
(77)第533号ラグビー明早戦特集号企画面拡大版 斉藤祐也氏「明治での経験が全てに生きている」
今年度創部100周年を迎えた明大ラグビー部。私たちは「明大スポーツ第533号ラグビー明早戦特集号」発行にあたり、明大の著名なOB5名にインタビューを行った。本企画では紙面に載せきれなかったインタビューの拡大版を公開します。
第4回は斉藤祐也(平12営卒)のインタビューをお送りします。(この取材は10月12日に行われたものです)(※写真はルーチェ株式会社提供)
――明大に進学された理由を教えてください。
「高校が東京高校で、僕が高校2年生の時の花園に初出場した学校でした。高校2年生から高校代表に選ばれたこともあって明治大学に東京高校からは初めて勧誘を受けました。明治大学というのは毎年国立競技場を満員にする早明戦というものを目にしていて、ラグビーをやる中でも憧れの大学でしたし進学を決めました」
――明大での4年間の中で一番印象に残っていることはありますか。
「非常に厳しい寮生活が一番記憶にあります。当然、ラグビーで勝つということも、もちろん一つの目的だったんでしたが、社会の縮図というか、厳しさというものを大学で経験できたのかなと思います。明治大学特有の『前へ』という言葉を胸にやっていたという記憶が一番あって、グラウンドもそうですしオフフィールドの寮生活の中でも厳しさを経験できたかなと思います」
――現役時代はどのようなことを大切にして練習されていましたか。
「明治大学はチーム内の競争というものが非常に激しくて、1年生から出ることにはなりましたが、寮生活が一番厳しくていろいろなことをやらなければならない状況でした。しかし、1年生が集められて当時のキャプテンに『当然明治大学というのは、私生活も厳しく上下関係も厳しいが、グラウンドに出たら関係ない。グラウンドに出たら上下関係はないから、自分の強みを発揮しろ』と話をいただきました。そこでやはりグラウンドで表現をする、チームというよりは競争、チーム内でその競争に打ち勝つということを、念頭に置いてやりました。試合のメンバーに入ることにつながってからは、チームをどう勝たすかいうことで、自分の役割を明確にして、自分の強みを発揮することを考えて練習してきました」
――ご自身の強みはどの部分だと感じられていましたか。
「これはもう明白で、自分の一番の強みというのは、ボールを持って前に出ることです。それを明治でも一番に求められていたのかなと思います」
――現役時代チームとして苦しい時期も経験されていると思いますが、当時の心境はいかがでしたか。
「1年生の時に優勝、2、3年が準優勝、そして4年がキャプテンとして結果を残せませんでした。2回戦で負けましたが、1年生の時に偉大な北島(忠治)監督が亡くなってからはチームが迷走しながら、コーチも選手も悩みを抱えながらやっていた中での3年間でした。4年の時に結果を出せなかったっていうのを今でも強く覚えています」
――どのような部分が一番苦しかったですか。
「自分がキャプテンの時は、今の時代ではあり得ない話なんですが、練習メニューからメンバーまで自分が考えていたということが苦しかったです。それを1人で考えてやっていたということが一番の勝てなかった要因かなと思います。ただそれをみんなが認めた上でのことだったので、今も同期と話す際は本当に厳しかったという話はしていますね」
――現役時代、明早戦というものにはどんな思いで挑んでいましたか。
「大学選手権で優勝するという前の大きな試合で対抗戦最終戦の早明戦というのは特別なものは感じていました。実際にメンバーの中では早明戦に出ることが目標の選手もいたので、特別なゲームだったのかなと思います。個人的には大学選手権で優勝するということを目標に思っていました。ただ通過点にしては非常に大きなビッグマッチでしたし、やはりそこでしっかりと勝ち切るということが、優勝につながる試合ではあるので、それだけ早稲田の存在っていうのは大きかったかなと思います」
――様々な分野で活躍されていますが、明大で学んだことが生きているなと思う瞬間はありますか。
「明治での4年間というすごく厳しい経験が全てに生きているかなと思うんですけれども、何かあっても逃げない、トラブルやハプニングがあっても動じないとか、そういう心の持ち方ができるようになったというところが一番大きいと思います」
――4年間プレーした中で、ご自身の一番印象に残っているプレーはありますか。
「最近でもよく言われるのが、大学3年生の大学選手権準決勝で慶応と戦った際の、ロスタイムでの逆転トライですね。この時に一般のスポーツ新聞の一面になったことがあります。自分の記憶にもすごくあるんですけれども、卒業してもう20年以上経つのに慶応の人に『あの斉藤か』と言われることもあるので、強く残っています」
――4年間で一番印象に残ってうれしかった試合もその試合ですか。
「もちろん慶応戦でインゴールに駆け込んだ時に仲間が集まってきてくれたのはうれしかったです。でも一番は僕がキャプテンで、4年生が負けて終わって夜みんなで集まって飲んだ時に、同級生が涙を流しながらいろいろ話したことが一番の思い出です。キャプテンとして同級生全員を試合に出せることはもちろんできなかったので、僕としては同級生をみんな試合に出したかったんですけど、それができませんでした。ただ、その夜みんなで飲んだ時にちゃんと理解して涙を流してくれたっていうのが一番いい思い出として残っています」
――現役選手へのメッセージはありますか。
「勝利するために日々努力していると思うんですけれども、今回の日本代表のように努力が報われるということは必ずしもないです。ただ、やはり勝つためにその努力をして一生懸命やることが、ファンや応援する人の胸を打つと思うんですよね。なので、決してミスや失敗したからといっても下を向かないで、努力し続けてほしいなと思います。もちろん優勝をしてほしいという気持ちはありますが、たとえできなかったとしても、その努力が結果的に次につながると思うので、とにかく優勝を目標にうまくいかないことでも諦めずに日々努力し続けてほしいなと思います。また、100周年という節目でOBの期待は大きいですが、気負いせず、自身と仲間を信じてプレーしてほしいです」
――ありがとうございました。
[廣末直希]
◆斉藤 祐也(さいとう・ゆうや)平12営卒。1977年4月28日生まれ、東京都出身。
現在、子供のラグビー指導と解説者を行っている。ラグビーの魅力を伝えるということをまず一番に考えており「子供のスポーツ指導をする上でラグビーをうまくするということはやってないんです」とラグビーを通して、人間形成、人間教育を大事にしてラグビーの普及活動を行っている。
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