(117)第552号特別インタビュー⑬/大志田秀次駅伝監督

2025.12.28

 今回は明大スポーツ第552号で扱った選手や指導陣の、掲載し切れなかったインタビューをお届けします。

 第13回は大志田秀次駅伝監督のインタビューです。(この取材は11月28日に行われたものです)

――今年度を振り返っての感想をお願いします。
 「まずは、就任1年目ですが全日本大学駅伝(全日本)も箱根駅伝(箱根)も出場を目標に戦ってきました。現場に立って、私が今までやってきたところ、選手にやらせたいところ、選手に『こういう姿勢を持ってやっていきたい』というところを話していく中で、選手との考え方のズレが、正直なかったわけではないと思います。できることはやった結果だと受け止めています。私も2年くらいブランクがあった中で、一歩引いた形で見てはいましたが、やはり学生の進化や成長はどこの大学も早くて、自分が明大を指導していく中で追いつかなかった部分がありました。そこは非常に選手に申し訳ないですし、残念な結果ではありましたが、その中で選手が感じたことはあると思います。全体的には(駅伝に)出られなかったという事実はあるので『何やってるんだ』と言われる覚悟ではいますが、その中で選手が感じたこと、何が足りないかというところを重視したいです。現在は就任して8カ月ほどで、その次の4カ月で何をしなければいけないかという課題も明確になっています。『選手とともに』と言ったらダメなのかもしれませんが、選手を見ながら私も成長しなければいけませんし、他大学以上の速度を持ってやらなければいけないなと感じた8カ月でした」

――前回インタビューさせていただいたのは全日本大学駅伝予選会(全日本予選)の直後でした。6月から7月をトレーニングに充てるとおっしゃっていましたが、その時期を振り返っていかがですか。
 「すぐ試合に出ても結果にはつながらないという考えもあって、課題を持って7月の試合に向けてやっていきました。7月は条件がいいところを探して、狙っていた大会がありました。これも力がないので仕方ないですが、たまたまその日が暑くて、うまく選手が機能しなかったというところはありました。その中で自己ベストを出した選手もいたので、取り組み自体はそこまで悪くなかったとは思いますが、全日本予選が終わって、試合経験や試合勘に対する不安が選手には出ていたみたいです。当初は『練習でしっかりやれば、試合は自分の力を発揮すればいいんだ』と言っていましたが、実際の選手とのギャップというか(私が)思っているところと、選手の抱えている不安が、うまくかみ合わなかった部分はありました」

――7月の試合は、ハーフマラソン(ハーフ)や関東学生網走夏季記録挑戦競技会(網走)に出る選手がいたり、森下翔太選手(政経4=世羅)はホクレン・ディスタンスチャレンジ(ホクレン)にも出場されましたが、どういった意図を持ってそれぞれの試合に選手を配置したのですか。
 「士別のハーフは当初予定にはありませんでしたが、ハーフの経験がない1年生を何人か出しました。初ハーフということもあってそこまで無理をせずに、まずはハーフの距離を知るということを目的に出場しましたが、そこも少し気温が高くて、思ったよりもレースをイメージしたものにはできず、ただ『ハーフを走った』ことにしかなりませんでした。森下は(卒業後)実業団にいくので、その一連の流れの中で試合も組んでいくということで、計画通り2レースに出場しました。他のメンバーは網走に、駅伝の主力になるだろうというところを見据えて出しました。天候のせいにはできませんがやはり暑くて、特にうちには暑さに弱い選手がいます。暑さ対策を夏の合宿でやろうという意図があった中で、本来であれば涼しいだろうと思ったところが暑くてうまく走れませんでした。それでもその時期に試合に出るからには目的を持って出たことによって、暑さ対応や距離をしっかり踏むという課題を踏まえて夏の合宿に入れたので、結果にはつながりませんでしたが、得るものはあったと思っています」

――夏は色々な場所で合宿をされましたが、それぞれどのようなことを重視して練習していましたか。
 「まず北海道に3週間いて、前半の10日は(紋別で)走り込ませる、中盤は弟子屈に移動して、箱根に近いような登りが13キロくらいある所があるので、そこで登りの適性を見て、そこで何人か適性のある選手が見つかりました。その後はまた紋別に戻って最後の締めをやりました。前半は思った以上に走れて、すごくいい状況でした。弟子屈の登りまでは良かったのですが、逆にそこから急に疲労が出てしまって、後半の練習がうまくいきませんでした。次の菅平でも練習を組みましたが予定通りいかなくて、少しそこで足踏みしてしまいました。紋別の合宿は予定よりも距離も増やす中で、30キロを1時間47、48分というところを、1時間43分から45分で2本まとめられた選手もいました。後は距離走も自分で積極的に、メニューだけ与えてそのペースは任せて、人を意識しながら最後はうまく走れていたので、頑張ったなと思いました。ですが逆にその頑張ったところが、後半でうまく走れなかった部分に出てしまいました。そこはやはり6、7月の走り込みでもう少し具体的に数字を入れるなど、授業の合間を見ながら、環境のいい所を求めて練習させておけばまた変わったのかなというところです。6、7月にわれわれの中では選手たちが走り込めたと思っていて、夏合宿でその成果が表れていると思っていましたが、疲労が取れないところがあったので、そこは今後の課題です。12月が1年の中の第4クォーターの準備期間と捉えていて、全体の流れは見えてきたので、来年の4~6月のために、12月から3月をどう過ごすかというところが大事になってくるかなと思います」

――合宿での選手の行動や生活を見ていく中で、いいと思った部分や、逆に直した方がいい部分は見当たりましたか。
 「練習自体は積極的にできました。今までになく選手は距離もやったし、スピードも早かったと言っているので、そこはプラスの部分です。ダメだったところはあるのかもしれませんが、そこは選手が『次の練習に向かっていくためにどのようなことをしなければいけないか』ということを考えて取っている行動なので。特に『これをやってはダメだよね』というよりは、リフレッシュして、いかに次にいくかというところは見えていました。『この人の練習はこういったやり方でやるんだよな』と分かってくれて。今回はトレーナーさんにもずっと帯同してもらっていたので、いい環境の中で、後は自分たちが結果をどう求めていくかというところでした。綾(一輝・理工3=八千代松陰)が合宿で(脚を)痛めたのは誤算でしたが、ほとんどの選手が練習に参加できるようになりました。トレーニングルームにあるワットバイクという特殊なバイクを今回わざわざ持っていって、走れないときはそれを活用してトレーニングすることで、合宿の中でオフがない状態にできました。『ケガをしたから何ができない』ではなくて、ケガをしたり練習できないなら、その代わりになるものを準備して、常に同じ環境に置く。痛みが取れたらすぐに練習できる状況に置く。今までは壊れたら別メニューでしたが、今は逆に選手がケガをした方が練習がハードになるのでケガはできないということで、生活を慎重に送ってくれています。(合宿には)ケガ人も連れていったので、ケガをした選手が現場に早く復帰できる合宿になったかなと思います。通常だとケガ人を連れていかない合宿が多い中で、ケガ人にもメンバーがどのような練習をしているのかを見て自分で感じて、治った時にどのようなことをしなければいけないのか、次に何をしなければいけないかを覚えさせることができたと感じています」

――夏合宿で特に伸びた、成長した選手を教えてください。
 「堀(颯介・商4=仙台育英)や古井(康介・政経4=浜松日体)、井上(史琉・政経2=世羅)であったり、土田(隼司・商2=城西大城西)も途中から復帰してきて、最終的に箱根予選(箱根駅伝予選会)のメンバーに入ってくれました。あとは1年生の岩佐(太陽・商1=鳥栖工)や桶田(悠生・政経1=八千代松陰)といった箱根予選を走ったメンバーも伸びて、今後チームの中心選手になっていく目処が立ったと思います」

――箱根予選は暑さも考えられましたが、選手にはどういった指示を出されましたか。
 「まずは暑いことを前提ではなく、いい条件がそろった時の前提で、20キロをどれくらいでいけばいいのか。例えば森下だと59分30秒を一つの目安にしていました。(20キロを)59分30秒でいけば、ゴールは62分台もしくは63分台です。各選手の練習の状況を見て、60~61分くらいでの20キロ通過を目安にして、5キロごとのラップ分けをして、そのラップの中で、目標をしっかり定めてペースを上げていくというレースプランでした。集団走をやらないのではなくて、あくまでも集団は個が集まったものなので、一人が引っ張るのではなくて、全員が自分の役割、自分の時計を持って走ることをレースプランとしていました」

――上尾シティハーフマラソン(上尾ハーフ)はコンディションが良く、他大学では62分台が続出、駅伝出場ボーダーの選手でも63分台が相次いでいた中で、チームトップが岩佐選手の64分06秒でした。
 「少し残念な結果でしたね。もう少し頑張ってもらいたいし、箱根に出られなかったことを表に出して『自分たちがチャレンジしていくんだ』という気持ちを持ってやることは必要だったと思っています。ただ、出るメンバーたちも思いを持って(出場した上で)、63分台というよりかは20キロを60分ちょうど、もしくは60分台というところができておらず、冬までの準備がやはりまだまだ足りなかったと感じています。62分台が50人くらい出ているので、レギュラーに入るか入らないかくらいの選手たちがそこまで走るのが、大会に出る目的ですよね。『これで走らないとメンバーに入れない』とか『これで走らないと箱根につながらない』というチームと『とりあえずハーフに挑戦してみよう』というチーム。大会に対しての目的意識が少し足りなかったかなと思っています」

――新チームの体制は、長距離主将が大湊選手で長距離副将が綾選手になりました。今の3年生にはどういった形でチームを引っ張っていってほしいですか。
 「まずは今年1年やってきて、できなかったことは何だったか、足りないことは何だったかということを確認しながら、今の自分を超えなければいけません。昨年度と同じことをやっていけば同じようにしかならず、何段階も上げないと上の方に追いついていかないので。そこを理解して、日々の練習の積み重ねをしっかりやっていこうと話をしています。せっかくこういった寮にみんなで住まわせてもらっていて、駅伝は1人では走れないので、チームの一人一人が同じ方向でやることを一生懸命に、自分を超えるために努力してもらいたいと思っています」

――来年度は今の4年生が抜けるということで、チームの選手層にも影響があると思います。どのように浮上していきたいと考えていますか。
 「トレーニングの積み重ねという点だと、今までやれてないことをやらせたのが今年度の夏だったので、それを新たに積み上げていきます。積み上げた中で新しい選手が出てくることを期待したいですし、育成というよりは明治はもう〝再生〟に近いんだろうなと。あるモノをもう一度戻す。ここ1、2年の間にスタッフや環境が何度も変わってやり方が変わったところがあるので、目標ややり方を選手に理解させて、積み上げていくことが大事かなと思っています」

――来年度以降、特に期待を寄せている選手はいらっしゃいますか。
 「大湊や綾はもちろんのこと、井上、土田、成合(洸琉・情コミ2=宮崎日大)には頑張ってほしいですし、3年で言うと石堂(壮真・政経3=世羅)ですね。彼も成長してきた1人で、ケガが多くて、活動をようやく始めているところなので。今年度頑張った子たちが、今年度の反省を生かして成長していくところと、あとは1年生ですね。岩佐、桶田、河田(珠夏・文1=八千代松陰)と阿部(宥人・政経1=西武台千葉)と小川(心徠・情コミ1=学法石川)。この辺りは少し面白そうですね。阿部はケガが多いですが、本来は頭数に入れていた選手です。彼らが4年生の時にもしっかりシードを取っていく、上位に入っていくという1年生になるかなと思っているので、彼らを成長させる、育成するところが、チームの箱根に向けてつながります。あとはそれに付随するメンバーが出てくればと思っています」

――箱根予選でも、たくさんの父母会、OBの方々が応援に来ていました。ファンの方にメッセージや伝えたいことはありますか。
 「本当に今年度は温かく見守っていただいたと思います。それは1年目だからというところで、ただ私も1年目だからこれでいいとは思っておらず、皆さんのご期待に応えたいと思っております。選手への叱咤も必要なことですので、記録会に足を運んで応援していただきたいです。われわれも皆さんとともに、走ったことで感動を与えたり勇気を与えたりできるチーム作りを目指しているので、今後とも応援お願いします」

――ありがとうございました。

[橋場涼斗]