
(30)パラ大学祭で3位! 悔しさ残る場面も
3月24日、第6回パラ大学祭が開催された。第4回大会に続き、明大代表として挑んだ明スポ選抜。前回出場時は優勝を目指していたものの5位に終わり、今大会はリベンジに燃えていた。得意のボッチャで実力を発揮し、前半2種目終了時点では1位につけるも、その後は車いす競技で順位を落とし総合3位に。チーム一丸となって挑んだ明スポ選抜であったが、またしても分厚い壁が目の前に立ちはだかった。
◆3・24 第6回パラ大学祭@関東(日本財団パラアリーナ)
明大――3位
躍進を見せた大会となった。前回大会は5位という結果に終わった明大。辛酸をなめ続けてきたからこそ、今回は全員が優勝に向け一致団結していた。意気込んで挑んだ第1種目は目隠しキックベース。守備面では声掛けを意識するなどチームワークを発揮し、相手の打者をホームまで返させない。一方で攻撃面では目隠しをしながらも的確にボールをレフト方向に引っ張る。四つんばいでありながら、素早い動きでホームに帰還。2連勝を挙げた。
第2種目は、明スポ部員が日頃練習を重ねてきたボッチャ。4月の東京カップ出場を控える渡辺悠志郎(情コミ1=渋谷教育学園渋谷)など、1年生が中心となり試合に挑んだ。「チームを代表して出場するのはとても緊張した」(豊澤風香・文1=国学院久我山)。久しぶりの試合であったメンバーもいる中で、試合中に目立ったのはコミュニケーション。投げる順番、狙う位置などエースである渡辺を中心に積極的にコミュニケーションをとっていた。そのかいもあり、1人の投球がうまくいかなくても他のメンバーの好投球でチャンスをつくるなどチームとしての強さも証明することができた。「1点でもいいから確実に点数を取り、ミスをせずチームの足を引っ張らないことを考えてプレーした」(萩原彩水・情コミ1=栄東)。5試合を連続で行うハードな戦いだったものの全勝、そして全ての試合で無失点に抑えるという圧倒的な力を見せた明大。「同期のボッチャの強さを思い知り、明スポにボッチャ黄金期が到来したと感じている」(渡辺)。この時点で総合得点は400点。他チームに大きな差をつけることとなった。
だが続く第3種目・車いすバスケットボールでは苦戦を強いられる。「普段乗り慣れない車いすの操作が難しかった」(出口千乃・商2=大妻多摩)。1勝1敗で臨んだ3位決定戦では上智大学・Go Beyondに圧倒され、チームの勢いは衰えた。迎えた最終種目は、パラ大学祭で恒例の車いすリレー。ここで好成績を出すことができれば優勝争いに食らいつける場面に、チーム全体で気合を入れ直す。明大は車いすに乗り慣れていない中でも健闘し、悲願の優勝はアンカーの渡辺に託された。しかし、前回大会の〝悪夢〟がよみがえるようにまさかの失速。「車いす操作のハードルが高かった」(渡辺)。この種目で最下位に沈んだ明大。それでも総合順位は3位と前回を上回る成績を残した一方で、車いす競技という大きな弱点を再確認する大会となった。
[新谷歩美、豊澤風香、萩原彩水、渡辺悠志郎]
試合後のコメント
金井遥香(情コミ2=大船)
――大会を振り返ってみていかがですか。
「今大会では撮影係を任せていただき、競技中はカメラを構えて駆け回っていて、新聞部として体育祭やスポーツ大会を撮影していた高校時代を思い出しました。やはり、楽しんでスポーツをする人たちを撮影するのは本当にやりがいがありますし、楽しいことです。コロナ禍で撮影機会が奪われたり、学生記者の肩身が狭くなったりしている中、学生による撮影を喜んで受け入れてくださったパラ大学祭の運営の方々に対して感謝の気持ちでいっぱいです」
佐藤慶世(政経2=芝)
――大会を振り返ってみていかがですか。
「前回に続いての2回目の参加でした。前回の悔しさを忘れずに臥薪嘗胆でここまでやってきました。結果としてはまたもや優勝を逃してしまいましたが、特にボッチャ競技では明スポチームの精鋭たちが全試合で完封勝利を収めてくれて、彼らの日々の練習が実を結んでうれしかったです。また、堀之内萌乃(文2=実践女子)と共に選手宣誓も無事に終えることができて安心しています」
出口
――今大会での経験を今後どのように生かしていきたいですか。
「子どもからお年寄りまでの全ての世代が、性別関係なく楽しむことができるパラスポーツの良さを体感することができました。明スポチーム以外の参加者とも話したり、一緒にプレーをする楽しさを共有できたりと知らない人とつながるきっかけにもなりました。今後もパラスポーツが社会に浸透するようにまずは自分が行い知ることで、パラスポーツを広めることに貢献できればいいなと思います」
野口優斗(文2=三鷹中教)
――今大会で見つかった課題は何ですか。
「個人としてはコミュニケーション不足です。目隠しキックベースでは視界が遮られますし、車いすバスケでは自由度が下がる分、コミュニケーションなど他の部分が大切になってくると思いました。自分は何かをやらかしたら黙る傾向があるので、そこで下を向くのではなくて切り替えるべきでした。チームとしては、個人のレベルアップが必要だと思います。車いすの使い方が非常に上手な人が他のチームにはいたので、それが自分のチームにはなかったのかなという感じです」
堀之内
――パラスポーツについてどのように考えていますか。
「〝パラスポーツ〟と聞くと、障害のない人にはできないスポーツなのではないかと思う人もまだまだ多くいるかと思います。それでも、実際にやってみると障害の有無なんて関係なく、一つの〝スポーツ〟として参加した誰もが熱中してしまう魅力を持っていると思います。なので、いろいろな人がもっとパラスポーツに触れる機会があれば、よりパラスポーツが身近なものになるのではないかと思います」
宮本果林(情コミ2=鎌倉女学院)
――大会を振り返ってみていかがですか。
「3大会連続出場でしたが、またも優勝を逃してしまってとても悔しいです。特に今大会はボッチャの終了時点で暫定1位だったので、車いす競技で失速してしまったことが原因かと思います。部で競技用車いすの購入を検討したいと思いました」
新谷歩美(政経1=浦和一女子)
――大会を振り返ってみていかがですか。
「ボッチャで完封勝利を収めることができたのがうれしかったです。しかし車いすバスケや車いすリレーでは厳しい結果となり、他のチームとの力の差を実感しました。順位は確実に上がっているので、次戦でも力の限りを尽くしたいです」
豊澤
――パラスポーツについてどのように考えていますか。
「パラスポーツ関係の取材を行う中で、パラスポーツは誰でも楽しむことができるということを以前から感じていました。今回実際にさまざまな競技を行ってみて、それを再確認することができました。パラスポーツを実際に行う機会はまだまだ少ないですが、参加した私たちが積極的に発信していくことでパラスポーツの魅力を伝えられたらと思います」
萩原
――今大会で見つかった課題は何ですか。
「競技用車いすの操作です。まっすぐ進むことに加えて、カーブやターンといった操作が特に難しかったです。初めて競技用車いすに乗ったので経験値もなかったですし、何より車いすを動かす筋力が足りなかったと痛感しました」
渡辺
――パラスポーツについてどのように考えていますか。
「多くの人が気軽に行えるという点がパラスポーツの大きな魅力だと思います。東京2020パラリンピック大会が終わり、盛り上がっていたパラスポーツの熱気が冷めてしまうことも不安です。今後もパラスポーツを楽しみ、魅力を多くの人に発信していくことで、パラスポーツの輪が広がっていってほしいと思います」
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(34)明大OBパラリンピアン・森宏明選手に明スポ記者がインタビュー!
明大スポーツ新聞 2022.05.313月14日に閉幕した北京パラリンピック。クロスカントリースキーの日本選手団で唯一、座位カテゴリーに出場した森宏明選手(平31文卒・現朝日新聞社/HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS)。現在は朝日新聞社のスポーツ事業部で働きながら選手活動を続けている。今回は明大OBである森選手に北京パラリンピックのことや在学時のことについてお話を伺った。(この取材は4月7日に行われたものです) 野球少年だった森選手は小さい頃からスポーツに携わりたいと思っていた。高校時代の野球部ではエースで4番を担っていた。しかし、2013年に事故に遭い、パラスポーツに関わり始めることに。明大には2015年に入学し、文学部心理社会学科現代社会学専攻でに所属。大学3年次に荒井秀樹さん(北海道エネルギーパラスキー部監督、北京パラリンピックノルディックスキー日本代表チームリーダーなど)に声を掛けられ、クロスカントリースキーを開始する。競技を開始した傍ら、授業やアルバイトなど大学生活も充実させる。 ――3年次に競技を始められたというのを拝見しました。それまではどのようなことをされていましたか。 「普通の大学生で、アルバイトをして講義を受けて帰ってみたいな学生をしていました」 ――アルバイトは何をされていましたか。 「アルバイトはスポーツ施設で働いていました。出身が板橋区で、ずっとそこに住んでいたので、区のスポーツ施設で4年間アルバイトをしていました。トレーニングジムの事務スタッフもやりましたし、お金の受付の事務もやりました。なので、スポーツを始める前からとりあえず趣味的に鍛えていて、それで競技を始めるとなった時に元々基礎の体があったので始められました」 ――現代社会学専攻ではどのようなことを学ばれていましたか。 「フィールドワークですね。SDGsの先駆けのようなことを授業でやっていました。サステナブルな工夫をしているところに行って話を聞くような環境社会学系のゼミをやっていました。無農薬の東南アジアの各国の発展途上国の農村リーダーを育成する農業学院が栃木にあってそこに行きました。夏休みには泊まり込みで農業体験をやっていましたね」 競技開始から5年で初めてのパラリンピックに挑んだ森選手。クロスカントリースキー男子スプリント(座位)で31位、男子10キロ(座位)で30位だった。また混合リレーにも出場し7位で入賞を果たした。北京大会から1カ月ほどたった今、次の目標を伺った。 「次の目標はやはり4年後も目指しています。今回、個人種目は散々だったのですが、サプライズでリレーを走らせてもらい、そこでは一応入賞をもらうことができました。その現状を踏まえると、また同じような競技をするのかというとそれはもちろんだめなので、やはり個人できちんとメダルを取れるくらいの準備をしないといけないなというのが自分の中では中期の目標ではあります。もっと言うと、少し何か自分の中で新しいチャレンジをしたいなと思っています。何をするかというと、新たに陸上競技をやろうかなと。クロストレーニングが最近割と主流じゃないですか。二刀流をどこまでできるか分からないしですし、パリ大会も本当に目指せるか分からないのですが、一つ自分のチャレンジとしてやってみたいなと思います。具体的に、何の種目をやるかというのはまだ決めてないです」 ――今回の北京大会では、陸上競技と冬季スポーツを兼用している選手が多いと感じました。 「そうですよね。冬季スポーツは座って競技しているので、上腕の筋力が必要なのですが、夏季スポーツになると下半身の筋力が必要になってくるのでそこをどう使うかということがあります。夏冬両立というのは基本的にプレースタイルが似ていて、強化するべき部分が似ている競技をチョイスしている人が多いので、それは相乗効果でクロストレーニングの意味はあると思っています。ただ、僕の場合はどうなるのかなと思っています。いい意味で変に負荷を掛け過ぎないでシーズンごとで強化するポイントを変えるというのはケガのリスクは少ないのかなとは思います。『今日はこの上腕メニュー、次の日は……』と構築できるかなと思いますが、難しいですね」 今大会でクロスカントリースキーの座位カテゴリーからは唯一の出場となった森選手。自身が競技を始めた際も日本には座位カテゴリーの選手がいなかったという。北京大会前の会見でも「これからのシットスキーヤーがこれから始めようとか頑張ろうというきっかけにもなれたらいいな」と話していた。 「僕は『なんでここまで続けてきたのですか』とよく聞かれるのですが、課題感があったからと言います。僕が始めた時に僕1人しか座位のカテゴリーで競技者がいなかったので、それが始めるきっかけではありました。4年間目指す中で、僕は自分の強化と競技普及を両軸で進めてきたところもあって、そのおかげなのか、時代の流れ的に、競技者が増えました。結果的に、国内には僕以外にも何人かは選手がいる状態で、自分が活動してきた意味はあったのかなと思います。正直僕は今までスポーツをずっとやってきましたが、正直活躍のフィールドはスポーツではなくていいと思っています。今度はさらに、これから札幌の招致があり、そのときに活躍できる子たち、札幌を目指す子がもし出てくるのであれば、僕はそこのお手伝いをしたいかなと思っています」 ――ありがとうございました。 取材を終えて 初のパラリンピックを終え、4年後を見据える上で現状に満足せず新たなチャレンジへ意欲をみせる姿が特に印象に残った。〝前へ〟進み続ける姿に明大生として感銘を受けた。学生記者として、スポーツに携わる者としてスポーツへの関わり方、パラスポーツの捉え方の新たな価値観に気付くきっかけとなった。明大生としてこれからも森選手の活躍を応援したい。 [聞き手:出口千乃、宮本果林、萩原彩水]READ MORE -
(33)大学生パラリンピアン・川除大輝選手 インタビュー
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