(47)~The road to Recapture~ 川村心馬「ラグビーと向き合い続けた4年間」
「最後の1分1秒までスキを見せず、全力を尽くす」。平翔太主将(商4=東福岡)がスローガンである『完遂』に込めた意味だ。関東大学対抗戦、全国大学選手権制覇の渇望を胸に、ラグビーに向き合ってきた4年生は明大での日々を振り返って何を語るのか。4年間の総括とラストシーズンの意気込みを伺った。11月7日より連載していく。
第8回は川村心馬(法4=函館ラ・サール)のインタビューをお送りします。(この取材は10月31日に行われました)
――明大ラグビー部での4年間を振り返っていかがですか。
「本当にラグビーと向き合えた4年間だったなと感じます。僕はスポーツ推薦で入学させてもらって、明治大学のラグビー部以外、他の大学のことはよく分からないんですけど、ここまでラグビーに集中できる環境というのは、本当にありがたいことだと思っていています。ウエート施設もグラウンド施設も、ラグビーを第一に考えて生活ができる環境だったので、そういった意味で本当に4年間、ラグビーとずっと向き合い続けてこれたのかなと思います」
――4年間でつらかったことはありますか。
「入学して3カ月ぐらいが一番つらかった時期かなと思いますね。僕の(出身)高校はラグビー界では弱小校、無名校で、北海道から出てきたので、当然周りにも知り合いがいない中で生活を始めていくことがスタートラインでした。当時の僕は周りの人たちとは経験値も全然違って、ラグビーに対する知識は周りと比べて劣っていました。実績もまだないし、知り合いもいない中で、孤立していたわけではないんですけど、1人で戦っている感じがあって。本当に苦しい期間でした」
――壁をどのように乗り越えましたか。
「やっぱり同期の存在が一番大きかったです。知り合いもいない中だったんですけど、徐々に同期と仲良くなって、僕のキャラクターも同期がつくり上げてくれました。同期と仲良くなっていくにつれて、先輩とも徐々に絡むようになっていったので、(チームに)溶け込めたのは本当に同期のおかげかなと思いますね」
――4年間でターニングポイントになった出来事を教えてください。
「大学2年生の時僕はスタンドオフをやっていたんですけど、当時のヘッドコーチだった伊藤宏明さんに『バックスリーやってみないか』と言っていただきました。ウイングやフルバックでジュニア(関東大学ジュニア選手権)も出させてもらったんですけど、それでプレーの幅が広がったのが大きかったかなと思います。一つのポジションだけじゃなくて複数のポジションをできた方が、それこそ使ってもらえる機会が増えたり、見てもらえるプレーの幅が増えたりするので、良かったです」
――印象に残っている試合を教えてください。
「今年の春の同志社大との試合です。僕はそこで初めて紫紺を着させてもらったんですけど、明治の10番というのは、僕からしたら本当に超有名選手しかいないんですよ。その中で、僕は1年生から3年生までの間の半分以上は基本ルビコンにいました。3年目の秋、冬ぐらいから徐々にヘッドコーチの高野彬夫さんに評価していただいたり、周りからの信頼も出始めて、4年目の1発目に明治の10番を着させてもらったので、一番印象に残っています」
――4年間明大ラグビー部で頑張れた要因を教えてください。
「僕の中では(要因が)二つあって、一つは家族のためです。僕は5歳からラグビーを始めて、何不自由なくラグビーができてきたのは、応援してくれる両親や兄弟のおかげです。ケガや手術もあったんですけど、応援してくれる家族のために恩返しする気持ちがあったので、折れずにずっと続けてこれたのかなと思いますね。もう一つは、同期です。4年間毎日一緒に生活していたら、もう家族みたいな存在で、どんなことでも言い合える存在で、苦しい時もうれしい時も全部共有してきました。そういった同期の存在が近くにあったからこそ、こうやって今プレーできていると思います」
――後輩の存在は川村選手にとってどのような影響を与えていますか。
「後輩とはいい意味で壁を作りたくなくて、自分からも話しかけたりします。そういった意味で後輩とはいい関係で、友達感覚で話せますし、今の部屋っ子の伊藤利江人(商3=報徳学園)に関しては、4年間のうち2年半、僕と一緒の部屋なので、もう利江人とは兄弟みたいな感じで接していますね。何でも言い合えて、高め合えるいい存在です」
――伊藤利選手は川村選手と同じくスタンドオフからバックスリーに挑戦されていますが、自身と通じる部分はありますか。
「本当にその通りですね。利江人もずっとスタンドをやっていて、今年に入ってからバックスリーをやり始めました。今年のバックスリー(転向)も多分ヘッドコーチに頼まれてやっているので、僕に通ずるところもあります。それこそ部屋でポジションをどうやったらいいのかとか、練習映像でここはどうするべきかを話していて、本当に同じポジションをやっているからこそ、いい影響になっていますね」
――明大ラグビー部に入って良かったと思う場面はありますか。
「応援してくれる方たちの温かさが本当にいいなと思っています。(入部当初は)僕は本当に知られてないと思っていました。(出身)高校も有名じゃない中で、八幡山で練習や試合後にファンの方から『川村くんだよね』や『応援してるよ』という声をかけていただくこともありました。本当に明治大学のラグビー部はファンの方も多いですし、そのファンの方々の部員一人一人に対しての思いがちゃんと伝わってくる部活なので、本当にいいなっていうふうに思いますね」
――川村選手にとってスローガンである『完遂』の意味はどのようなものですか。
「このスローガンの意味は、結果を残すことだけじゃないと僕は思っています。日常生活でも日本一にふさわしく、だらしないことをしないのが、僕の中での『完遂』だと思います。日本一になったからいいというわけではなく、日常生活もしっかりした上で『完遂』するというのを4年生で最初に話し合っていたので、僕の中の『完遂』は結果を残すことだけが意味ではないのかなと思います」
――残りのシーズンに向けて意気込みをお願いします。
「まず絶対ケガなくやり切りたいです。また、僕もまだ紫紺を着て試合に出ることは諦めていないので、今の立ち位置でも諦めずに最後まで試合に出ることを思い続けてやり切るということ。もし仮に出られなくても、チームを日本一にしたい、日本一になりたいという気持ちは変わらないので、Aチームだけでなく他の選手、ABC関わらず他の選手たちと協力して、全力で日本一に向けてやっていこうかなと思います」
――ありがとうございました。
[晴山赳生]
◆川村 心馬(かわむら・しんま)法4、函館ラ・サール高。179センチ・91キロ
北海道出身ということもあり、上京するまでゴキブリを見たことがなかった川村選手。明大入学後、寮にゴキブリが出現した際は素手で捕まえて周りを驚かせたそう。「今もゴキブリが出たら、心馬呼ばなきゃみたいな感じで電話がかかってきます(笑)」
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