(70)第551号ラグビー早明戦特集号 特別インタビュー! 母・美穂さん、姉・夏季さんが語る平翔太
平翔太主将(商4=東福岡)をそばで支えてきた母・美穂さん。美穂さんへの取材のみを予定していましたが、姉・夏季さんにも急遽途中から参加していただき、平選手とのエピソードや普段は見せない意外な一面まで、さまざまなお話を伺いました。ここでは紙面に載せきれなかったインタビューをお届けします!(この取材は11月29日に行われたものです)
――幼少期はどんなお子さんでしたか。
「割と活発でした。家で遊ぶよりも外に出て、お友達と一緒に公園をかけ回っていました。家でじっとしているよりも、公園で鬼ごっこをしたりとか、サッカー好きだったのでお友達と一緒にやっていましたね」
――翔太さんの名前の由来はありますか。
「まずは字画で、名字が平で1文字なので、それに合うような文字を選びましたね。それとあとは生まれたのが羊年だったんです。翔太の『翔』に羊っていう字が入っているので『太く』、大きく世界に羽ばたけるようにという意味を込めてつけました。本を見ながら考えていた覚えがあります」
――翔太さんがラグビーをするとなった時のお気持ちをお聞かせください。
「翔太の父親はラグビー経験者ではなくて、野球をやっていたので、野球をさせたかったらしいんですけど、近くの野球チームを見に行ったけど、ちょっとあまり進んでさせたいっていう感じにはならなかったらしいです。どうしようかなって思っていた時に、保育園の時の同級生のお父さんがラグビー経験者で、ちょっと一緒にやってみないかって言われたんですね。体験に行って、そしたら父親の方がハマったみたいで、翔太も楽しかったのかどうか分からないですけど、野球よりラグビーをさせようかみたいになりましたね。スポーツは何かやらせたいなと思っていて、3歳から水泳はやっていて、水泳とは別に他のスポーツでラグビーに出会ったので『ラグビーいいんじゃない』という感じでした。小学1年生から始めたんですけど、低学年のラグビーって、今みたいなガツガツ行くタイプではなくてボールを持って追いかけるみたいな感じだったので、楽しそうでした」
――毎試合、翔太さんの動画を全部撮っていたとお聞きしました。
「小学生の時は年に何回か試合があって、その度に撮っていました。中学生からは本格的に試合とかもあったので、全て動画はビデオカメラで撮って、家に帰ったらすぐDVDに落として、すぐ翔太がその日のプレーが見れるようにしていました。親も見たいからというのもありました」
――翔太さんがラグビーを本気でやろうと思った時のことを覚えていますか。
「試合に出るようになってからですかね。小学校の3、4年生の時にセブンスっていう、中学年は7人でやっていて、運動神経がずば抜けて良かったので(笑)。ボールを持ったらすぐトライに行ける、だからそれが楽しくなったのかなって。それから本人も楽しくなってきたのかなって思いますね」
――食事面のサポートで気をつけていたことはありますか。
「特にこれを食べさせたいとかはそんなになかったんですけど、野菜はそんなに好きではなかったです。トマトは絶対に食べません(笑)。麺類は好きですけどね。食事は特に気をつけたっていうことはないですけど、割とバランスは偏りがないように考えて出してはいました」
――ラグビーは体をぶつけるスポーツですが、不安などはありましたか。
「ラグビーは体がぶつかるので、ケガはしょうがないと思っているんですよね。ケガはしょうがないと思っていても、やはり心配なので、小学生、中学生の時の練習は必ずついて行っていました。なにかあったらすぐ対応できるように、できるだけ自分の用事がない限りは私か父親かどっちかついている感じでした」
――明大に進学を決めた時はどのような思いがありましたか。
「中学、高校ぐらいから、明治に行きたいとは言っていたので『行きたいんだったら、自分で努力して行きなさい。自分が行きたいところに行けばいいんじゃない』って言いましたね。幸いにも高校の時に九州大会とかがあった時に、大学のスカウトの方や監督さんに声をかけていただいたりして、運よく明治さんに拾っていただけることができたので良かったなと思います。思い通りになって良かったんじゃないかなと思います」
――ご実家から離れるとなって寂しさなどはありましたか。
「ラグビーを大学でもやるんだったら、大学は九州にいても翔太だったら活躍できないと思っていたので、当然関東の方に行くというのは覚悟していました。早い時点から明治って言っていたので、寂しいよりも本人が行きたいんだからそれは応援してあげようとは思いました」
――翔太さんが主将をすることになった時の心境を教えてください。
「『冗談でしょ!?』ってなりましたね。もしかして、次の主将は翔太じゃないかっていう全然知らないところからの噂では聞いていたんですけど、本当に翔太が主将をするって決まった時には『え、できるの?主将もしたことがないし、学級委員長とか、そういうのもやったことがないのに、そんな大役、本当にできるのかな』って思いました。皆さんに主将にさせていただいた、主将として育てていただきました。徐々に主将らしくなった、主将らしいことを言えるようになったのかなと最近は思います」
――ご家族だからこそ知っている翔太さんの一面はございますか。
美穂さん:「家ではほとんど喋りませんね。会話が成り立たないくらい(笑)。男の子ってそんな感じなんですかね。こっちから言わないと答えないですし。四つ上にお姉ちゃんがいるんですけど、お姉ちゃんはものすごくお喋りなので、お姉ちゃんとはよくラインで話しているみたいです。で、お姉ちゃんから私に情報をもらうみたいな感じです(笑)」
夏季さん:「家での翔太と外の翔太って違うじゃないですか。化粧品、スキンケアとか、服とか私が結構買っていた時があって、『この(服の)組み合わせどう?』って写真で送ってきたり『上と下のバランスはどう?』ってよく相談はきますね(笑)」

――幼少期のご姉弟のエピソードはありますか。
夏季さん:「私がずっとちょっかいをかけてお世話していました。今でもすごくかわいいです。ちっちゃいまんまです。だから、大きなところで試合したり、コメントしているの見ると、なんか歯がゆいというか『あの翔太が!?』ってなります(笑)」
――お母様、お姉様と似ているところはありますか。
美穂さん:「翔太と私は友達とかからは顔が似ているって言われますけど似てないと思いますね。私と娘は似ていて娘と翔太は似ているんですけどね。パパと翔太も似てないですね(笑)」
夏季さん:「性格で言うと、翔太はすごく真面目です。私は本当に真逆なんですよ。もう何も考えずに突っ切るタイプで、翔太はすごく緊張するタイプです。超考えすぎて、試合前は眠れないとか、小さい頃はよくお腹痛くなっていましたね。神経質なので精神状態からよく体調を崩していました。今もちょこちょこ風邪引くみたいです」
――普段あまり感情を出されない翔太さんですが、帝京大戦の勝利の後は涙がありました。
美穂さん:「この試合は現地で応援していました。遠くからしか見えないじゃないですか。だから、泣いているのが、そんなに分からなくて、後でカメラ、テレビ、画像、動画とか見て泣いていたんだって気づきました。ちょっと涙ぐむって感じだったですよね。ボロボロは泣かない。あの人はボロボロ泣いたことはないです」
夏季さん:「感情を出す時は、弟はラグビー関係でしか感情を出さないっていうイメージです。小さい頃は私と喧嘩して、泣いていましたけど(笑)。翔太は言葉数が少なくて、私が言葉数が多いので、言葉で倒す、みたいな(笑)」
美穂さん:「帝京戦の時は最後ラッキーっていうか、でも負けるっていう気はしませんでしたよね。みんな気持ちが入っていたので。絶対逆転するぞみたいな勢いで。最終的に勝てたので、うれしかったんだろうなと思いましたね」
――翔太さんに向けてメッセージをお願いします。
美穂さん:「早明戦勝って、選手権優勝、これしかないので、頑張ってラグビーするしかないですよね。自分と仲間を信じて、最後まで頑張ってほしいと思います!」
夏季さん:「私にとってはかわいい末っ子の小さい翔太くんのままなんですけど、ラグビーをしていると、やっぱり色々考えてるし、大人の翔太くんなんです。頑張ってって思います!」
――ありがとうございました。
[木曽琴乃]
※写真提供:母・美穂さん
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