(76)第533号ラグビー明早戦特集号企画面拡大版 吉田義人氏「監督の4年間は忘れられない」

2023.11.30

 今年度創部100周年を迎えた明大ラグビー部。私たちは「明大スポーツ第533号ラグビー明早戦特集号」発行にあたり、明大の著名なOB5名にインタビューを行った。本企画では紙面に載せきれなかったインタビューの拡大版を公開します。

 

 第3回は吉田義人(平3政経卒)氏のインタビューをお送りします。(この取材は11月11日に行われたものです)

 

――現在の明大ラグビー部で印象に残っている選手はいらっしゃいますか。

 「やっぱりキャプテン(廣瀬雄也主将・商4=東福岡)ですかね。1年生から出ていていい選手だなと思っていました。100周年のキャプテンに任命されて、いろいろな意味でプレッシャーを感じているんだろうなと思いますが、その中で成長していってもらえればいいなと思います」

 

――在学時の4年間で一番印象に残っている試合を教えてください。

 「キャプテンに任命された4年生の時の大学選手権決勝で、早稲田と戦って決着をつけられた試合ですね」

 

――今でも鮮明に覚えていらっしゃいますか。

 「覚えていますよ。一生の宝物ですよね。1年間、どう戦うかを4年生たちと話し合いながら一番いい方法を取って改革をしました。当時はマスコミに“明治維新”って言われていました。いろいろな改革を仕掛けて取り組んできて、それが最終的に選手権優勝という形で報われたので良かったです。だからあの365日は本当に中身が濃かったなと思います」

 

――改革は具体的にどのようなことを行なったのですか。

 「いっぱいあるのでキリがないですね(笑)。例えば、1年生の仕事の中に『起床の時間に食堂のベルを鳴らして起こす』というものがありました。選手たちは試合の80分間の中でタイムマネージメントをしなければならないのに、人が鳴らしたベルで起こされるのはおかしいと思って。自分で目覚ましをかけて起床するべきだと思い、ベルのルールは撤廃しました」

 

――ファンの中でも記憶に残る試合の一つ、雪の明早戦を振り返ってみていかがですか。

 「前日から雪が降っていて、朝起きたらもう真っ白な雪景色で。ここは秋田かなと思うくらい(笑)。東京であんな雪を見たのは初めてでした。ニュースをつけると交通機関はまひしていて電車も動かないみたいで。今日は雪だから試合も中止になるかもしれないみたいな話もあって『東京は雪が降ったら試合をしないんだ』と思いましたね。それでもいろいろな関係者が一生懸命雪かきをしてくれて。国立競技場にすごい雪の壁ができて、あれはどんな映画の大道具さんもセットできないくらいでした(笑)。そんな中で、試合を行うことができました。(試合では)1年生ですから4年生に迷惑かけないように必死でした。1年生ながらずっと開幕戦から出ていましたけど、3週間前に大きな肉離れをして前週のゲームも出ていなかったんです。2週間で治ったので練習を始めたんですけど、メンバーには選ばれないだろうなと思っていました。そうしたら北島忠治監督から明早戦のメンバーだと言われて。明治からは1人だけ1年生で出場しました。雪の中でも応援がすごかったのを覚えています。当時は前日から徹夜で並ぶ学生のイベントになっていました。みんなに応援してもらえればやはり選手たちの大きな力になります」

 

――北島忠治監督はどのような存在でしたか。

 「北島忠治監督のことは、僕は自分のおじいちゃんだと思っていました。すごく優しくて温かくて。もっと若かった時は本当に怖かったらしいんですけど、僕は全然怖いと感じたことはないですね。もちろん、明治大学ラグビー部の監督なんだっていうところはある上で、自分のおじいちゃんだと思っていました」

 

――吉田さんが入学前から北島監督には目をかけられていたと伺いました。

 「そうですね。1年生で入学前に新人合宿っていうのがあって、まだ明治の公式な学生ではないので公式戦には出られないのですが、遠征のメンバーに入れられていました。マネジャーが『まだ新人は学生じゃないから出られないんです』と北島監督に説得したという逸話もあります(笑)」

 

――大学2年時には日本代表も経験されましたが、明大の練習との両立は大変ではなかったですか。

 「一人のプレイヤーとしてどのようなプレーをしていくかというだけです。世界でいろいろ学べるけれど、やっぱり明治でやっていた吉田義人のスタイルがあったからこそ、代表に選んでもらいました。だから北島忠治監督の『直線的に前に行きなさい』という教えは、ものすごく自分のプレースタイルの参考になっていて、真っすぐな動きでステップを切っている感じです。根本のプレーは代表でも明治でも変わらずやっていました」

 

――監督に就任されていた時期を振り返ってみていかがでしたか。

 「監督を請け負った時の明治大学ラグビー部は大学選手権に出られないくらいで、対抗戦で6位まで落ちて低迷していた時期でした。その中で白羽の矢が立って。僕は元々、人として、学生として応援される、愛されるような人になっていかないといけないという気持ちがあって、そんな学生をしっかりと育ててほしいっていう学長の意向もあって就任しました。低迷していたチームを、監督最後の年には対抗戦で16年ぶりの優勝まで引き上げました」

 

――監督時代で一番印象に残っている試合を教えてください。

 「監督最後の年の明早戦です。早稲田に勝って、対抗戦16年ぶりの優勝をしました。試合終了間際まで負けていて早稲田にボールをキープされ続けていました。あと30秒キープされ続けたら負けていたんですけど、選手たちが最後に押し戻してボールを取って、そのボールを最後までつないでゴールポスト真下にトライをしました。でもそれだけでは勝てなくて、ゴールが決まって勝ちという場面でしたが、そのゴールをしっかり決めてサヨナラ勝ちですよ。すごいゲームだった。4年間彼らを指導してきたので、最後まで絶対に選手たちはやってくれると信じていました。選手たちのことはずっと信頼し続けてきたから、彼らとの4年間は本当に忘れられないです」

 

――日本一を達成するために必要なものはどのようなことだと思いますか。

 「まずは明確な目標を掲げて、そこに毎日毎日の計画を持って日々成長を確認して終える。そして本物の情報から必要な練習の計画、内容と量、時間と質を考えることですね。あとは、最後までやり切る覚悟を本当に持っているのかどうかですね。信念とも言うかな。やっぱりキャプテンの存在も大きいと思います。模範となるようなキャプテンの姿勢を見れば、「あのキャプテンを支えていこう」というメンバーもどんどん増えてくると思います。大学ラグビーは、特にプレーする学生のキャリアがそこまで進んでいるわけじゃないので、学生スポーツではキャプテンの存在がすごく大きいなと思います」

 

――対抗戦・明早戦に特別な思いはありますか。

 「対抗戦グループで最終週、12月の第1週って決められていて、しかも国立競技場っていう会場が用意されている。これは特別ですよ。学生スポーツでそんなスポーツないです。大学選手権にいったらトーナメントなので自然に力がついてくるんです。だから早明戦までにしっかりチームは作らないといけないと思っていました。明治に入ったら早稲田に勝ちたいってみんな思っていましたし、選手たちが社会に出て『俺は早稲田に勝ったんだ』と自信を持って言えるようにしたかったという思いがありました」

 

――現在も指導者として活躍されていますが、指導する上で大事にしていることはありますか。

 「選手たちを信頼するということですね。心技体という言葉がありますが、一番大事なのは心の充実で、心の充実があれば体を鍛えることもできると考えています。そういう人間が、初めて技術を学ぶことができるとずっと言っています。僕の元にいる選手たちは自立して、心を充実させて体を鍛えて技術を学ぶ権利も持っています。そこには信頼しかないです」

 

――ありがとうございました。

 

(取材・撮影協力:帝京科学大学)

[豊澤風香]

 

吉田 義人(よしだ・よしひと)平3政経卒。1969年2月16日生まれ、秋田県出身。

現役時代のポジションはウイング。明大在学時には主将を経験し大学日本一へ導く。2009年から2013年まで明大監督を務める。現在は7人制ラグビークラブチームサムライセブンの監督を務める。