

(34)明大OBパラリンピアン・森宏明選手に明スポ記者がインタビュー!
3月14日に閉幕した北京パラリンピック。クロスカントリースキーの日本選手団で唯一、座位カテゴリーに出場した森宏明選手(平31文卒・現朝日新聞社/HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS)。現在は朝日新聞社のスポーツ事業部で働きながら選手活動を続けている。今回は明大OBである森選手に北京パラリンピックのことや在学時のことについてお話を伺った。(この取材は4月7日に行われたものです)
野球少年だった森選手は小さい頃からスポーツに携わりたいと思っていた。高校時代の野球部ではエースで4番を担っていた。しかし、2013年に事故に遭い、パラスポーツに関わり始めることに。明大には2015年に入学し、文学部心理社会学科現代社会学専攻でに所属。大学3年次に荒井秀樹さん(北海道エネルギーパラスキー部監督、北京パラリンピックノルディックスキー日本代表チームリーダーなど)に声を掛けられ、クロスカントリースキーを開始する。競技を開始した傍ら、授業やアルバイトなど大学生活も充実させる。
――3年次に競技を始められたというのを拝見しました。それまではどのようなことをされていましたか。
「普通の大学生で、アルバイトをして講義を受けて帰ってみたいな学生をしていました」
――アルバイトは何をされていましたか。
「アルバイトはスポーツ施設で働いていました。出身が板橋区で、ずっとそこに住んでいたので、区のスポーツ施設で4年間アルバイトをしていました。トレーニングジムの事務スタッフもやりましたし、お金の受付の事務もやりました。なので、スポーツを始める前からとりあえず趣味的に鍛えていて、それで競技を始めるとなった時に元々基礎の体があったので始められました」
――現代社会学専攻ではどのようなことを学ばれていましたか。
「フィールドワークですね。SDGsの先駆けのようなことを授業でやっていました。サステナブルな工夫をしているところに行って話を聞くような環境社会学系のゼミをやっていました。無農薬の東南アジアの各国の発展途上国の農村リーダーを育成する農業学院が栃木にあってそこに行きました。夏休みには泊まり込みで農業体験をやっていましたね」
競技開始から5年で初めてのパラリンピックに挑んだ森選手。クロスカントリースキー男子スプリント(座位)で31位、男子10キロ(座位)で30位だった。また混合リレーにも出場し7位で入賞を果たした。北京大会から1カ月ほどたった今、次の目標を伺った。
「次の目標はやはり4年後も目指しています。今回、個人種目は散々だったのですが、サプライズでリレーを走らせてもらい、そこでは一応入賞をもらうことができました。その現状を踏まえると、また同じような競技をするのかというとそれはもちろんだめなので、やはり個人できちんとメダルを取れるくらいの準備をしないといけないなというのが自分の中では中期の目標ではあります。もっと言うと、少し何か自分の中で新しいチャレンジをしたいなと思っています。何をするかというと、新たに陸上競技をやろうかなと。クロストレーニングが最近割と主流じゃないですか。二刀流をどこまでできるか分からないしですし、パリ大会も本当に目指せるか分からないのですが、一つ自分のチャレンジとしてやってみたいなと思います。具体的に、何の種目をやるかというのはまだ決めてないです」
――今回の北京大会では、陸上競技と冬季スポーツを兼用している選手が多いと感じました。
「そうですよね。冬季スポーツは座って競技しているので、上腕の筋力が必要なのですが、夏季スポーツになると下半身の筋力が必要になってくるのでそこをどう使うかということがあります。夏冬両立というのは基本的にプレースタイルが似ていて、強化するべき部分が似ている競技をチョイスしている人が多いので、それは相乗効果でクロストレーニングの意味はあると思っています。ただ、僕の場合はどうなるのかなと思っています。いい意味で変に負荷を掛け過ぎないでシーズンごとで強化するポイントを変えるというのはケガのリスクは少ないのかなとは思います。『今日はこの上腕メニュー、次の日は……』と構築できるかなと思いますが、難しいですね」
今大会でクロスカントリースキーの座位カテゴリーからは唯一の出場となった森選手。自身が競技を始めた際も日本には座位カテゴリーの選手がいなかったという。北京大会前の会見でも「これからのシットスキーヤーがこれから始めようとか頑張ろうというきっかけにもなれたらいいな」と話していた。
「僕は『なんでここまで続けてきたのですか』とよく聞かれるのですが、課題感があったからと言います。僕が始めた時に僕1人しか座位のカテゴリーで競技者がいなかったので、それが始めるきっかけではありました。4年間目指す中で、僕は自分の強化と競技普及を両軸で進めてきたところもあって、そのおかげなのか、時代の流れ的に、競技者が増えました。結果的に、国内には僕以外にも何人かは選手がいる状態で、自分が活動してきた意味はあったのかなと思います。正直僕は今までスポーツをずっとやってきましたが、正直活躍のフィールドはスポーツではなくていいと思っています。今度はさらに、これから札幌の招致があり、そのときに活躍できる子たち、札幌を目指す子がもし出てくるのであれば、僕はそこのお手伝いをしたいかなと思っています」
――ありがとうございました。
取材を終えて
初のパラリンピックを終え、4年後を見据える上で現状に満足せず新たなチャレンジへ意欲をみせる姿が特に印象に残った。〝前へ〟進み続ける姿に明大生として感銘を受けた。学生記者として、スポーツに携わる者としてスポーツへの関わり方、パラスポーツの捉え方の新たな価値観に気付くきっかけとなった。明大生としてこれからも森選手の活躍を応援したい。
[聞き手:出口千乃、宮本果林、萩原彩水]
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