(107)第552号特別インタビュー③/室田安寿

2025.12.27

 今回は明大スポーツ第552号で扱った選手や指導陣の、掲載し切れなかったインタビューをお届けします。

 第3回は室田安寿(情コミ4=宮崎日大)のインタビューです。(この取材は12月3日にオンラインで行われたものです)

――箱根駅伝(箱根)で区間賞を取ることが小学校からの夢と伺いました。そのきっかけを教えてください。
 「1月2日、3日にテレビをつけると箱根駅伝が流れていて、よく見ていました。また、小学6年生の時に地元の駅伝で区間賞を取り、競技の楽しさを知ったので『かっこいい、もっと注目されたい』という思いで、箱根駅伝区間賞を掲げました」

――1年時から箱根駅伝予選会(箱根予選)出走を果たしました。当時の心境を教えてください。
 「初めての夏合宿を乗り越えて迎えた大会だったので、自信になりました」

――2、3年時は、箱根予選のメンバー外を経験しました。どのように捉えていましたか。
 「1年目は順調にいけたのもあって、2年目は遊びに走ってしまいました。競技に集中して取り組めなかったので、反省していています。3年目に関しては反省をし、春からコツコツと練習を継続しました。しかし、箱根予選前に調子を崩してしまったことが原因で、メンバー選考から外れてしまいました」

――その時の心境はいかがでしたか。
 「これだけやってきたのに、直前で苦しんだということが一番悔しかったです」

――3年時の箱根予選で本選出場を逃しました。当時のチームの雰囲気や思いを教えてください。
 「箱根に常に出ている強豪校が明治大学だと思って入学しました。予選会(箱根予選)を通過できず、箱根に出られないのは想像ができませんでした。空白というか、心に穴が開いたように感じていて、チームもかなり暗い雰囲気でした」

――長距離部門の主将になった理由を教えてください。
 「自分が(箱根予選を)走れなかったということもあって、箱根を走るためには、まずチームとして(箱根に)出ないといけないと再認識しました。チームを箱根に導かないといけないという思いとチームが本選出場を逃した悔しさから、主将へ立候補しました。」

――長距離主将として、どんなチームを作りたいと考えていましたか。
 「前々からルールだったり、生活面だったり、土台をしっかり固めようと思っていました。また、監督がコロコロ変わっていく中で、正しい伝統を残していくべきだと感じていました」

――長距離主将として迎えた今年度の箱根予選を振り返って、いかがでしたか。
 「森下(翔太・政経4=世羅)だったり、大湊(柊翔・情コミ3=学法石川)だったり、土田(隼司・商2=城西大城西)が戻ってきたり、1年生が力をつけてきたり、形はでき上がったけれども、中身がともなっていないというのが正直な感想です。スタートラインには立っていたけれど、状態を全員が上げられなかったと思います」

――4年間の中で一番印象的だったことを教えてください。
 「3年目の箱根予選が一番大きかったと思います。元々箱根を走るために明治に入学して、箱根予選のメンバーからは落ちたけれど、本選で走るために準備はしていました。チームが落ちてきてしまい、今年度はもう箱根に出られないとなった時は、心に穴が開いた感じがして、ずっと悔しかったのを今でも覚えています」

――部員日記で「4年間で得たものは結果以上の大きな財産」とおっしゃっていました。具体的にどんなものが4年間を通して財産になったのか教えてください。
 「具体的にこれとは言い切れませんが、考え方や、チームのまとめ方というのは、4年目で一番苦労した部分で、そこが一番印象に残りました。これらは今後、社会人になっても生きるものだと思うので、そこは財産になったと思います。他には、4年間箱根を目指した選手しか得られない経験だったり、キャプテンになったからこそ、応援してくださる方々の声を近くで感じられたことだったり、より箱根への気持ちも高まったし、自分が恵まれた環境で競技できているのだと感じました」

――後輩へのメッセージをお願いします。
 「箱根にこだわれるのは、大学4年間しかできないと思います。基本的には実業団にいかない限り、大学4年間で終わる選手が大半だと思うので、まずは自分の競技を楽しんでやり切ってほしいし、箱根にこだわって頑張ってほしいと思います」

――これからどのような道を歩んでいくのか教えてください。
 「就職します。競技とは関係ないところで働きます。10年間競技に触れてきて、他の学生と比べると様々なことを経験していないので、たくさんのことを経験して、学んで、感じていきたいです」

――ありがとうございました。

[武田隼輔]