(116)第552号特別インタビュー⑫/園原健弘監督
今回は明大スポーツ第552号で扱った選手や指導陣の、掲載し切れなかったインタビューをお届けします。
第12回は園原健弘監督のインタビューです。(この取材は11月28日に行われたものです)
――昨年度の11月に競走部の方から再建計画が出され、それが契機となって、紫紺の襷プロジェクトが始まりました。その経緯について、詳しく教えてください。
「箱根に出られないという事態を受けて、今の延長線上の努力だけでは結果に結びつかないと痛感しました。指導者の待遇改善、合宿費用、トレーニング設備、寮の食事、故障予防やケア、科学的トレーニングシステムの導入など、根性論や情熱だけでは解決できない課題が山積していました。特に資金面のサポートを大学にお願いしに行きました。ただ、大学の予算も限られています。大学の主たる目的は研究と教育です。体育会46部ある中で、予算のパイを増やすことはできない。そうなるとパイの奪い合いになってしまいます。どの部も一生懸命やっているし、いくら箱根駅伝が注目されているとはいえ、それぞれの部の活動意義はとても崇高なものがあります。そこで、大学からの支援に加えて、外部からもしっかり資金を集めるプロジェクトを立ち上げることになりました。既存のサポート募金の拡大版として、箱根駅伝強化のための資金を明確に集める仕組みです。ちょうど150周年という節目があったので、それと連動させることになりました。スポーツ振興事務室が素案を作り、理事会と教授会の承認を得たという流れです」
――再建計画を作って大学に申し入れることは、競走部の歴史の中で異例の出来事ですか。
「異例ではありません。実は大きな改革は今回が2回目です。第1期の改革は、西弘美スカウティングマネジャーと前部長の松本穣顧問が中心となって進めました。それまでは、ほぼOB会のボランティアで運営していました。松本先生と西さんが箱根駅伝に出るための道筋を作ってくれましたが、それは大学主導というより、個人の情熱で組織を動かしたという感じでした。今回は、大学が組織として動いてくれました。これが近年では2回目の大きな改革です」
――紫紺の襷プロジェクトでは約5000万円の寄付金が集まりました。この資金はどのように使われていますか。
「一番お金がかかるのは合宿です。今年度は北海道の合宿を長くしたり、アップダウンの多いコースを走ったり、週末に山梨県の山中湖で2泊3日のミニ合宿を何度か実施しました。八幡山は真っ平らなので、マイクロバスがあることで細かく合宿を組めるようになりました。これが一番大きいですね。もう一つはケガ予防です。フォーム解析会社と契約してビデオ撮影し、トップ選手と比べてどこに差があるのか、その原因は何かを科学的に分析しています。感覚だけでなく、科学のメソッドも入れながら、故障につながる要因を前もってつぶしています。それからスカウティング費用です。ここ何年間も、そこに苦労してきました。資金を集めても、授業料を負担している学生が何人もいたら、それだけで大量にかかってしまいます。以前は強化にお金を使いたいのに、そこに回せませんでした。紫紺の襷プロジェクトで余裕が出てきたので、今は純粋に強化の方にお金が使えます」
――このプロジェクトについて、他の部からの反応はどうですか。
「『なんで競走部だけ』という声はあります。大学からかなり支援をしていただいているので、覚悟は常に問われます。指導陣やスタッフはその気持ちで取り組んでいますが、現場の学生まで落とし込めているか。多くの人を巻き込んで支援してもらっているにふさわしい生活態度、学業への取り組みができているか。そこは襟を正して、覚悟を持ってやらないといけません」
――学生への落とし込みはどの程度できていますか。
「まだまだ甘いところがあります。昨年度より生活面も競技面もレベルは上がっていますが、井の中の蛙状態です。自分の中では2倍努力したつもりでも、箱根常連校や青学大のようなチームと比べたら、10分の1にも満たないかもしれません。今回、大志田秀次駅伝監督や射場雄太朗コーチに来てもらったのは、よその強さを知っている指導者に我々の甘さを指摘してもらうためです」
――昨年度策定した再建計画の中で、育成やスカウトの方針に変化はありましたか。
「上野正雄学長が最も危機感を持っていたのは、箱根に出ないとチームがますます弱くなるということでした。このプロジェクトを大々的に発表したのは、本気で強くなるというメッセージを出すため、高校生に進学先の選択肢に入れてもらうためです。『明治はまだあきらめていない』という姿勢を見せないといけません。そのために、育成ができる指導者体制を作りました。箱根常連校でなくなった今、すごい選手が来てくれるわけではない。選手を強くしていかないといけません。今までは良い選手が入ってきて、みんなで同じ練習をして強くなる形でしたが、これからはレギュラークラスとこれから力をつける選手で練習メニューを変えないといけません。今年1年間、現場を見ていると本当にしっかりやってくれているので、信頼して任せています」
――明大の戦い方が変わっているということですか。
「今までは明治大学というブランドで選手が来てくれました。でも今は、明大に行っても箱根に出られないという状況です。大事なのは、明大に行ったからこそ花が開いた、明大に行ったからこそ強くなれたというチームにすることです。それが本質的なアプローチだと思います。今の現場スタッフがそれを地道にやってくれているので、そこは大事な要素です」
――150周年の2031年度に優勝を目指すという目標を掲げた理由を教えてください。
「物事をかなえる時は決断が必要です。この目標は野心的と言われますが、よそのチームはやっていることです。青学大も駒大もやっている。われわれにできない理由なんて何もありません。ただ、明確にやると決めていなかっただけです。きちんと期間を定めて、目標を明確に定めて、ゴールを設定したら、あとは成功するために突き進むだけです。150周年、7年後というタイミングは、逆算すると簡単ではないとわかっていますが、大事な目標だと思います」
――この目標は競走部から申し入れたのですか。
「そうです。競走部は常に箱根優勝を目指していました。100回記念大会のときも、私は名刺の裏に『100回記念大会で優勝します』と書いていました」
――成功に向けて取り組んでいることや、優先して解決すべきことについて教えてください。
「正直、大志田駅伝監督の練習なら予選会(箱根予選)は通ると思っていました。素晴らしい練習をしていたし、仕上がりも良かったです。練習やトレーニングの部分は、ほぼ今の延長線上で問題ないと思います。ただ、まだまだ生活面で目先の楽しみを優先してしまうことがあります。否定だけをされるべきものではありませんが、大きな成功を得るためには、目先の楽を少しずつ我慢する必要があります」
――ありがとうございました。
[武田隼輔]
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