(106)第552号特別インタビュー②/綾一輝

2025.12.27

 今回は明大スポーツ第552号で扱った選手や指導陣の、掲載し切れなかったインタビューをお届けします。

 第2回は綾一輝(理工3=八千代松陰)のインタビューです。(この取材は12月5日に行われたものです)

――今の状態はいかがですか。
 「8月末からケガをしていて、2カ月くらい走れませんでした。ようやく復帰して、立ち上げではありますが、徐々に全体に合流できています」

――1年生の頃は箱根駅伝(箱根)含め多くの主要大会に出場されましたが、振り返っていかがでしたか。
 「主要なレースも比較的走れました。良くなかった時もありましたが、結果的に箱根にも出られて、いろいろとチャレンジできた1年でした」

――2年生の春頃にケガをされて、大学入学後初めて、まとまって練習ができない期間でしたが、振り返っていかがでしたか。
 「全日本大学駅伝予選会(全日本予選)には出場しましたが、ずっと足が痛い状態で。そういったのが初めてで、あまり結果も出ずに、ケガもなかなか治らなくて、悩んだというか苦しかったです」

――全日本予選をケガしながら走ったことは、その後の悪化につながってしまいましたか。
 「そうですね。12月くらいまで長引いてしまって、無理したのが響いたかなと思います」

――どういったケガだったのですか。
 「その時は左の坐骨の腱が切れていて、全日本予選に出場する前にも病院に行きましたが原因が分からず、全日本予選にも出てしまいました。痛み自体は5月末くらいからありましたが、ケガ自体が分かったのが9月頭くらいで、その間も原因が分からずに『走っていいのかな』と迷いながら走ってしまって。結果全治半年かかる事態につながってしまって、左右バランスも悪くなってしまいました」

――その後チームとして箱根駅伝予選会(箱根予選)で落選してしまいました。メンバー外から見ていかがでしたか。
 「自分自身が走ることすらできないことに対しても悔しいですし、もちろんチームとして出場できないことも悔しかったです。自分が走れてない以上『まずは自分が走れるようにならないといけない』という自分自身に対しての危機感がありました」

――その頃のチームの雰囲気はいかがでしたか。
 「走った選手たち当人は悔しそうにしていましたが、チーム全体で言うと、1年生の全日本予選で落ちた時は全体で危機感がありましたが、2年生で箱根予選に落ちた時は、そういったものがあまり感じられませんでした」

――ケガが長引いて、3年生前半もなかなかレースに出られませんでした。
 「大志田秀次駅伝監督が新しく就任されて、全日本予選に向けて調整していこうと練習をしていましたが、全日本予選に合わせて急ピッチで練習してしまって、直前にケガをしてしまって出場は回避することになりました。前半シーズンで走ったのは関東学生網走夏季記録挑戦競技会(網走)の1本だけで、それも13カ月ぶりぐらいですね。一応1本だけでも走ることができたのは、自分にとっても少し良かったのかなと思いますが、記録会なので。主要大会に出られなかったのは自分自身で原因をしっかり考えて、やっていきたいと思います」

――大志田駅伝監督と最初に会った時には、どういった言葉を掛けられましたか。
 「自分は1月頃に、みんなよりは少し早めに病院で会いました。自分がケガしている状態でも『必ず復帰して強くしてやるから』と背中を押してくださるような言葉をかけてくださりました。初対面なのに自分のフォームの癖までも大志田さんは知っていて、驚いたというか『ここまで知っているんだ』と思って、大志田さんについていこうと改めて思いました」

――大志田駅伝監督が就任し、今年度から新しく紫紺の襷プロジェクトが始まりましたが、ケアなども徐々に充実していますか。
 「プロジェクトが始まってからはケアの部分もそうですし、食事面などでも色々と取り組みが変わっていっているなと感じています」

――特に効果を感じている部分はありますか。
 「ケアや治療、食事、合宿などいろいろありますが、これをやってこう変わったかと言われると、少し難しいところがあります。ケガ人がゼロになったかと言われるとそういうわけでもないですし。ただ食事や血液検査に関しては、今までは自由な感じでしたが、全員で統一することによって、全員が意識を持つようになったと思います」

――7月に、昨年度の全日本予選以来13カ月ぶりにレースに出られましたが、走った時の感触や、久しぶりにレースに出ることに対する気持ちはいかがでしたか。
 「やっと走れるなと。まずはスタートラインに立てたことに対して安心しました。できれば結果を出したかったですが、まだしっかり練習できてなかったのと、コンディションも北海道なのに結構暑くて。ただ、出たことへの安心感と、緊張もしましたが走れて良かったです」

――夏合宿はどこまで練習できていましたか。
 「自分はAチームで紋別合宿に参加しました。8月末の最後のポイント練習以外は参加できていて、最後の最後でケガというか、力が入らなくなってしまって断念しました。それ以外はほとんど消化できていました」

――復帰レースに出て、箱根予選に向けての段階で違和感が出てしまったのはやはり悔しかったですか。
 「そうですね。結構合宿中も練習できていたので、急に力が入らなくなってしまって、焦りました」

――そのまま練習を積めていたら箱根予選にもいい状態で臨めたという感触ですか。
 「そうですね。結構いい練習ができていたので、ある程度の記録は狙えたかなと思います」

――箱根予選の結果だけを見れば昨年度と同じ12位でしたが、昨年度と変わった部分はありましたか。
 「自分は走っていないので、あまり言える立場ではありませんが、誰かが崩れたのではなくて、全体がある程度のタイムで走っていたので、でこぼこも少しは埋まってきているのかなと思います。一方、だからこそ他のチームとの実力差がより顕著に出てしまったかなと思います」

――2年生以降は思うように走れない日々が続いた中で副将に就任されました。副将に立候補した理由を教えてください。
 「自分自身が箱根駅伝に出場したい、という気持ちがあります。記録を出すのはもちろんですが、最高学年として少しでも引っ張っていかないといけないと思って。人前に立って何か指示したり、引っ張るのは得意というか、向いているわけではないですが、チームで勝ちたいという気持ちが強いです」

――大学入学時は、綾選手と大湊柊翔選手(情コミ3=学法石川)で、ダブルエースと評されることもありました。新長距離主将の大湊選手とともにチームを引っ張っていくことに関して、どのような思いがありますか。
 「1年生の時から『自分たちが最高学年になった時は、2人で引っ張っていこう』と話していました。4年生になったから2人で頑張っていこうというよりかは、1年生の時からずっと2人で頑張ってきたところもあるので、ある意味今までと変わらないかなと思います」

――ライバルであり仲間として、大湊選手の最近の走りはどのように見ていますか。
 「元々大湊は夏にケガをしていて、練習できていない中でも箱根予選をチームトップで走ったり、MARCH(対抗戦2025)ももっと上の記録を狙っていたとは思いますが、28分台でまとめたことを考えると、本当にレベルが高いと感じます。自分自身もそこに並ぶだけではなくて、上に立たないといけないと思いますし(大湊が)一人だけだと苦しい部分もあると思うので、そこで自分が肩を並べて走ってお互いに高め合っていきたいと思います」

――副将としてどういった姿を見せていきたいですか。
 「まずは結果を残して、結果を出すことで周りの下級生や仲間たちがついてきてくれるような、結果で示せるような副将になりたいと思います」

――綾選手は理工学部ですが、ここまで3年間やってきて、両立はできていますか。
 「一応単位は全て取ったので、最低限両立はできているのかなと思います。3年生の秋になってようやく授業がほぼなくなって、学校に行くのも週に2回とか3回になりましたが、改めて今思うと、1、2年生の時は結構大変だったなと思います。授業数も課題も多かったので」

――好きな分野や、興味を持った授業はありましたか。
 「今は生成AIの勉強をしています。AIの分野に関しては今トレンドで、身近にあるものを学ぶことは興味があります」

――生田キャンパスにはどういった感想を持っていますか。
 「本当自然に豊かだなと思います(笑)。だからこそ1、2年生の頃は生田キャンパスで練習することもあって、結構アップダウンがあるコースなので、都会とはまた違った環境で走ることができるのは、自分にとってはプラスだったのかなと思います」

――次に狙っているレースや、目標があれば教えてください。
 「今後狙っていく大会は、2月1日にある香川丸亀国際ハーフマラソンです。明大新記録(1時間1分37秒)を目標にして走ります。そのためにも、まずは継続した練習もしないといけないですし、ただ練習するだけではなくて、何が自分に足りないか、常に考えながら練習していきたいと思います」

――最終学年に向けて意気込みをお願いします。
 「これまでケガでレースに出られませんでしたが、ラストイヤーはしっかり主要大会に出場して結果を残して、全日本大学駅伝と箱根に出場できるように。チームを引っ張れるような存在になれるように頑張りたいなと思います」

――ありがとうございました。

[橋場涼斗]