(158)【特別企画】箱根駅伝100回記念大会 明大OBインタビュー Honda後編/木村慎、小袖英人 

2023.12.17

 今回で100回を数える箱根駅伝(以下、箱根)。第1回から出場している明大は数多くのトップランナーを輩出してきた。今企画では箱根路で活躍した明大OBらをお招きし、当時の心境や箱根、明大に対する思いを伺った。

 

 現在Honda陸上競技部に所属する、木村慎(平28商卒)選手、小袖英人(令3政経卒)選手のインタビューです。(この取材11月21日に行われたものです)

 

――明大時代を振り返っていかがですか。

木村「本当に楽しい4年間でした。自分は全然強くないところから西さん(弘美スカウティングマネジャー)、豪さん(山本駅伝監督)の指導のおかげで実業団に行けるぐらいまで強くしてもらいましたね。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。当時は必死で練習していましたが、今思うと箱根に向けての選手選考だったり強い先輩たちと一緒に競り合って走っていたことが一番充実していたと思いますね。自分の1個上の先輩などめちゃくちゃ強い人たちがいて、その人たちに勝つんだ、練習でも負けないんだという気持ちを持ってやっていたのが、今につながっているんだと思います」

 

小袖「大学4年の時の全日本大学駅伝で3位入賞したことが一番思い出に残っています。その時はチームにエースがいない状態だったので、チーム全員でこの3位を勝ち取ったというのが一番印象に残っています」

 

――明大時代のことで実業団での競技生活に生きたことはありますか。

木村「結構自由な大学で、練習も生活も選手に任せられる部分が多く、高校と他の大学ともちょっと違った部分があって、どっちかというと実業団寄りの感じがありました。Hondaに入っても自分で考えて練習しないと本当に強くなれないような環境でやっているので、そういうところが今生かされている感じですね。相談すれば練習も自分で組めますし」

 

小袖「僕も慎さんが言ったように、大学時代から自分で考えてやらないと強くならない環境だったので、その中で自分に合った調整方法だったり、この練習をしたら調子が上がるなっていうのが明確になって、それは本当に今でも生かされていますね」

 

――競技面以外での大学生活はいかがでしたか。

木村「今はもう寮が変わっちゃっているんですよね。あの八幡山の第一合宿所。今の選手は恵まれていると思いますし、指導者の豪さん、佑樹さん(山本支援スタッフ)、西さん含め強くなる環境はそろっていると思うので、ぜひあとは大会で自分の力を発揮するだけだと思います」

 

小袖「よく『砧公園6周』っていう練習があったんですけど、それがめちゃくちゃ苦手で(笑)。4年間苦しめられたのを覚えていますね」

 

――授業やゼミ活動などは覚えていらっしゃいますか。

木村「めちゃくちゃ覚えていますよ。商学部で高橋ゼミを紹介してもらってそこに入ったんですよ。すごくしっかりしたゼミで、ゼミはスーツで来いっていう感じで。月曜の1限の商品論っていうゼミの先生の授業とセットで、3限のゼミを取らないといけなくて、だから月曜の1限からスーツで行って、結構難しいマーケティング論の勉強をしました。広告マーケティングのゼミだったんですけど、一人一人パワーポイントで毎週発表する感じのゼミだったのですごく大変でした。大変だったからこそゼミの人とはめちゃくちゃ仲良くなって、今でもご飯によく行っていますし、大会の応援にも来てくれるんですよね。共同論文も書きましたしすごく思い出に残っています」

 

――小袖選手はゼミの内容は覚えていらっしゃいますか。

小袖「僕も大六野秀畝さん(平27政経卒・現旭化成)と同じゼミに入りたかったんですけど、ゼミ試で落ちてしまって」

 

木村「シビアだな(笑)」

 

小袖「永井ゼミを紹介してもらって、そこでもう1回ゼミ試をして。イギリスの歴史とかを学ぶんですけど」

 

木村「むずっ(笑)」

 

――お2人とも文武両道の学生生活を送られたんですね。

小袖「卒論が大変でした。箱根が終わって5日後ぐらいが締め切りで、全然完成していなくて。ファミレスとかにこもって、ずっとやっていました(笑)」

 

木村「一夜漬けとかね。すごいな」

 

――当時の明治らしさ、チームのカラーはどんな感じですか。

木村「変な上下関係がないところが良いのかなって。小袖を見ている感じちょっと舐めてる(笑)。というのがあるから、今もそういう感じなんだろうなと思いますし、いい伝統だと思っています。尊敬の念はもちろんありますけど、緊張などがなく和気あいあいと4年間、同じ釜の飯を食べて。箱根を目標にしてみんなでやっていく中で、本当にいいチーム力というか明治の良さはそこにあるんじゃないかなと思います。指導者の豪さん含めチーム全員でお互いの意見を言い合える、そういう関係性なんだと思っています」

 

小袖「やっぱり大学スポーツって言ったら上下関係が厳しいイメージがあると思うんですが、自分がいた時も本当に1年生から4年生まで仲が良くて、何でも言い合える仲と言いますか、学年関係なく仲良くしていました。そういった部分がチームの明るさだったり個性につながっていましたね。あとは指導者との距離が近くて、気軽に相談できるというのもすごく自分にとってやりやすかったですね」

 

――小袖選手が4年生の時の1年生が現在の4年生ですが、思い出に残っている選手やエピソードはありますか。

小袖「斎藤(拓海・政経4=市立船橋)が、僕が寮を出る前日ぐらいに、ホットケーキを作ってくれて。そのホットケーキがめちゃくちゃ美味しくて、いいやつだなって思ったのを覚えています(笑)。斎藤には最後の箱根を走ってもらいたいなとずっと思っていて、斎藤が走るなら応援に行きたいなと思います(笑)」

 

――西スカウティングマネジャーにお世話になったこと、エピソードなどはありますか。

木村「指導者という感じじゃなくて、陸上好きの親戚のおじさんみたいなすごくアットホームな感じなんですよ。西さんともよくご飯に行きました。あと、西さんの家が浜松にあって自分も浜松出身で、よく帰省の時に西さんの車で連れていってもらったりもして親戚のおじさんぐらい温かい人柄で接してくれる方という感じですね。今でもニューイヤーで優勝した時や大会で結果を残した時に連絡をいただくので、本当にありがたいですね」

 

小袖「僕が1年生の時まで監督をやられていて、2年目から山本佑樹監督に変わったのですが、監督が変わってからもたくさん面倒を見てくれました。試合や練習で失敗した時に叱るんじゃなくて、よくポジティブな言葉をかけてくれたのがすごく印象的でした。そういう言葉もあって次頑張ろうとか、ポジティブな気持ちに自分もなったので、本当に西さんの存在には助けられました」

 

――木村選手は山本佑樹支援スタッフが明大に来る前に卒業されましたが、関わりはありますか。

木村「自分が学生の頃は明治のスタッフには入っていませんでしたが、旭化成が練習を明治のグラウンドでやっていたので、当時から補強や筋トレの仕方を教えてもらったり、色々アドバイスをもらっていました。同じ静岡県出身で同郷ということで結構気にして見てくれた時もあって、よくグラウンドで話していましたね。当時佑樹さんがナイキをずっと履いていて、選手時代からナイキを履いていたみたいなのでナイキのシューズについて教えてもらいました。当時は厚底とかがなくて『ナイキ履いているの?』みたいな感じだったんですけど、佑樹さんのアドバイスで自分はナイキのシューズを履くようになりました」

 

――小袖選手は関わりが深いと思いますが、山本佑樹さんの印象はいかがですか。

小袖「佑樹さんと僕は一緒の時期に入部して、佑樹さんは最初コーチをやられていました。僕は1年目全然走れていなくて、その中で佑樹さんは走れていない選手をよく見てくれていました。その時から結構アドバイスをしてもらって、学年を重ねるごとに自分もどんどん走れていったんですけど、それは本当に佑樹さんのおかげだなと思います。見た目は結構怖いですけど(笑)」

 

木村「だよね(笑)。いかついよね」

 

小袖「でも優しい人で、Hondaに入寮する時も車で送ってくれたり、実業団に入ってからも気にかけて連絡してくれたり。本当に佑樹さんがいなかったら、今の自分はないなという存在です」

 

――山本豪駅伝監督はコーチ時代にお2人との関わりがありますが、いかがでしたか。

木村「やっぱりアドバイスが的確というか、当時からコーチとして在籍していましたので、明治に関わる期間というのが相当長いじゃないですか。そして、監督という立場ではなかったので1歩引いて見ていた部分もあって、本当に視野広くチームを見ていらっしゃったんですよね。当時からご飯に行った時に『もっとこうした方がいいよ』とか、競技だけではなく生活面でもアドバイスしていただきました。自分の人としての成長の中に豪さんの存在があったなと思いますし、本当にお世話になった方です。そして今もお世話になっている方なのでとても応援しています」

 

小袖「僕がいた時は、豪さんは中距離をメインに見ていたんですけど、中距離の選手は日本学生対校選手権などで表彰台に立っていて、指導力がすごくあるんだなと思っていました。先ほど慎さんが言っていたようにアドバイスをしてくれるんですけど、それはしっかり的確なことをおっしゃっていて、多くは語らないんですけどこの人の指導だったら強くなるだろうなと思っています」

 

――お2人の箱根の思い出を教えてください。

木村「3回とも自分の成長の中で欠かせない大会ではあるんですけど、やっぱり3年で9区を走った時はチームで優勝を目指していたので思い出深いです。1個上の先輩たちには本当にお世話になっていたので、優勝してほしいという気持ちで走って『自分の区間で何とか変えなきゃな』という気持ちで走っていました。4年の時の2区も甲乙つけがたいんですけど、やっぱり3年の時が一番心に残っています」

 

小袖「箱根に関してはあまりいい思い出はないんですけど、3年生の時に1区を走ってシード権を獲得できたというのは印象的でした。4年目はたぶんかなり悪い順位で襷をもらって3区を走ったのですが、流れを変えられずにチームのシード権を逃してしまったというのは今でも心残りがあって、本当に申し訳なかったなと思いますね」

 

――お2人だからこそ分かる箱根の難しさや感じたことなどはありますか。

木村「沿道の応援がすごいんですよ。ずっと3列ぐらいの人が連なっていて、走り終わった後は左側の耳がキーンとなっているぐらいすごかったです。その中でも、ゼミが一緒だった同級生など知り合いも来てくれて本当にうれしかったですね。箱根は2日かけてやるので、1日目の往路が終わった後に『復路は俺たちに任せとけ』とか『あとは頼んだぞ』みたいな、そういうやり取りも本当に良かったなと思いますね。『あ、青春してたな』っていう感じはあります」

 

小袖「やっぱり応援がすごく多くて、明治の応援が一番多いんじゃないかというぐらい。1区を走った時は人も多くて、ずっと気持ちいいなと思いながら走っていましたね」

 

――今の明大へのメッセージと注目している選手を教えてください。

木村「高校の後輩の古井くん(康介・政経2=浜松日体)には頑張ってほしいですね。あと、静岡出身の尾﨑(健斗駅伝主将・商3=浜松商)とか、もちろん明治全体を応援しているんですけど、その中でも同郷の選手には頑張ってほしいですね。今は短距離や競歩も強い子たちがいるので、そういう選手も本当に応援しています。関東学生対校選手権も1部に上がりましたし、1部で長く戦い続けるには短距離、フィールド、競歩の力が欠かせないと思います。明治が1部にいるというのが誇らしいですし、長距離以外も応援しています」

 

小袖「僕は今の4年生と被っている代なので、その代の選手たちに特に頑張ってもらいたいです。その中でも児玉選手(真輝・文4=鎌倉学園)は、1年生の頃からチームを引っ張ってきたと思うので、最後の箱根で爆発してほしいなと思います」

 

木村「俺、言いたいことあったわ。小袖とのエピソードで、ニューイヤーで連覇する前の東日本実業団対抗駅伝で小袖は1区を走って、自分は走っていなかったんですよ。その駅伝後にご飯に行った時に小袖が『ニューイヤーは明治の木村さんと一緒に走って、みんなで優勝しましょう』みたいなことを言ってくれて。僕も『熱いな、こいつ(笑)。俺も頑張ろう』って感じになったんですよね。それでニューイヤーは2人とも走れて。1区とアンカーで走って、明治で始まって明治で終わることができて本当に最高でしたね」

 

――ありがとうございました。

 

[覺前日向子、桑原涼也]

 

第100回箱根駅伝まであと12日。

 

Hondaインタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!