の心境はいかがでしたか。
「優勝を期待されていた中でこうして優勝できたことと、優勝してオリンピックの出場もほぼ確定っていうところまで来られたことにほっとしていた感じです」
――全農CUP大阪大会全体を振り返って、手応えを感じた部分ございますか。
「正直、100%の力は出し切れず終わってしまったのですが、満足するプレーを出さなくてもこうして結果を残せたところはプラスに捉えてもいいなと自分の中で思っているので、成長した姿を皆さんに見てもらえたのかなって思います。すごく充実した大会になったなと感じています」
――用具を変えたタイミングはWTTの4連戦の後ですか。
「はい。準優勝した中国のWTT(WTT太原)の時はもう変更後で、あれが初めての公式試合で、思った以上に自分に合った用具をその大会で見つけられたし、確認できたのは成長の手助けになった一つの要因かなって思います」
――フォア面以外の部分変えたと思いますが、具体的に今までと何が違いますか。
「ラケットとバック面のラバーの種類を変えたのですが、前と比べてより上に弧線を描くようなタイプの用具に変更して、それによって威力は多少は前と比べて落ちたのですが、安定性と回転量が前と比べて増したので、より安定して自分の得意な攻撃的なラリーに多く持ち込めるようになったのがすごく良かったなと感じます」
――全日本前にパリ五輪シングルス代表をほぼ確定としたことに関して、どう思っていらっしゃいますか。
「もつれればもつれるほどプレッシャーだったり、不安でかなりしんどい生活を送らなければいけないので、こうして全日本前に決められたことは今後のスケジュールも組みやすく、海外を主に活動できるようになりました。やっぱりオリンピック出場するだけではあまり満足はいかないので、そのためにも海外での経験だったり、今課題である世界ランクの向上に集中して活動ができるのが一番メリットというか、国内を考えずに海外だけ考えればいい生活を送れるのはすごくいいなと思っています」
――長い選考レースを振り返っていかがですか。
「第1回(の選考会)でベスト16で、その時のプレーは自分らしさが一つも出せずに終わってしまってかなり悔しい結果で第1回を終えたのですが、第2回以降かなり良くなってきて、回数を重ねるごとに自分の戦い方だったり長所、短所を自分なりに研究して知れたいい機会になりました。1年前、1年半前、約2年前と比べて本当に成長したなというのは、自分でも感じるところはあるので、あとはオリンピックまでの約半年をもう一回自分で見つめ直してやっていきたいなと考えています」
――その選考レースの中でも、7月に全農CUP東京大会があったと思いますが、その大会では苦しそうな場面が見受けられました。苦しい中でも出場を決めた経緯は何かございますか。
「本当は棄権しようか迷っていたくらいしんどくて、ただその時僕は(選考ランク)2位だったのですが、3位との差もだいぶあった中で出るきっかけになったのは、やっぱり周りの選手に対してもう少し余裕を持っておきたい、迫られる恐怖があったのでここで出ずにポイントを詰められるより出て、やることをやって結果が出なかったら仕方ないなっていう感じでした。結果としては2位までいくことができて、2位と3位との差は逆に離すことができたので、出て良かったなと感じています」
――選考ポイント上位2枠入りをつかんだ要因や分岐点はどのタイミングですか。
「第2回ですね。第2回の国内選考会で初優勝した時が本当に組み合わせ的にもかなりしんどいドローで2回戦では同じ大学の宇田(幸矢=商4・大原学園)選手と対戦して、勝ったんですけど、もし仮にあそこで負けていたら、逆に宇田選手が僕と今の状況は真反対というか僕が今苦しい状況で過ごしていたと思いますし、あそこで勝てたのがやっぱり大きな分岐点だなというのは考えています。勝ってそこで張本選手にも決勝で勝って優勝ポイントを獲得できたのが、すごく大きなきっかけかなと思います」
――決勝で張本智和(智和企画)選手と戦う機会が多かったと思います。 選考レースの中で張本選手はどんな存在でしたか。
「安定して決勝まで毎度上がってきますし、いつかは超えないといけない存在だなというのはずっと考えています。選考会を通して何度も戦っていますけど、本当に日本のエースですし年下ながら本当に尊敬もしています。僕がこれから活躍するにあたって共に世界で戦う仲間なので、本当にライバルであり大きな仲間、大きな存在だなと感じています」
――選考レースは長期間でしたが、何が大変でしたか。
「1年半の短いスパンで第6回まで選考会をやるとなると、海外の大会とのスケジュールの調整が難しくて、大事な海外の大会の後すぐ選考会だったりしました。国内で勝たないとオリンピックに出られないっていうのもあって、なかなか選考会はパスできないというか、そういうもどかしさもあって選考会に標準というかモチベーションを合わせるのがすごい難しかったので、それが結構精神的にもきつかったです」
――きつかった時、辛かった時に支えになっていた人はいらっしゃいますか。
「たくさんいますね。体調も崩した時期もたくさんの人に支えてもらいましたし、たくさんの人に相談してアドバイスをもらったりいろんな人を紹介してもらって、自分を優先的に助けてくれたりしたくれた人もいたので、本当に関わってるみんなが応援してくれているんだなというのは身近に感じられたので、そういうのもあってやっぱりオリンピックに出て活躍してメダルを持って帰ってきて、お世話になった方々に(メダルを)見せられるような、そこまでいけるように頑張りたいなってモチベーションを上げてくれたので、本当にたくさんの人に感謝しています」
――準優勝を果たした完全アウェーのWTT太原(中国)を振り返っていかがですか。
「(準決勝の相手が)3連敗していた年下の選手なんですけど、まさかその中国人選手に勝てると思っていなかったので、自分としてはそこが驚きでした。ただやる前は3連敗もしているので思い切ってやるしかない、自分はチャレンジャーの気持ちを持ってプレーしていこうという気持ちで挑んで、その結果いい方向にいったのでそれも良かったです。決勝も前回の世界卓球(世界選手権)の個人戦で銅メダルを獲得している中国人選手で、その時メダル決定戦で張本選手が惜しくも敗れていた相手で、やっぱり常に世界で活躍している中国人選手相手に決勝でどんなプレーができるんだろうって自分も楽しみにしていました。その中でマッチポイントを握るところまでいったのですが、負けてしまって、それはもう経験の差というか反省しないといけない点も多く見つかりましたし、あの経験を得たからこそ自分に自信を持てました」
――中国選手と差が縮んできたなと思う部分はございますか。
「やはり前までは中国選手に対して、なかなか思い切ってプレーできなかったり、中国ファンの方々の声援も日本とは全く異なる応援の仕方なので、その雰囲気に圧倒されてしまって何もできずに終わってしまうことがあったのですが、中国の地でこうして結果を出せているのはやっぱり思い切ってプレーできるようになったなと思いますし、その相手の格上の選手に対してもひるまずに、声援に対しても何も気にすることなくプレーができてきているのは自分自身の中でも実感している部分があるので、そういう精神的なところもかなり成長してきているなとここ最近感じています」
――中国選手と差があるなと感じる部分はどこかございますか。
「競ってもやはりラスト1点っていうところで、まだ冷静さを欠けてしまっている自分もいますし、逆に相手はそういう劣勢に立たれた時でも自分のことを理解しているので、や冷静にプレーできていいて、そこの差が大きいのかなと思うので、もっと大事な局面での1点の取り方をもっともっと追求していきたいなと感じています」
――現在の世界ランクは24位と目標としている15位に近づいてきていると思いますが、いかがですか。
「目標だった15位に達することは年内できなかったのですが、年末に向かうにあたって、成績も結果もかなり良くなってきているので、目標の15位をいち早く達成して、次の上のステップのトップ10入りをいち早く目指せるように、まずは15位以内に早く入りたいなと思っています」
――全日本や選考会でベンチにいらっしゃる水野裕哉コーチはどんなコーチですか。
「水野さんはかなりメリハリがあるというか、試合前は親身になっていろいろアドバイスしてくれたりとか、常にそばにいてくれて練習を見てくれています、逆に練習以外の面では楽しく世間話だったり、ラフな話もたくさんしているので、いい距離感の関係性なのかなと感じています」
――水野コーチと関係性を築くようになったのは、いつ頃からですか。
「元々水野さんと僕は高校時代の教えてもらっていた恩師が一緒なので、そこの共通点だったりとか、水野さんがまだ現役の頃練習を何度かやらせてもらっていたので、昔から関係性はあるのですが、指導者と選手として関係を築くことになったのは大学に入ってからですね。昔から水野さんの性格は知っていましたしかなりお付き合いもあったので、大学1年に入ってからも変わらず熱心に見てくれます」
――水野コーチは戸上選手にとってどんな存在ですか。
「本当に支えとなってくれている存在ですね。水野さんは常に練習を見てくれているわけではなくて、水野さんも東京にいることも少なくて、試合前でしかなかなかお会いできないのですが、いざ試合に向かうとなると熱意を持って接してくれるので本当にありがたいですし、自分を第一に考えて行動してくれるので、非常に支えとなってる存在です」
――2023年の全日本大学総合選手権・団体の部(団体インカレ)は主将として出場したかったと思いますが、欠場を決断したときの心境はいかがでしたか。
「やっぱり悔しかったですね。大学4年で最後のインカレになるので、またグランドスラム達成して終えたかったなというのはあったのですが、リーグ戦も出れずインカレも出れず、本当にチームに迷惑をかけてしまったなと思うので、欠場したからにはオリンピック選考会で結果を残して、オリンピックで活躍して、監督含め選手に恩返ししたいなっていう気持ちが強まりました」
――前回の取材で自分の活躍を後輩たちに見てほしいという言葉あったと思いますが、現時点でのご自身の主将ぶりはいかがですか。
「正直、何もチームに貢献できなかったなと考えていますね。まず明治の寮だったりとか練習に参加する頻度は本当に少ないので、言える立場ではないかなというのはちょっと思っています。、逆にプレーで背中を見てもらって、自分がここまでいけるんだからみんなにもいけるチャンスはあるというのを見てもらうために、結果を残し続けないといけないなとは思っていました。実際(2023年の)全日本で優勝して、これから自分が主将になるにあたってやっぱりプレーをみんなに見てもらいたいなというのはずっと考えていたので、こうやっていち早くオリンピック出場ほぼ確実というところまで来られたので、それは明治の学生が練習相手に帯同してくれたおかげでもあります。本当に感謝でしかないので、もう逆に自分がしてもらってばかりだなと感じていますね」
――今年度の明大卓球部は優勝に届かなかった悔しいシーズンだったと思いますが、どうご覧になっていましたか。
「海外にいる時だったり、他の大会で僕が遠征行っている時に学生の大会の配信があったりすると、欠かさず応援して見ています。みんな本当に頑張っているので明治大学の学生には本当に期待もしていますし、遠征でどこに行っても大会とかは見ていますね」
――今年度の明大は宮川昌大(情コミ4=野田学園)選手が大黒柱として活躍していましたが、宮川選手の活躍はどう見ていますか。
「中学校同じで宮川とは。彼の性格上、人に注意できるタイプではないので、逆にプレーで見せていく選手なので彼が結果を出すと僕もうれしいですし、今年の全日学(全日本大学総合選手権・個人の部)の個人戦では残念ながら優勝には届かなかったとは思うのですが、やっぱり本当に最後は優勝してほしかったなと、彼以上に悔しい思いを僕はしてましたね」
――五輪という大会はご自身にとってどんな大会ですか。
「4年に一度しかない一大イベントなので、 オリンピックは本当に命を懸けて、覚悟を持って臨まないといけない、それぐらい大切な大会だと感じているので全身全霊で戦いたいなと思っています」
――幼少期や中高時代に行われた五輪で印象に残ってる試合や選手、プレーはございますか。
「僕が高校生の頃ですかね。その時高校のOBの吉村真晴(TEAM MAHARU)選手がリオ(五輪)でメダルを獲得していたのを学校で応援していたのですが、やっぱりあの舞台で戦っている姿は本当にかっこいいなって思ったので、僕もあそこに行けるようにというのはその当時から思っていました。東京オリンピックでは練習相手として帯同させてもらったのですが、会場に入ってミックスダブルス(混合ダブルス)優勝する瞬間も目の当たりすることもできましたし、この金メダルを見せてもらって、このメダルを次のパリで取りたいなという強い気持ちに変わりました。そこ(パリ五輪)に向けて頑張ろうとはリオの時からずっと思っていて、東京で確信に変わって、こうしてパリに向けていろいろ頑張る基礎ができたのかなって思っています」
――卓球をプレーしてきて、中高時代から大切にしていることはありますか。
「何だろうな。一番大切なのはトレーニングですかね。僕は高校3年の頃、分離症で腰痛を発症してしまって、一時期本当に歩くのも困難なくらいひどくなってしまいました。(そういう)ケガをしてしまったのですが、そこで当たり前の日常に感動して、いつ卓球ができなくなるかもわかんないなというのを感じたので、そこからトレーニングで腰痛を抑えるような取り組みをずっと続けていますね。なので継続していることといえばトレーニングぐらいですかね」
――海外遠征が続いている中で、息抜きはどうしていましたか。
「僕はサウナが大好きなので、帰ったら必ずサウナに行って、ちょっとゆっくりしてという感じですかね。 温泉も大好きなんで温泉に1人でも行ったりしますし、それぐらいですかね。 最近はプロレスも行けてないし何もできてないですけど、今は温泉かな」
――先日の混合団体W杯から帰ってきた時もやっぱり行かれましたか。
「行きましたね。やっぱり海外は時々浴槽がなかったりするので、日本の特有の温泉は本当にリラックスの一つです」
――今忙しいと思いますが、プロレスは生で見れていますか。
「やっぱり映像で見るより100倍、観戦して見た方が迫力とか演出とかも直接目にする方が何倍も楽しいので行きたいのですが、やっぱ今は卓球を優先って感じです」
――全日本3連覇目前ですが、全日本への思いはいかがですか。
「正直全日本にはこだわってはなくて、全日本には魔物がいるって言いますけど、自分のプレーがしっかりできればどんな相手にも負けないと思いますし、3連覇っていう気持ちは少なからずあるのですが、そこまで気負わず自分のペースで頑張っていきたいなと思っています」
――全日本までに強化していきたいポイントはございますか。
「結構まだまだ自分の課題はあるんですけど、そのサーブレシーブ、ラリーが始まる前の1球目攻撃の精度だった意外性をもっと追求していかないと世界ランク10位以内に入るのも難しいなっていうのも感じますし、あとはもっとフィジカルを強化していきたいなと感じていますね」
――今後、戸上選手は日本卓球界にとってどんな存在になっていきたいですか。
「日本の今男子卓球界は自分に全て懸かっているなというのは感じていて、僕がもっともっと強くなれば必然的に日本の男子レベルも上がると思いますし、張本選手がここまで上に行ってくれたので、あとは自分もさらにもう一つワンステップ上を目指して同じところまで行けたら必ずメダルは取れると思うので、僕次第かなと思っていますね。僕の今後の成長次第、僕が頑張ればオリンピックでメダルも見えてくると思います。頑張らないといけないなと思います」
――パリ五輪含め、今後の目標を聞かせてください。
「まずは2月にある世界卓球団体戦・釜山大会で、金メダルを目指して頑張りたいなと思っています。やっぱりその先にオリンピックのメダルを取れるかどうかっていうところの前哨戦が2月の世界卓球だと思うので、2月までにもっともっと強くなって、パリでも期待されるぐらいの実力、シングルスでもメダルを取れるって期待されるぐらいまで実力を伸ばしていきたいと思います。いろいろ今後もたくさんの試合はあると思いますが、まずは2月の世界卓球に向けて標準を合わせて、もちろんオリンピックのシングルスと団体戦で両方ともメダルを取れる、それぐらいまで強くなれるように頑張ります」
――ありがとうございました。
[末吉祐貴]
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