

向谷内海都 明大を担うポストへ 終わりなき成長
今年度U—19日本代表に選出された向谷内海都(営1=氷見)。中学時代に3度の全国3位を経験し、ハンドボールの名門・氷見高に進学。しかし、高校では輝かしい成績を収めることはできなかった。その悔しさをバネに、明大に新風を巻き起こす。
成長をする中で
小学3年次に地元・富山県氷見市で行われた春の全国中学校大会(以下、春中)を観戦。「自分もやりたい」という思いが芽生え、ハンドボールを始めることに。
中学時代には2年次から試合に出場し、春中で全国3位に貢献。3年次には2年連続となる春中3位に加え、全国中学校大会でも3位という好成績を収めた。個人でもナショナル・トレーニング・システム(NTS)に選出されるなど順調に競技人生を歩んでいく。しかし、中学最後の大会となったJOCジュニアオリンピックカップ北信越大会の予選で敗退。華々しい結果を残してきたが、最後は悔いの残る形に。「絶対高校で見返してやろう」とリベンジを誓った。
苦しんだ3年間
高校は、自身の中学時代に3冠を達成した氷見高へ進学。だが、待っていたのは新型コロナウイルス感染症による活動自粛だった。筋トレなどの個人でできることに励みつつもハンドボールはできない日々。「目指すものもなくなって、モチベーションを保てない時期もあった」。練習が始まっても、練習時間の短縮、ウエートルームの使用時間や人数の制限が行われた。その中で、いかに効率よく練習するかを追い求めるうちに、対応力を身に付けていく。
高校3年次には周りに推薦され、キャプテンに就任。コロナ渦の3年間で得た対応力を生かし、全国優勝を目指してチームを率いた。「個人のことだけじゃなくてチームのことを考えるようになった」。しかし、全国高校選抜大会では初戦敗退、インターハイも2回戦敗退という結果に。高校でのリベンジを誓ったにもかかわらず、それを実現できずに終わってしまった。その悔しさはチームメイトを気にかけることができず、自分のことで精一杯になるほどだった。
飛躍の4年間へ
現在は、U—19日本代表に選出されている。「(周りが)レベル高いなと思った。自分に新しい刺激を与えてもらっているなと感じる」。コミュニケーションを通して、相手選手に対する守り方や味方選手の生かし方を考えてプレーするようになり、普段とは異なる環境で成長を感じている。その貴重な経験と高校時代に培った対応力は武器になるはずだ。今年度の秋季リーグ戦で7位に終わった明大。彼のプレーがチーム飛躍へのカギとなる。
[堀口心遥]
(写真は本人提供)
◆向谷内 海都(むこやち・かいと)営1、氷見高。全商簿記1級を取得。靴の両面テープは「きれいに巻きたい」。187センチ・90キロ
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