(2)ルーキー特集 第2弾 ~江川マリア編(1)~

 『やっぱり明治がナンバーワン』。このスローガンを確固たるものにするであろう大型ルーキーたちが明大に入学した。今回で5回目を迎えるルーキー特集。競技の話から選手の素顔まで、それぞれの魅力をお届けする。

 2人目は、昨年度まで福岡を拠点にし、3年連続インターハイの表彰台に立った江川マリア(政経1=香椎)。オールラウンダーである自身の強みを発揮しながら、新たな環境でさらなるレベルアップを目指す。

 

(この取材は3月19日に行われたものです)

 

――いつからフィギュアスケートを始めましたか。また、始めたきっかけを教えてください。

 「5歳で始めました。きっかけは浅田真央さんに憧れていて、テレビで小さい頃から見ていたのですが、自分も浅田真央さんみたいになりたいと思いフィギュアスケートを始めました。スケートをしたいというよりも、浅田真央ちゃんになりたい、そういった気持ちで始めました」

 

――浅田真央さんの好きなプログラムはありますか。

 「ゆったりとした優雅な曲が好きで『ノクターン』や『愛の夢』も好きですし、そういう感じでない曲だと、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』も好きです」

 

――今までの練習拠点についてのお話を聞かせてください。

 「スケートを始めたときからずっとパピオアイスアリーナで練習していました。2021年7月ごろにパピオアイスアリーナが休業して、それからは飯塚アイスパレスやアクシオン福岡などいろいろなリンクを転々としていた感じです」

 

――ホームリンクが利用できなくなった影響はどのくらいありましたか。

 「そうですね、影響は大きかったかもしれません。貸し切り練習だと、飯塚アイスパレスは元からそこで練習している方たちがいて、その方たちの練習が終わった後、23時までなど遅い時間に練習していた感じです。普通に学校に通っていたので、眠い中、学校に行って、お客さんがいない早い時間帯でないと滑れなかったりしたときは早退したりして、今まではホームリンクがあったこともあって早退などはしていませんでした。学業と両立するのが大変でした」

 

――どれくらい練習できていましたか。

 「練習量はかなり減ったと思います。土日は朝練ができましたが、平日だとそれまでは学校に行く前に6時ぐらいから朝練ができたのですが、飯塚アイスパレスなどはリンクが遠かったこともあってそれがなかなかできなかったですね。冬場はアクシオン福岡が開いていたのでそこで練習することが多かったのですが、しっかりと貸し切りで練習できたのは45分、それが週3ぐらいで。氷に乗れないわけではなかったのですが、営業時間にジャンプが跳べなかったりして、ジャンプを跳べる時間があまりなかったので、今までにない感じでした。短い時間ですぐに練習が終わってしまうのですが、リンクに入る前にウォーミングアップをたくさんして、リンクに入ったらすぐにジャンプを跳べるようにしました。あとは時間が短いと氷の上にいるときに調整するのが難しいので、よくイメージトレーニングをしていました」

 

――気持ちの面でも影響はありましたか。

 「自分が初めて滑った時からずっとそこで練習していたので、パピオアイスアリーナは家みたいな感じで、自分が毎日行く場所、生活の一部のような感じでした。休業の話を聞いた時は本当のことだと思えませんでした。実際にパピオアイスアリーナで練習できなくなってから、親が遠いリンクでも送り迎えをしてくれるなど周りの人に支えてもらえてでないとできなくて、普段も大変ですが環境が変わるとなると練習するのが難しいなと思いました。今まではリンクメートと和気あいあいと練習できていましたが、それもなかなかできなくなってしまい悲しかったです」

 

――そのような環境の中で迎えた高校3年次の全日本ジュニア選手権(以下、全日本ジュニア)を振り返ってみていかがですか。

 「これは後日談になるのですが、今シーズンずっと調子が悪かったわけではないのですが、ブロック大会(中四国九州選手権)が終わったあたりからジャンプが跳べなくなって、スランプみたいになってしまいました。西日本ジュニア選手権(以下、西日本ジュニア)も、その前日に若干跳べるようになったくらいで本当にぎりぎりの状態だったので、全日本ジュニアに進めたのも半分びっくりといった感じでした。それでも西日本ジュニアはいい成績で、その調子で全日本ジュニアもいけるかなと思ったりもしたのですが、元から調子が落ちている選手とそうでない選手とは、成長の幅をなかなか埋められないところがあって、実力不足だったのかなと思っています。西日本ジュニアは一見するといい成績なのですが、構成を落としたりしていてショート落ちしてもおかしくなかったです」

 

――全日本ジュニアで滑る前は不安が大きかったのですか。

 「自分の中で調子がいいときに失敗するのはたしかに悔しくて、調子が悪いときに失敗するのはまあまあ仕方ないなという感じに思っていたのですが、この間の西日本ジュニアのときは調子が悪くてもわりと結果的に良かったので、逆に『なんでだろう』と思って変な感じになってしまって。全日本ジュニアの前も本調子ではなかったのですが、それでもこれはいけるのかなと思って、自分の中で感覚がずれている部分があって、不安よりも自分がどれくらいできるのかが分からない状態で挑んでいました。でも不安はあったと思います」

 

――全日本ジュニアの結果を受けて、どのようなことを思いましたか。

 「本当に悔しかったです。調子が悪いと言いながらも、できないとは思っていませんでした。全日本選手権(以下、全日本)にいくつもりで1年間練習してきて、そのつもりで挑んだので、今だったら仕方ないと思えますが、『またか』みたいな感じで。その前のシーズンは、全日本ジュニアの順位が今シーズンよりも上ですが全日本を逃してしまったので。全力を尽くそうとは思っていましたが、実力不足だったのかなと思います」

 

――全日本ジュニアの後にもいくつか大会に出場していましたが、振り返ってみていかがですか。

 「それから調子が落ちることもなくて、どんどん調子が上がって、インターハイや国体でようやくルッツとトーループの連続ジャンプが跳べるようになってきたので演技に入れました。結局成功はしなかったのですが、短期間でかなり成長できたなというのは感じています。インターハイや冬季国民体育大会も完璧ではないのですが、結果を見て良かったのだなとなったときに、全日本に出ることが自分の中で一番の目標だったので『なんでできなかったのだろう』という後悔はいつまでもあります。来シーズン、シニアの舞台でリベンジできたらいいなと思います」

 

――高校2年次の全日本ジュニアは10位でした。その時と高校3年次の全日本ジュニアを比べてみて違いなどはありますか。

 「高校2年より前にも全日本ジュニアに出たことはあるのですが、毎回中途半端な順位というか下からといった感じで出場することを目標に練習していました。高校2年の時は初めて全日本のシードを目指そうと思って挑んで、その時はまだ自分に自信がなくて、それでもその時の西日本ジュニアが3位で点数的にはこのままいけば全日本いけるだろうと思っていました。ですが、その状況に自分の気持ちが追い付いていなくて、変にそれがプレッシャーになってしまって実力を出せず、その時は完全にメンタル面だなと思いました。高校3年の時は、全日本を目指して1年間頑張ってきたので、メンタル面の準備はできていました。自分は調子に波があるタイプで、実力のある選手なら調子が悪くても比較的まとめた演技をすると思うのですが自分はそれができなかったので、調子がどういう状態であってもまとめあげる力が必要だなと思いました」

 

――今シーズンのプログラムの選曲理由を教えてください。

 「SP(ショートプログラム)もFS(フリースケーティング)も石原美和先生に選んでいただいて、宮本賢二先生に演技をつけていただきました。SPの『ラストエンペラー』は、私は柔らかい曲調が得意ですが、はっきりとしたメリハリのある曲調はまだ自分のものにできていないと思っていたので、それを身に付けるために選んでいただきました。FSは、自分に合うからという理由で選んでもらったのもありますし『レ・ミゼラブル』の歌入りの曲なのでとても感情を込めて演技できると思い、そういう表現面での成長もできると思って選んでいただきました」

 

――プログラムにどのような思いを込めていましたか。

 「SPはバイオリン調の曲なので、指先や足の向きなど細部まで気を遣って繊細に演技するのを心掛けていました。FSは最初の方はゆったりしていますが途中から革命のシーンで力強い曲調になるので、そこはお客さんと一体となってお客さんを巻き込むような気持ちで頑張っていました」

 

――来シーズンのプログラムはどのような予定ですか。

 「SPもFSも変えません。新しいジャンプに挑戦したくて慣れたプログラムを続けるのも理由ですが、まだ完璧にそろえることができていないのも理由にあります」

 

――どのジャンプを新しく練習していますか。

 「新しく練習しているのは4回転トーループです。まだ練習してそれほど経っていませんが、前のリンクの時は練習時間が短くてあまりそういう練習をする時間がありませんでした。新しく移ったリンクはすごくいい氷で練習環境も良くて、今練習を頑張っています」

 

――福岡から東日本に移りました。

 「そうですね、東は来シーズンの全日本への枠がかなり少ないと思うので接戦になると思っています。毎回、全日本に進むメンバーがある程度は決まっているとは思うのですが、本当に自分が成長するしかないですね」

 

――東日本に移って練習拠点にMFアカデミーを選んだ理由はありますか。

 「MFアカデミーには、ヘッドコーチと呼ばれる中庭健介先生がいて、自分が福岡にいたときに3年ほど中庭先生に教わっていました。また教えてもらいたいという思いがあってMFアカデミーにしました。もしパピオアイスアリーナが休業していなかったら移るかどうか分からなかったのですが、もともとはずっと福岡にいて東京に行く感じではなくて。練習環境の良さ、自分自身もっと切磋琢磨(せっさたくま)できるような環境で練習したいのもあってMFアカデミーがいいなと思いました」

 

――明大に進学したのはなぜですか。

 「スケート部があって、関東の大学の中では一番強いのではないかというくらい高いレベルの選手が集まっているので、その一員として自分も頑張りたいなと思い明大にしました。五輪を目指すような選手がいて、自分もそこを目指せるような選手になりたいなと思います。インカレにも出たいなと思いつつも、選手層が厚いので、インカレに出られるように成績を残してインカレに出られたらいいなと思っています」

 

――新しい環境でスケートをすることに対してどのような気持ちでいますか。

 「わくわくしています。最初は不安もありましたが、MFアカデミーの子たちもみんな優しくて、いい環境で練習させてもらっていて毎日充実しています。福岡と東日本で分かれているので、東京ブロックの選手たちとは、全日本ジュニアで会うくらいしか機会がなくて。もちろん顔と名前はお互い分かりますが、そういうこともあっていろいろと初めてという感じでした」

 

――新しい練習拠点はいかがですか。

 「選手の意欲がすごいというか、バチバチはしていないですが毎日熱心に練習しているので、刺激を受けますし練習のやる気が出てきます。リンクでトリプルアクセルを見ることができたりして、お手本になる選手が年上にも年下にもいて、とてもいい環境だなと思っています。みんなで一緒に練習している感じで、お客さんがいないところで練習できる時間が確保されています。リンクが広くて広々できますし、朝の練習は1時間くらいスケーティングの時間みたいなのがあります」

 

[守屋沙弥香]

(2)に続きます

 

♥江川 マリア(えがわ・まりあ)令4政経入学、香椎高。佐藤駿(政経1=埼玉栄)と一緒に、大島光翔(政経2=立教新座)から履修についての話を聞いた。159センチ

 

(写真は本人提供)