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(8)宇田幸矢 インタビュー拡大版

卓球 2023.07.13

 7月13日発行の明大スポーツ第529号で裏面を飾った戸上隼輔選手(政経4=野田学園)と宇田幸矢(商4=大原学園)の、紙面では字数の関係で割愛したインタビュー拡大版を掲載いたします。

(この取材は6月20日に行われたものです)


――今年度の世界選手権のダブルスを振り返っていかがですか。

 「ダブルスに関しては優勝を目指していたので、そこで勝てなかったっていうのはもちろん悔しいです」

 

――2回戦まで振り返っていかがですか。

 「2回戦までは順調に駆け上がったのかなというか落ち着いてプレーできましたし、本当に順調だったと思います」

 

――ベスト16の試合を振り返っていかがですか。

 「あのドイツのペアに関しては、以前までの大会への出場も多くないですし情報が少なかったので、どういう戦いになるかっていうのがコート立ってみないと分からないっていう中で、個々の強さがあったのかなと思います。思ったよりペアリングもコンビネーションもすごく良い上に、やっぱり個々のシングルスとして両選手強いので、そこの技術力にもやられたのかなという。圧だったりが序盤気になって、点数取られてしまいました」

 

――試合終わってから戸上選手と何か話したことはありますか。

 「コミュニケーション取れなかったし、戸上とは長年組んでいるからこそお互いを分かっているような感じで試合してしまっていました。コミュニケーションにもつながっていくんですけど、もっと大事にいった方が良かったんじゃないかっていう話はしました」

 

――今大会ダブルスの良かった点と悪かった点はどこですか。

 「良かった点に関しては、世界選手権の前の大会だとシンガポールで参加した大きい大会があるんですけど、そこの大会で結果よりも世界選手権につなげるための技術を試していました。例えば僕でいうと、台上技術だったりチキータからの展開、僕はチキータっていうバックハンドの技術のレシーブからの展開が得意なんですけど、そこをあえて攻めないで守りから入るというか、ツーバウンドで相手の台に収めるストップっていう技術からっていうのを多めにその大会でしていました。そこは世界選手権でもすごく良かったのかなと。あとは僕自身バックハンドの技術っていうのも上がっていました。そうすることで苦手だった展開も作戦として点数につなげられるようになりました。世界選手権では良かった面は、特に1、2回戦では見れたので、良かったです。悪かったところはやっぱりコミュニケーションが取れなかったのと、優勝狙ってる中で弱気というかちょっと縮こまってしまったプレーが多いところですかね。長いゲームの中でいろいろやっても良かったんですけど、最初から最後までパターンが一緒になってしまったので、そこが反省点です」

 

――急きょ出場することになったシングルスはいかがでしたか。

 「1回戦はだいぶ競った試合でしたが、確実に負けてはいけないラウンドだったので、緊張感もありました。ダブルスで出る予定だったので、すごくメンタル面でも技術面でも世界選手権に向けて準備してきたことはあったので、急きょ出ることになっても心境は変わらなかったですし、1回戦では負けられないというところがあったので、1回戦は試合時間が長く感じました。2回戦3回戦は比較的いい試合ができたのかなと感じます」

 

――3回戦の王楚欽選手(中国)との試合を振り返っていかがですか。

 「王楚欽とは初対戦で、他の中国の強い選手とは何回もやったことがあったんですけど、王選手とは年代は近いんですけどなんだかんだ初めて戦って、やってみての実感は思ったより戦えたという感じですね。戦術だったり、駆け引きの中でモノにできれば、勝つまではこう正直なかなか簡単ではないんですけど、でも自分がイメージしたよりはやれてるっていう感じです」

 

――第1、2ゲームはかなり競った展開だったと思いますが、振り返っていかがですか。

 「1ゲーム目は序盤に大きくリードしたと思うんですけど、そこはなんかお互い初対戦だったのでお互い探り探りでした。ボールとかもやっぱりお互いのタイミングも合わないですし、いずれ追い付かれるっていうのは頭の中にあったので、大きくリードした後にまくられた時もまぁそうだよなっていう。ブレることなく戦えたっていうのは良かったと思います。2ゲーム目は正直取りたかったです。やっぱりちょっとテンオールのところで自分が取れるボールをミスしてしまったり、もったいないミスもあったので、このセットを取っていればもう少し相手の引き出しも出せたと思いますし、あっちが戦術を変えないといけないとか、また違った試合になったのかなとは思います」

 

――第3ゲームは11―4とゲームを取りましたが、取れた要因は何でしょうか。

 「振り返ってみるとこう、自分から仕掛けるボールっていうか、狙いにいくっていう積極的にこう攻めの姿勢が多かったのかなというふうに思ってます。そこがかみ合ったのかなっていう感じです」

 

――惜しくも敗れてしまいましたが、戦って得た事であったり感じたことはありますか。

 「やっぱり基礎力が高いなって。もちろんフォアハンドも打たれたら取れないくらい速くて、球の重さっていうのもあるんですけど、そこももちろん強い上で、当たり前に基礎でみんながやるような技術っていうのが本当にミスしないです。細かい台上技術を見てるとラリーとかすごい速いボールとかに目がいくと思うんですけど、こういうことももちろん強い上でなんか細かい技術力、チキータの精度だったり、ストップの精度だったり、サーブの精度だったりっていうのが本当に高いなっていうふうに試合をして感じましたね」

 

――試合を終えて気持ちの面はいかがでしたか。

 「やっぱり強いなっていうふうには思って、相手との差も感じたんですけど、思ってたよりもできたというある意味ポジティブにとらえる部分と、感じた差もあるのでそこを埋めていかないといけないと強く感じました。次のダブルスの試合も重要だったので、心境は複雑でしたね。そこでは整理ができず、試合終わってベンチ帰って、ちょっと裏に行ってこうだったなと監督とちょっと話して自分で少しは考えたんですけどやっぱり今回自分が力を入れてたのはダブルスで金メダルを取ることが自分の役目だと思っていたので、試合終わった後は切り替えるというか、ダブルス頑張んないといけないっていう方向にポジティブに持っていきましたね。調子が良いんだぞって自分に言い聞かせてダブルスを準備する方向にシフトチェンジしました」

 

――今年度と2年前の個人戦の同大会を比べてご自身が成長したなと思う点はありますか。

 「前回の世界選手権は試合前に亜脱臼してしまって、できることが限られてしまっていました。それに比べて今回は技術力がその時よりもちろん全体的に上がってると思うんですけど、今回は結果がダブルスでは良くなかったですけど、2年前に比べたら強い自分を見せれたというか、そこは良かったのかなと思います」

 

――宇田選手にとって世界選手権とはどのような大会ですか。

 「やっぱり他の大会だと、WTTの大会だったり世界ランキングを上げに行くという目的で大会に出場して勝ちにいいきます。ですが、世界選手権はもちろん世界ランキングを上げられるポイントが高いんですけど、そこよりもやっぱりまずはメダルを取ることだったり優勝だったりを狙って、結果を残すことが大事になってきます。他の大会とは違って、日本代表としての戦いだって思うのがあるのかなっていう大会ですかね。自分にとってはやっぱり今まで出場してきた中で一番大きい大会になるので、一番背負って戦ってる感はありますね」

 

――東京五輪ではリザーブメンバーに入りました。その時の心境はいかがでしたか。

 「全日本優勝していい年でもあったし、けどやっぱり日本代表で4番目っていう位置っていうのは結構悔しい位置ではあるんですけど、東京オリンピックに出た3人のメンバーがベストだと思っています。まだ勝ち上がり始めたというか、本当の意味でトップに行き始めた時だったので、そこは逆にリザーブ選手として選ばれることに対してうれしく思ってましたし、実際に試合を見て他の大会ではない緊張感っていうのは自分がプレーしてなくても感じてくるぐらい、1点の大事さというか遠さ。無駄な1点もったいない1点のミスをしてしまうと一気に流れが変わってしまうとかっていうのは、オリンピックってある意味怖いんだなっていうか、それぐらいみんなが目指してるものなので、選手たちのプレーで感じましたね、熱い思いを」

 

――間近で選手たちのプレーを見て、差を感じたのですか。それとも自分ならやれると感じたのですか。

 「その時は頑張らないとなって思いました。あそこでプレーするって考えた時に、技術力もそうですし、精神的にも準備しないと(いけないなと)。戦ってみたら意外とっていうことって結構あるんですよ、僕自身も世界選手権1回目戦った時とかはこういう感じなんだ、見てるものと自分が実際立ってみる(のは違うなと感じました)。もちろんオリンピック立ってみないとどっちになるのか分かんないですけど、意外と緊張しないっていうのも全然あります。その時は未熟だなというか自分自身のプレー自体をもっと磨いていかないと駄目だなと感じました」

 

――男子団体は銅メダルを獲得。その光景を間近でみてどんなことを感じましたか。

 「勝った時は本当みんな泣いていました。これくらい思いを背負ってやってて、選手とかにしか分からないことあると思うんですけど、僕自身も間近でサポートだったり、応援もしていました。もちろん出る選手とこうずっと近くにいたので、喋ったりしててやっぱり緊張してるんだとか、こう思ってるんだなっていうのは感じてましたけど、勝ち決まった時はやっぱ背負ってるものが大きいんだなって感じました」

 

――リザーブメンバーとしての経験が今になって生きたなっていうタイミングはありましたか。

 「今でも生きています。やっぱ僕のプレースタイルって、特に3年前とかって、当たれば強いし、けど簡単なミスもしてしまうんですよね。これだとオリンピックでは勝てないなって思って、強い部分は強いけど弱い部分はすごく弱いっていうここのギャップが結構あって、間近でオリンピックを見て、やっぱうまい選手とやると崩されちゃったり自分ができないプレーとかになってしまうので、そういう時にそこが自分は崩されてしまうんじゃないかっていうのは強く感じました。そこからバランスよく苦手な技術とか克服してきましたし、そこで意識は変わりました。それが今やっとプレーとして実際に見えてきて使う場面も多くなってきて実感はしてます」

 

――東京オリンピック直後はどのような目標を持っていましたか。

 「やっぱ出たいなと思いました。強く今まで思っていたよりもそこに立ちたいなっていう思いと、純粋にかっこいいなと思ったのでそこにやっぱ立ってみたいと思いました。今まで以上にオリンピックに対する思いってのは強くなりましたし、あとは結局今国内選考になっているのですが、当時は世界ランキングがオリンピックの基準だったので、そこを上げるためにどうするかっていうことを結構考えてました。まずは世界ランクを上げるってことにフォーカスしながら目標を立てました」

 

――2021年の世界選手権で戸上選手とダブルスを組んで銅メダル。振り返ってみていかがですか。またメダルを取れた要因は何でしょうか。

 「戸上とは同じ年代で同級生の時からライバルでもありますし、引っ張ってきた仲間でもあるので、その中で戸上と組んで勝つというのは自分の中で特別な思いもありました。世界選手権はあの時に出せる、僕がケガをしてしまっていた中で出せる実力ってのは最大限出せた大会だったのかなと思います。それで取れた要因としては世界選手権前にアジア選手権があったんですよ。そこまでパッとしないというか自分たちのプレーの役割を再認識できた大会がアジア選手権でした。金メダルを取ることができました。アジア選手権の大会の前にも試合があって、そこで負けてしまって改めて見つめ直してミーティングとか監督からアドバイスもらったりして、お互いのプレースタイルを見直しました。その大会以降世界選手権だったり全日本優勝したりっていう、コンスタントに結果を出せるようになってきました。お互い攻撃力がすごくあるので、これあるあるなんですけど、攻撃力ある人ってお互い安定感に欠けるんですよ。結局負けちゃうみたいな試合が多くて、僕自身もあんまり打たないようになりましたし、その分戸上にも打っていいよって言っています。そういうバランスっていうのを再認識してからアジア選手権優勝して、自信がついて世界選手権迎えられたのが大きかったですね。世界選手権っていうよりはそのアジア選手権が大きかったのかなと思います。もちろん優勝っていう結果があって自信にもなったというのもありますし、その大会の中でお互いバランスが取れて、しっくりきたっていうのが大きかったです」

 

――2022年からはWTTの大会に多く出場されました。何か意図はあったのですか。

 「オリンピックに出るためには結局国内で勝たないと厳しいんですけど、国内で勝てるけど海外で勝てない選手、海外で勝てるけど国内で勝てない選手とかいるんですよ。海外の経験を増やすためにWTTにもいっぱい出てましたし、ドイツのリーグにも参加しました。世界ランキングを上げることを一番にやってましたね」

 

――海外での試合に出る中で得たものは何でしょうか。

 「ベテランの選手とやる機会があって、今の日本の国内は若い選手が多いので、そういう選手とやることで、技術的にどうかというよりは頭をどう使うかということが大事になってくるという学びが大きかったのかなと思います」

 

――五輪の基準が世界ランクから国内選考に変わりましたが、どう切り替えましたか。また、戦略的に変えていったことはありますか?

 「当時から世界を目指していたので変えることは特になかったですね。自分の道をぶらさず、でも出ないといけないっていう思いもあるので、そのバランスっていうのも難しかったんですけど、やっと国内の卓球に慣れてきたっていう感じです。やっぱりピッチが速いですよね日本の選手って。あと若い選手は思い切りがあります。僕もまだ若いですけど、そういうところで自分のプレーができなかったっていうのもあるので、自分が結構パワー系なので、戦術的に勢いは抑えてピッチを変えました」

 

――ここまでのパリ五輪選考レースを総括してください。

 「なかなかポイントを稼げる機会が多くなかったのでまずいなとは思ってました。とりあえず自分が強くなっていくことを第一に考えて、ポイントがどれだけっていうことを考え過ぎると自分にとって良くないというか、それを考えることで卓球に出る影響というのも分かっていたので。全日本選手権でベスト8だったり前回の試合(全農カップ平塚大会)でも5位になったり、去年に比べるとポイントもちょくちょく取れて、今追い上げ中って感じですね。もう後がないのでその中でポイントを稼いでいく。もちろん張本戸上は強いと思うので、まずは3番の位置につけれるように。今年からポイントも倍なので、チャンスはかなりあるのかなと思います」

 

――明大入りを決めた理由を教えてください。

 「活躍されてる選手は明治大学っていうのも多いですし、幼稚園のときから明治大学で練習してたんです。家が調布なので4歳くらいのときから何かとつながりがあって大学に入る前から行かせてもらったので、すんなりと入りやすい環境にあったっていうのもありました。OBの方々の活躍だったりもありましたし、髙山さんの熱い言葉もあったりして、当時は迷ったりしてたんですけど、自分に合うのはここなのかなと思て決めた感じです」

 

――戸上選手との関係性や尊敬している部分を教えてください。

 「普段も仲良いですし、海外にいる時はずっと一緒にいます。ただお互い国内に帰ってきて反省練習するときもあると思うのですが、お互い練習相手を見つけて別々でやるので大学で一緒にっていうのは少ないと思うんですけど、あんまダブルスの内容でもめないんですよね。パートナーが言ってるからこうする。こうした方がいいとかは僕自身はすんなり入ってきますし、長い付き合いでもあるので、そういう面では信頼関係も高いのかなと思いますね。尊敬している部分はえーっと戸上って意外と波がないんですよ。難しいですね。僕が長く続けて思うのは一定でずっと頑張れるんですよ。ここはオフだからずばっと切るとかは選手としては大事ではあるんですけど、そんなに休んで大丈夫なの?っていうくらい休むっていうか休養を取ってたりもあるんです。それは別のトレーニングをしてたりあると思うんですけど。練習する中だったり私生活だったり、同じペースで頑張るんですよ。気合入ってるからめっちゃ頑張るとかはないんですよね。練習量は明治の大学生よりは長いですけど、継続できるんですよねずっと同じ熱量で。僕はそういうタイプじゃなくて、オンとオフが結構激しいので、やり過ぎちゃうときとかあったり、それでケガしがちなので。選手としてモチベーションが上がらない時もあります」

 

――自己管理ができるということなのでしょうか。

 「自己管理っていうんですかね(笑)。私生活はどうなのか分からないんですけど、抜けてるところもあるんですけど、淡々と継続して頑張れるって言うところですね。

 

――団体インカレがあると思いますが、昨年度の同大会を振り返っていかがですか。

 「去年は僕自身負けちゃったりしたんですけど、その分チームみんなで勝ち取った本当の意味での優勝だったのかなと思います。個人的には反省点はたくさん残りながらの優勝でした。僕自身高校生からJOCエリートアカデミーにいて、団体戦とかのチームとして大会に出る経験はなかったので、団体戦のいろいろなことを学べたのかなと思います」

 

――今年度のインカレの意気込みをお願いします。

 「2年連続でグランドスラム達成したかったと思うんですけど、僕自身も去年はリーグ戦に2試合くらいしか出れなかったり、だからこそ僕自身もインカレに懸ける思いも高まったというのもあります。今年は春季リーグ戦優勝逃してしまったので、僕も出れてないし戸上も出てないしフルメンバーではないので、他の大学も強くて、しょうがないと思うんですけど3位っていうのに燃えています。期待されて明治大学に入ってきて、監督にもたくさんお世話になって、選手としては結果で返すっていうのが1番大事だと思いますし、髙山監督も一番気合が入る大会だと思うので、優勝できるといいなと思っています」

 

――パリ五輪に向けての意気込みをお願いします

 「まずはポイントを稼いで国内で勝って、もちろん世界ランキングを高くしていかないといけないんですけど、まずは(パリ五輪に)出場できるように一試合一試合頑張っていきたいと思います」

 

――ありがとうございました。

 

[山岡慎、末吉祐貴]


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