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(4)ルーキー特集 第3弾 ~住吉りをん編(1)~

フィギュアスケート 2022.04.08

 『やっぱり明治がナンバーワン』。このスローガンを確固たるものにするであろう大型ルーキーたちが明大に入学した。今回で5回目を迎えるルーキー特集。競技の話から選手の素顔まで、それぞれの魅力をお届けする。

 3人目は、4月13日から行われる世界ジュニア選手権に日本代表として出場する住吉りをん(商1=駒場学園)。今シーズンはこれまでと印象を変えたいと強い女性をイメージしたFS(フリースケーティング)を披露した。期待の新入生がこの春明大の門をたたく。

 

(この取材は3月10日に行われたものです)

 

――何歳からフィギュアスケートを始めましたか。

 「4歳からです。姉のスケート教室に付いていっている時に、姉を見て私もやりたいと言い出したらしいのですが、自分では覚えていません(笑)」

 

――初めての試合は覚えていますか。

 「一つだけ覚えているのは演技が終わって帰る方向を間違えてしまったことです。先生のところに帰らないといけないのに、帰るところが分からなくなってしまってとても焦ったのは覚えています(笑)。その頃はまだ遊びの延長線上だったのでとても楽しかったです」

 

――いつから遊びではなく競技として取り組むようになりましたか。

 「いまだに練習が楽しいと思えているので、どこにという区切りはなくて気付いたら生活の一部になっていました」

 

――辞めたいと思ったことはないですか。

 「本気で辞めようと思ったことは全くないです。(新しい技が)できなくてつらいとかスケートに向いていないのではないかと思うことはあっても、やはり好きだなと結局戻ってきます」

 

――どうしてそこまで好きになれるのですか。

 「スケートはいろいろな技もあれば表現もあります。好きなものを好きなように練習できることが自分に合っているのかなと思います」

 

――全日本ノービス選手権(以下、全日本ノービス)優勝について覚えていますか。

 「まさか優勝するとは思っていませんでした。断トツで上手な子が一人いたのですが、その子が失敗してしまって思ったより点数が出なくて。もう一人上手な子がいて私より全然上手といった感じだったのですが、その子も失敗してしまって。あれ?という感じで点数が出た時は本当に自分でもびっくりしました。まさか優勝するとはという感じで自分でも驚きしかない状態でした」

 

――演技は満足できるものだったのですか。

 「最初のジャンプだけ微妙だったのですが、ほぼノーミスでした。点数としては普通に出ていたので満足だったなと思います」

 

――優勝した翌年、全日本ジュニア選手権(以下、全日本ジュニア)に出場することができませんでした。その原因はありますか。

 「全日本ノービスで優勝したのはまぐれと言ったらあれですが、まさか優勝するとは思っていない状態から優勝すると、急に扱いや周りの目が変わってきてしまいました。それに自分が追い付いていない感じで『東日本ジュニア選手権(以下、東日本ジュニア)通過しなくちゃ、全日本ジュニアいかなきゃ』というプレッシャーに負けてしまった感じでした」

 

――どのようにプレッシャーを打ち破りましたか。

 「全日本ジュニアに出ることができなかったのが本当に悔しくて。それまで自分のルーティンを作ったことがなかったのですが、試合前のアップや試合に臨むときの気持ちでルーティンを決めるようにしました。毎回同じようなメンタルで試合に臨めるようにというのを次の年までに改善しました。次の年はうまくいった試合といかなかった試合があるのですが(メンタルの)波が少しおさまったと思います」

 

――高校のスケート部で思い出に残っているエピソードを教えてください。

 「私の最後のインターハイは、駒場(駒場学園)が本当に強くて、女子は優勝で男子は準優勝でした。シーズンが始まる前から『今年はチャンスだね』と言っていて、みんなで士気を高めていきました。そのおかげでみんながいい演技をできたと思います。私自身も頑張れて、みんなで頑張れたので思い出に残っています」

 

――高校3年間で悔しかったことを教えてください。

 「一番悔しかったのは高校1年生の時にケガで4カ月間、シーズンに入る時にケガが発覚してしまったので、その年の全日本ジュニアや全日本を観戦しにいったのですが、もう見ていてもつらくて。出るはずだったのに出たかったのにという気持ちがすごくつらかったので、本当に悔しかったです。一年棒に振ったのが悔しかったですね。(ケガの原因は)完全に使い過ぎで右足首を痛めてしまって

 

――大学に入学するまでのフィギュア人生を振り返っていかがですか。

 「かなり波はあるタイプだと思います。ケガで4カ月滑れなかった時もあったし、小さい頃から言ったら、みんながダブルアクセルを跳べるようになった頃に私はまだ全く跳べませんでした。同い年がみんなトリプルを跳べるようになった頃にようやくダブルアクセルに追い付いたみたいな遅れ組だったのですが、それから急にトリプルの習得が早くて、そこで一気に追い付いた感じです。そこから全日本ノービスで一気に上がったのですが、その次の年に東日本ジュニアで落ちてしまって。その後また上り調子になったと思ったらケガをしてしまって。けっこう波はある方だと思います」

 

[堀純菜]

 

(2)に続きます

 

♥住吉 りをん(すみよし・りをん)令4商入学、駒場学園高。髪の毛をミルクティー系の色に染めたい。156センチ


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