(108)第552号特別インタビュー④/堀颯介
今回は明大スポーツ第552号で扱った選手や指導陣の、掲載し切れなかったインタビューをお届けします。
第4回は堀颯介(商4=仙台育英)のインタビューです。(この取材は12月3日にオンラインで行われたものです)
――4年間で一番思い出に残っていることを教えてください。
「思い出に残っているのは、1、2年生の時に走った箱根駅伝(箱根)です」
――それぞれ振り返っていかがですか。
「1年時はシード権に迫る勢いがチームにあって、そのチームの一員として走れたことがすごくうれしかったです。2年時は往路が思ったようにいきませんでしたが、復路のスタートでしっかり流れを作ることができたので良かったです。あと、あれほど応援される大会はないと思うので、そこで走れたことはすごく記憶に残りました」
――競技面で一番印象に残っている大会が1、2年時の箱根とのことですが、競技面以外で印象に残っていることはございますか。
「4年間で3人の監督を経験して結構大変だったのですが、その中でも同級生や後輩たちとしっかり頑張れたことは、今後の生活でも役に立つのではないかなと思いました」
――4年間で一番つらかったことや、挫折を味わったことはございますか。
「箱根に出られなかったことが1番辛かったです。特に3年時はお世話になった4年生を箱根に連れていけなかったことと、走らなければいけないのに予選会(箱根予選)を走れなかったことがとても悔しかったです」
――3年時から4年時にかけて、一度箱根予選落ちを経験してから何か積極的に取り組んだことはありますか。
「練習のボリュームは結構上がったので、そこでケガをせずに継続して練習することは気をつけていました」
――長距離部門の副将として、何か取り組んだことはございますか。
「自分はどちらかというと、走りでチームを引っ張ろうかなと思っていました。その中では全日本大学駅伝予選会での4組(出走)であったり、箱根予選であったり、1万メートル、5000メートルでも森下(翔太・政経4=世良)としっかりチームを引っ張れることができたかなと思っているので、良かったです」
――副将として大変だったことはございますか。
「大学生になって、高校時よりも選手がチームを作るという傾向が強い中で、キャプテンのことをサポートする部分が少し難しくて、もっとサポートしてあげれば良かったなとは思っています」
――長距離主将と副将の3人で話し合ったりはしましたか。
「話し合うことは少なかったかなと思うので、もっとチームについて話し合ったりとか、そういうことを初めのうちからやっていけばまた違ったのかなとも思っています」
――室田選手(安寿長距離主将・情コミ4=宮崎日大)は結構大変そうでしたか。
「かなり大変そうでした。やはりチームが変わった1年目ということもありましたし、その中で箱根予選も絶対に取らないといけないというのもあって、プレッシャーの中で誰よりも頑張っていました。最後の最後までキャプテンとしてやってくれていたので、今年度はやはり室田のチームだったのかなと思います」
――同期はどのような存在ですか。
「きついところではしっかり助け合ったり、切磋琢磨(せっさたくま)したりもしていますし、みんな個性的なのですが、その中でも自分がこれを頑張りたいと思ったことは全力でやれる人たちなので、それが社会にいっても役立ってくれるんじゃないかなとは思っています」
――4年間通して監督やコーチ、先輩などから言われた言葉で一番印象に残っている言葉はございますか。
「自分の2つ上に杉さん(彩文海・令6卒)という方がいたのですが、杉さんはレースが終わった後などに必ずメッセージをくれて、自分がダメだった時もアドバイスなどをしてくれて、そういうのはすごく救われましたし、お世話になっている方々のためにも走らないといけないなというのは実感していました」
――杉さん(彩文海・令6卒)からは現在も何か言葉をいただいたりしていましたか。
「3年時にすごく落ち込んでいた時は、吉本の芸人のライブチケットを送ってくれたりとか、あまり堅苦しいようなメッセージではなくて、本当に自分の気持ちを上げてくれるようなメッセージをくれたので感謝しています」
――それは箱根予選の後ですか。
「そうですね。箱根予選の後で今年度も何回かメッセージとかはくれました」
――箱根駅伝に対する印象を教えてください。
「陸上で1番大きい大会なのかなというのは感じていて、そういうところで最後まで恩返しできなかったことは悔しいのですが、走れた経験を今後に生かしていければいいなと思っています」
――一番よくできたと思うレースはございますか。
「この前あったMARCH対抗戦2025で、4年間1万メートルのベストを更新できていなくて、箱根予選も落とした中だったのですが、最後までしっかり腐らず自分の力を信じて自己ベスト出すことができたので、そこは4年間の成長だったかなと思います」
――ラストイヤーの1年間の手応えはいかがでしたか。
「今年度1年間は大学の4年間の中でも1番記録も安定していましたし、チームのために戦えたかなとは思っています。最後5000メートルでも自己ベストを出したかったのですが、しっかり成長した姿を見せられたので後悔はないです」
――期待している後輩などはいらっしゃいますか。
「1番期待しているのは土田(隼司・商2=城西大城西)です。箱根予選の時も誰よりも悔しがっていましたし、明大の中で自分に厳しくできる人の中では、やはり土田が1番しっかりとやれていると思うので、ラスト2年、悔いのない陸上人生を送ってほしいなと思います」
――明大に来て良かったと思ったことはありますか。
「4年間、監督が変わったり、結果が出なかったり、すごく悔しくて辛いことは多かったのですが、そういう失敗からしか学べないこともあると思っていて、そういった意味では良い思い出は少ないですが、その分しっかり叩かれて強くなったと思っています。この経験を生かしていけたら、この明治の4年間というのが良かったなと思えると思います」
――1年時の夏の取材では高校時代の同期である吉居選手の名前なども挙げていたと思いますが、現在も刺激を受けたりしていますか。
「もうライバルとは言えませんが、すごく刺激は受けています。同じ高校で頑張ってきた仲間なので、箱根も応援したいと思いますし、次のステージでは少しでも食らいついていけるように頑張りたいなと思っています」
――今後の進路などはどうされる予定ですか。
「実業団に進む予定です」
――大学での経験は実業団にどう生かしていきたいですか。
「大学で自分の甘さにはしっかり気づけたので、実業団では甘い言葉を使っていたら走れるわけがないので、しっかり気持ちを切り替えて自分に厳しくやっていこうと思います」
――実業団での目標を教えてください。
「ニューイヤー駅伝で区間賞を取ることです」
――精神的にも成績的にも落ち込んだ時はどう改善しましたか。
「1人でいたらすごく落ち込むかなと思いますが、寮に住んでいたので友達とか人と接する機会が多かったので、落ち込むという気持ちはすぐ忘れてしまう方でした。『うわ、もう自分ダメだ』とか、それほど深く考えたことはないですかね。本当に友達の存在が大きかったかなと思います」
――仲良い同期は今も古井さん(康介・政経4=浜松日体)ですか。
「はじめちゃん(尾ノ上一・商4=鹿児島商)と古井です(笑)」
――大学生活において勉強面を不安な点として、最初のルーキー取材の時おっしゃていましたが、そこはなんとか乗り越えられましたか。
「そうですね。2年時からやっと勉強のコツというか、単位を取るコツが分かって、そこからはしっかり取れているので、最後まで気を抜くことなく卒業したいと思います」
――ありがとうございました。
[加藤菜々香]
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