
(205)箱根駅伝事後インタビュー⑯/山本佑樹駅伝監督(後編)
〝返り咲け明治〟。復活を誓うスローガンを胸に挑んだ箱根路。10区間中2区間で区間賞を獲得するなど紫紺の戦士たちが躍動するも、結果は総合12位。3度目の正直とはならなかった。今回はレース後の選手たちの声をお届けする。
山本佑樹駅伝監督のインタビューです。(この取材は1月6日に電話で行われたものです)
――8区の加藤大誠選手(営4=鹿児島実)はいかがですか。
「加藤は上りに強いところがあるので、彼にとって8区は一つ得意なコースかなと思いました。彼は2区に強いこだわりがありましたが、復路でシード権を取るには、そこで良い走りをする必要があると8区を頑張ってもらいました。最後上りで城西大を引き離したことはきちんと頑張ってくれたと思いますが、区間順位的にはもう少し上にいって欲しかったです。そこは小澤と一緒で実業団に行ってからの課題になるかなと思っています」
――4年生の中では唯一4年連続出走しました。明大を支え続けてきた選手として思うところはありますか。
「彼にはムードーメーカー的な部分もあるし、大きく外さない安定感は非常に大きいです。4年間しっかり箱根を走ったことは、自信になると思うし、評価としても高く見ています。しかも私自身がいたチームである旭化成に行くということで、マラソンで結果を出してほしい気持ちがあります」
――9区の下條乃將選手(情コミ4=東京実)はいかがでしたか。
「9区下條というのは割と早い段階で決めていました。下りもある中で難しいコースですが、しっかり押していけるだろうという期待でいかせました。緊張からか後半は少し浮いてしまって、推進力が前ではなく上に向いてしまった感じでした。もう少し後半が伸びれば良かったという感じですし、シード権を取るところで9区の走りがマイナスに大きく働いてしまったことは少し残念だったかなと思います」
――レース前の状態は良かったのですか。
「状態は良かったと思います。調整も上手くやれました。彼はマイペースに調整する方なので、彼のパターンとしてはうまく調整できていたと思います。ただ後半で少し浮いてしまったので、軽めに仕上げ過ぎてしまったかなという僕の反省もあります」
――10区の漆畑瑠人選手(文4=鹿児島城西)についてお願いします。
「彼も初出走で夢がかなったというところで、10区を走ってもらいました。前半は追わなければならない状況でした。しっかり自分の走りをしていましたが、中盤以降伸びが足りずなかなか前も詰まらず東国大の選手にも置いていかれてしまいました。後半をうまくまとめられませんでした。やはり9、10区の4年生が区間下位に沈んでしまって、シードまでいき切れなかったので、かなり漆畑も下條も反省をして、悔しい気持ちを持っていました。漆畑はここで初を経験したので、この悔しさを実業団で晴らしてほしいです」
――漆畑選手に関しては、6区の候補だった中、10区に起用した意図はどこにありますか。
「6区の準備をしている中で彼はしっかり力を付けてきたので、平地でもいける形でやっていました。ただ児玉(真輝・文3=鎌倉学園)、櫛田(佳希・政経4=学校法人石川)の影響で平地に回ったという急なプレッシャーは大きかったと思います。ただこの一年、Aチームでしっかり練習もしてきたので、そこは自信を持ってやってほしいなと思いましたが、自分に対する自信が少し持ち切れなかったというのもありました」
――こつこつと練習を積んできた漆畑選手が4年生で初出走にたどり着いたのは、指導してきた身としてうれしいものがありますか。
「富田(峻平・営4=八千代松陰)と似たような感じで、少しずつ精神面も成長していき、4年生もチームのためにと心身共に成長してきた形です。この4年間を見ると、よく頑張ったなという気持ちに浸りたくなるような感じです。富田との比較になると、富田は4年で結果を出しましたが、漆畑はまだ成長過程だと思います。実業団でも心も体も成長し、大きな結果を出してくれるんじゃないかと思います」
――今回櫛田選手は出走がかないませんでしたが、ケガの影響が大きかったですか。
「最後の調整はきちんとできて4区櫛田はもう大丈夫だろうという思いもありました。ただ本人には足に不安があり、29日のエントリーの前に念のため病院で診察をしたら疲労骨折という診断を受けてしまいました。疲労骨折と言われてしまうと気持ち的にも不安が大きくなってしまいます。いい状態で練習はできていたので4区に入れて、ギリギリまで様子を見て、我慢して4区でいくか、外すかの選択にしようと話し、4区にエントリーしました。しかし、僕自身もそうだったのですが、やはり足に不安がある中で、もしかしたら途中で止まってしまうかもしれないというリスクを背負ってわざわざスタートさせる必要はないという思いがありました。そこで、4区は尾﨑(健斗・商2=浜松商)に任せてバックアップに回ろうと元日の日に伝えて、当日変更しました」
――児玉選手も出走がかないませんでした、監督という立場からすると使いたかった選手だと思いますが、その点はいかがですか。
「2区へのこだわりが強かったですし、全日本大学駅伝の走りなどを見るとチームの軸であることは間違いないです。ただやはり櫛田と一緒で足に不安がある中で無理に出走させるという選択肢は僕になかったと思います。ただ本人はぎりぎりまできちんと準備してくれていました。最終的に他のメンバーの調子も良く、仲間を信頼してサポートに回ろうと本人と相談して決めました」
――今回惜しくもシードを逃したというところで、シード校との差はどのあたりに感じましたか。
「まずは僕自身の準備の仕方にミスがありました。結果は全てそこだと思うので、もっと僕自身が勉強をしなきゃいけないなと思います。ただ1区で区間賞など改善できた部分とできていない部分があるので、スタッフで手分けをしながらチーム全体を見ていかなきゃいけないなと、その差を感じています。あとは、やはり個々の能力でしっかり力を発揮するというレベルアップは当然必要だと思います。春先はしっかりトラックで記録を狙わせて、自信を持って戦いに挑めるようにしていきたいなと思います」
――現段階でまだ箱根から時間は経っていませんが、明確な反省点、改善点があれば教えてください。
「一番大きいのは5区、6区の準備です。吉川響(文1=世羅)の調整をうまく山仕様に持っていけなかったところがあるので、そこはしっかり改善しなければいけないと思っています。今年度は坂井優友トレーナーを入れてフィジカルトレーニングを行ってきましたが、この一年ではまだまだ必要なところまでは到達していないので、そこは根気強くやっていかなければいけないなと思います」
――山で反省点のお話が出ましたが、専門的な選手の育成などは考えていたりしますか。
「他の大学も含めてですが、山だけというのはなかなか作りづらい部分があります。やはり普通のトラックレースや平坦のハーフも走れないといけません。そこら辺の兼ね合いをうまく持っていかせる必要があります。ただはり一年を通して箱根の山を意識した上でのトレーニングは必要になってくると思います。その辺は吉川響と、あともう1人2人山候補の選手をうまく作りながらやっていかないといけないなと思います」
――現4年生は駅伝にたくさん出走してきた学年ですが、学年としての印象はいかがですか。
「4年生は横のつながりがしっかりしています。仲が良いという一言では言い表せないくらい連携の取れていた学年でした。小澤(大輝・政経4=韮山)がキャプテンになって小澤がやりたいと言ったことに対して、違う考えを持った選手もいたと思いますが、小澤が言うならと、バックアップ体制もできていました。一枚岩というのがぴたっとはまるような学年だったと思います。4年生がこの一年、小澤を中心として全員で引っ張ってくれたと思うので、実業団行く選手、そうではない選手がいますがOBとしてサポートしてくれたらと思います」
――4年生は6人が実業団で継続ということで期待することは大きいと思います。
「今年もそうでしたが、ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)でHondaが優勝して、1区の小袖(英人・令3政経卒)、アンカーの木村慎(平28商卒)など明治大学OBの先輩が活躍しているのを見ると箱根に弾みがつきます。富士通の横手(健・平28政経卒)の走りで勇気づけられた後輩は多かったです。そういった意味でニューイヤー駅伝の走りは期待しています。また、日の丸をつけて世界の舞台に出ていってほしいという思いもあります。ただ、実業団は学生以上のレベルなので、本当にまたチャレンジをしていってほしいです」
――来年度以降シード権に向けた戦いがまた始まる中、どのようなチームづくりをしていきたいですか。
「もう本当にとにかくチャレンジです。何度打ちのめされてもシード権を取りにいく姿勢を貫きたいです。また(今の)3年生が4年生になることでまた新しいチームカラーが出てくると思います。これだけ明治大学はいろいろな人が応援してくれたり、サポートしてくださったりするので、感謝の気持ちを力にしながら一から頑張っていきたいと思います」
――最後に来年度に向けて一言お願いします。
「今年度もまた少し残念な結果で、応援してくれていた人に残念な気持ちにさせてしまったのは非常に申し訳なく思います。ただ、学生一人一人は頑張っていますし、そういった学生の頑張りにエールをたくさんこれからもいただきたいです。それだけの頑張りを見せたいので、とにかくシード権獲得に向けて全日本も予選会からになりますが、しっかり勝ち上がって本戦で力を発揮できるように頑張ります」
――ありがとうございました。
[飯塚今日平]
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