(111)第522号特別インタビュー⑦/吉川響

2025.12.27

 今回は明大スポーツ第522号で扱った選手や指導陣の、掲載し切れなかったインタビューをお届けします。

 第7回は吉川響のインタビューです。(この取材は11月28日にオンラインで行われたものです)

——明大に進学しようと思った経緯や決め手を教えてください。
 「明大は練習内容で自主性を重視している点が高校時代と似ており、当時タイムが伸びていた自分にとって、その練習環境が合っていると思ったので明大を選びました」

——明大に入学して、最初に苦労したことは何ですか。
 「高校時代はジョグをする機会が少なかったのですが、大学からジョグの練習量が増えたので、慣れるまでは大変でした」

——高校と明大の練習の共通点はありますか。
 「自分のコンディションに合わせて、ペース設定や走るグループを調整したり、変えたりできる点が高校と明大は似ていました」

——4年間を通して、技術面や体力面で一番伸びたと感じるところはどこですか。
 「高校時はトラックで、長くても5000メートルで都大路での4区の8キロが一番長い区間だったので、それ以上長い区間を走ることはありませんでした。大学に入学してから1万メートルなどを走って、長い距離への対応ができるようになったと思います」

——メンタル面で強くなったと感じるところはどこですか。
 「調子が良い時はゾーンに入りやすかったので、大会で自分の強みとして活かせる場面が多くなったと思います」

——1年時から全日本大学駅伝(全日本)や箱根駅伝(箱根)を経験されてきましたが、そのことについて振り返っていかがですか。
 「出走したものの結果は振るわず、3、4年でも全日本と箱根に出場できず終わってしまいましたが、4年間の中で箱根路を走ることができたことは、自分の中で大きな経験になりました」

——以前、「箱根は三大駅伝の中でも一つ抜けた存在」とおっしゃっていましたが、1年時から箱根を走ったことについてはどう思われていますか。
 「自分が1年生の時は、当時の4年生の先輩たちが強くて、メンバーに入ること自体に不安もあった中で走らせてもらいました。結果は良くなくともメンバーに入って、出走できたのは大きかったと思います。上級生になる上で、チームの中心的存在にならなくてはいけないと改めて感じることもできました」

——箱根という大舞台を経験したことは、その後にどう生かされましたか。
 「箱根を経験すること自体、簡単ではないということも何回も箱根駅伝予選会(箱根予選)を走って経験してきて、その中でさらに結果を残していくということも本当に簡単なことではないと改めて分かったので、事前の準備や対策をやらなくてはいけないということを感じました。そこは今後競技を続ける上でも大切にしなくてはいけないと思っています」

——箱根の5区へのこだわりはどのようなものですか。
 「高校で山を走ることが多く、登りを得意にしていたので、それを生かせる区間は箱根では山登りの5区だと思っていました。山の神と呼ばれることが自分にとって大きな存在だったので、そう呼ばれる選手たちのようになりたいという思いから箱根の5区へのこだわりは強かったです」

——仲間やライバルの存在はどうでしたか。
 「自分は本当に恵まれた同期と一緒に4年間競技をすることができました。自分の調子が悪い時でも、同期やチームメイトがすごく調子を上げて走ってくれたので、自分も負けまいという思いで練習することができていました。大学4年間は、自分にとって競技に集中できる環境をみんなが作ってくれたと思っています」

——4年間を通して、挫折やスランプなどはありましたか。
 「調子が上がり切らなかったり、うまく走れない時があったりして、沈み込んでしまうような時もあったのですが『ある意味それはこれからのチャンスになる』と自分に言い聞かせて、練習してきました。あとは『なんでここに来たのか』と『箱根を走る』という入学当初の目標を改めて思い返して、苦楽を乗り越えてきました」

——4年間でターニングポイントはありましたか。
 「ターニングポイントは、1年時の全日本を走ったことです。その前の箱根予選ではエントリーメンバーにも入れなかったので、そこから調子を立て直して、その後の箱根にも繋げることができました。入学して、初めての大舞台が全日本だったことは一番のターニングポイントだったと思います」

——学生生活と競技との両立の難しさはありましたか。
 「競技に集中したいという思いがある一方で、学業もやっていかなくてはいけないことに対して、文武両道がいかに難しいことなのかを大学に入って改めて感じました。自分の思うようなスケジュールにならなかった時もありましたが、その中で自分は一体何ができるのかを考えながら取り組むことができました」

——大学4年間で先輩や監督陣の言葉で印象に残っているものはありますか。
 「4年間の中でも2年生は調子が良い状態でずっと走ることができていて、箱根を走る前に山本豪元駅伝監督から『吉川を2区か5区で起用したい』という言葉をもらいました。花の2区という各大学のエースが走る重要な区間というのと、昨年度の経験を生かした山登りを任せてもらえる5区だったので、自分がチームの中心になれてきたと感じた瞬間でした。言われた時はびっくりしたのですが、改めて思い返して、とても印象に残っています」

——印象深いレースはありますか。
 「一番印象に残っているのは、2年時に5000メートルで初めて13分台を出した記録会です。4月22日に行われた5000メートルが2年生初レースだったのですが、自分の誕生日が23日なので、10代最後に13分台を出すことができて、20歳の誕生日を迎えられたことはとても印象に残っています」

——最終学年として迎えた今年度を振り返ってみていかがですか。
 「最終学年としてやり残すことなく引退したいと思っていましたが、箱根予選でも本選出場権を獲得できずに終わってしまったので、4年間で一番振るわないシーズンになってしまいました」

——最終学年として、ご自身の立ち位置は変わりましたか。 
 「自分は飛び抜けたエース的な存在ではなかったので、練習の時に前を引っ張って、背中で見せるみたいなことはせずに、主将の室田(安寿・情コミ4=宮崎日大)を後ろから支えることが自分の役割だと思い、やっていました」

——大学4年間通して、今はやりきった感の方が強いですか。それともやり残したことはありますか。
 「欲を言えば、トラックで5000メートルと1万メートルの記録を伸ばしたかったですが、できずに終わってしまったので、悔いが残っています」

——最後に後輩や明大を応援してくださる方々へメッセージをお願いします。
 「今年度は結果が振るわないまま引退という形になってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、後輩たちは結果がついてくれば勢いが出てくるチームだと思います。後輩たちには一回一回の悔しい経験を次につなげて、頑張ってほしいと思います。また、多くの方に支えられているということを自覚して、感謝の気持ちを忘れずにやっていってほしいです」

——ありがとうございました。

[吉澤真穂]