(114)第552号特別インタビュー⑩/井坂佳亮

2025.12.27

 今回は明大スポーツ第552号で扱った選手や指導陣の、掲載し切れなかったインタビューをお届けします。

 第10回は井坂佳亮(商4=水城)のインタビューです。(この取材は12月2日にオンラインで行われたものです)

——大学4年間の競技生活を終えて、今の心境はいかがですか。
 「やはりスッキリしたというか、やりきったなという感じはすごくあります」

——下級生の頃の走りを振り返っていかがでしたか。
 「1年生の頃に関しては、ハーフマラソンでもある程度走れていたので良かったと思いますが、2年生はケガや体調不良で、思うようにいかなかった年でした。そこが悔しかったというか、やり直したいなと思うところでもあります」

——3年生の時には箱根駅伝予選会(箱根予選)を通過できませんでしたが、チームとして変わっていった部分もありましたか。
 「そうですね。箱根予選で落ちた時は信じられなかったというか、実感が湧きませんでした。ですが、それを認めて『自分たちはもっと頑張らないといけないんだな』という思いが生まれたと思います」

——4年生になって大志田秀次駅伝監督が就任されてから、チームの雰囲気や練習はどのように変わりましたか。
 「まず練習のメニューが変わりました。今まではポイント練習が水曜日と土曜日の固定でしたが、それを曜日関係なくやるようになりました。生活面でも、今までは学生主体でしたが、今年度からは射場さん(射場雄太朗長距離コーチ)も寮に住んでいらっしゃったので、スタッフ陣の方の力を借りながらやるように変わったなと思います」

——4年目の夏合宿では井坂選手がBチームを引っ張っていたとお聞きしましたが、夏合宿を振り返っていかがでしたか。
 「(Bチームにいる)4年生が自分一人だけだったので、最初は不安もありました。その中で自分がBチームを引っ張ろうとした中で、大湊(柊翔・情コミ3=学法石川)の存在は大きかったなと思います。走りで引っ張ってくれたり、選手の見本になるようなスピーチをしてくれたり、そういったところがすごく心強くて、自分も頑張れたなと思います」

——しかし、惜しくも箱根予選のメンバーには入れませんでした。
 「入れなかった時は悔しかったですが、夏合宿で競技面も成長できましたし、Bチームを引っ張れた経験は、陸上を辞めた後も生きてくるのかなと思います。結果的に箱根予選は通れませんでしたが、夏合宿の期間はいい経験になったと思います」

——大学最後のレースとなった日体大記録会は、どのような気持ちで走りましたか。
 「『もうこんなに苦しいことをすることは人生でない』と思いながら走っていましたし、特にラスト1周に関しては、もう出し切ることだけを考えて走っていました」

——大学4年間で特に印象に残っているレースを教えてください。
 「3年生11月の、日体大記録会の5000メートルです。5000メートルと1万メートルが大学1、2年で自己ベストを更新できていなくて、自分の中で2年間も更新できなくて悔しかったのですが、そこでようやく自己ベストを更新できました。更新幅は少しでしたが、自分の中で大きな一歩になった試合だったと思います」

——同期の仲間は、井坂選手にとってどのような存在でしたか。
 「かけがえのないものだなと思います。同期がいたから自分も4年間陸上をやり遂げられた部分も絶対あると思うので、ありがたいです」

——競技人生を振り返っていかがでしたか。
 「苦しい時間も楽しい時間もありましたが、苦しい時間の方が圧倒的に長くて。それでも自分の納得できる走りができた時とか、同期や先輩、後輩と一緒に走っている時間はすごく楽しかったですし、自分の人生の中ですごく大きな財産だなと今振り返って感じています」

——4年間応援してくださったファンの方々にメッセージをお願いします。
 「一番は感謝の思いを伝えたいです。特にMARCH対抗戦2025の時は、トラックのどこを走っていても『井坂頑張れ』という声がいっぱい聞こえてきて。本当にそういった声援は力になるので、ありがたいという言葉に尽きます」

——ありがとうございました。

[橋場涼斗]