(98)大学野球引退インタビュー 木本圭一主将

2025.12.04

(この取材は11月30日、電話にて行われました)

木本圭一主将(政経4=桐蔭学園)
――大学4年間の野球生活を一言で表すと、どんな時間でしたか。
 「成長できた大学生活だったかなと思います。選手としては、何においても技術は向上したなと感じていて。あとは人間としていい思いも苦しい思いもさせてもらって、とても経験を積むことができたという風ふうに思います」

――明治大学に進学された理由は何でしたか。
 「そうですね。プロ野球選手の輩出数が多いイメージがあったので、それで選びました」

――入学当初「こういう選手になりたい」という目標はありましたか。
 「そんなには具体的にはなかったんですが、高校からプロには行けなかったので、少しでもプロに近づける、いい選手になりたいというふうに思いました」

(グラフは10月30日、別件での取材時に直筆で記入いただいたものを基に再編したものになります)

――かなり下の方からスタートされました。
 「いやもうこの辺ですね。1年生の頃は。出られると本当に思っていなくて、何気なく授業に行って、同級生と適当に練習に出てみたいな感じでした(笑)。1年のときは何もなくて(横ばい)」

――ホームランを放った2春のデビューが印象的です。
 「2春でいきなりですね。3年秋くらいでレギュラーを取れたらいいなという感じだったんですよね。入ってきた時には無理だと思っていたので。先輩が抜けて3秋ぐらいでレギュラーが取れればいいなと思っていたときに、ちょうどチャンスをもらって、たまたまそれがホームランになって『少しはやれるかな』という気持ちになりましたね。3年春はベストナインで、大学に入る前から取りたいなと思っていたので、うれしかったですね」

――1年生の頃の目標と、到達点を比べていかがですか。
 「大学入った時は試合にも出られないと思っていたので、自分の中ではよく頑張った方じゃないかなと思っています。(苦しかったことは)4年生になり、結果がなかなか出なかったことです。それまでは自分の中でもいい結果が出ていて、4年生になってうまくいかなくなったなという感じです」

――野球以外も含め、この4年間で変わらなかった自分の性質や新しく気づいた側面はありますか。
 「思ったよりもあまり重く受け止めないタイプなんだなというのは思いましたね。うまく切り替えができるというか。苦しいときもありましたが、そこまで(モチベーションが)落ちることもなくという感じだったので」

――印象に残っているエピソードはありますか。
 「3年の夏のキャンプですかね。福王(昭仁コーチ・〜令6)さんの、守備の特守ノックがきつかったです。ケースのボールがなくなるまでなんですが、ケースもめちゃくちゃデカくて。左右にも(打球が)振られて、エラーすれば3本連続で取んなきゃいけなくて」

――桐蔭学園高時代の練習はどうでしたか。
 「高校はランニングがすごくきつくて。冬練とか朝5時くらいから10キロ程走って、放課後に練習して、その後でまたランニングという流れでした。(明大に入って)ランニングに対しては気持ちの余裕はありましたが、高校で走ってよかったなとは思わないです(笑)。ただ感謝はしています」

――大学生活のターニングポイントと呼べる場面はどこでしたか。
 「やはり2年春のホームランだったかなと思います。初打席もふわふわする感じで打席に立ったのを覚えていますね」

――大学生活で影響を受けた先輩はいますか。
 「宗山さん(令6商卒=広陵)ですかね。二遊間を組ませていただいて、うまさとかバッティングの良さをすぐそばで見ていたので、すごいなと思いました。すごく真面目でストイックというか、揚げ物を食べなかったり、ラーメンを食べなかったり。ストイックだなと思っていました」

――寮生活で特に大変だったことはありますか。
 「朝の体操は大変でした。円になって、主将の自分が真ん中で、4年間で1回も朝寝坊したことはなかったです」

――選手としてやり切ったことと心残りをそれぞれ教えてください。
 「やりきったことはキャプテンとして最後まで明るく、いい結果に向いたことがやりきれたかなと思います。心残りとしては、プロに行けるくらいの数字と結果を残せなかったことですね」

――後輩に伝えたいことはありますか。
 「やっぱりチームプレーなので、チームの輪を大切にしつつ来年からも引き続き頑張ってほしいなと思います」

――では最後に、社会人チームでの意気込みをお願いします。
 「もっとレベルの高いチームで野球するので。さらにレベルアップして、もっといい結果を目指して頑張りたいなと思います。」

――ありがとうございました。

[松下日軌]