(33)「相手にいて嫌な存在」が秩父宮でマッチアップ 申驥世×古賀龍人 対談前編/慶明戦100戦目記念 慶應スポーツ新聞会コラボ企画

2025.10.27

 名門・桐蔭学園高の主将/副将として全国優勝に導いた申驥世(慶大・文1=桐蔭学園)と古賀龍人(明大・商1=桐蔭学園)。11月2日、ラグビーの聖地・秩父宮ラグビー場で行われる慶明戦100周年試合を前に、ルーキーイヤーから大舞台で躍動し、多くのファンの期待を背負う二人の対談が実現。高校時代のエピソードから、大学入学後のお互いの活躍の源に迫った。(この取材は10月8日に行われたものです)

*今回は慶應スポーツ新聞会とのコラボ企画となっております。後編は慶應スポーツ新聞会のWEBサイトに28日掲載予定ですので、併せてご覧ください!

――他己紹介をお願いします。
古賀(古):名前は申驥世です。どんな人かというと、普段はみんなとワイワイやる感じなんですけど、真面目なところは真面目で。やっぱり人を束ねる、引っ張ることが得意な人だと思います。趣味はサウナで、よく行ってますね。
申:名前は古賀龍人です。キックもランもパスも全部持っているFBです。一見クールな感じに見えますけど、すごいふざけてて、誰よりも負けず嫌いなところがあって、試合になるとすごいスイッチが入るような、熱い漢です。古賀くんもかなりサウナが好きだと思います!

――お二人でサウナに行くことはありますか。
古・申:そうだね。
申:高校時代もよく行ってました。

――お二人の出会いについて教えてください。
申:桐蔭学園高校1年の4月です。最初は(古賀が)とてもデカかったので、LOの選手だと思いました。表情が怖かったので、すごい怖い人なのかな、という印象でした。
古:練習が始まってから、驥世はどんどん上のチームの練習に絡んで行っていたので、とてもすごいなと思っていました。あと、やっぱりずっとニコニコしていて、親しみやすい人なんだろうな、と思っていました。

――お互いにここがすごいなと思うところはありますか。
申:古賀は本当に緊張しているのを自分は見たことがなくて。花園(全国高校大会)の決勝とか本当に大きい大会では、緊張する人がほとんどなんですけど、彼はいつも全然緊張していなくて、なんならふざけているくらいで。なのにプレーはすごくいいので、めちゃくちゃ勝負強いところがすごいと思います。
古:バスの中とか、試合会場に着くちょっと前までふざけていても、会場に入ったらやっぱり頼りになる感じというか。スッと切り替えていて、試合前のハドルでもチームの意識を上げるような言葉をかけていて。試合中も、苦しい場面で愚直なタックルやジャッカルなどのプレーでも魅せてくれるところがすごいと思います。

――高校時代になぜ主将・副将に任命されたのか教えてください。
申:桐蔭は部員で投票を取って決めるんですけど、それで僕と古賀がFWとBKで票が多かったというのと、二人とも自薦したというところが大きいです。あと、藤原先生(秀之、桐蔭学園高ラグビー部部長兼監督)に僕たちが呼ばれて「(主将・副将を)二人にしようと思ってるんだけど、どっちをやるのか、明日までに覚悟を決めてやるのかやらないのか決めろ」と言われました。それで二人で決めました。

――当時監督に呼ばれた時の心境はいかがでしたか。
古:僕たちが2年時の花園で試合に出ていたのが、驥世と新里(堅志・筑波大)と僕だったので、その中からチームを引っ張る人が出てくるのかなと思っていました。なのでそんなにビックリしたことはなかったです。「こうなるだろうな」というのは前から少し思っていました。
申:自分も同じ感じです。藤原先生に「(当時)今年の代は厳しい代になると思うし、その主将・副将は普通の覚悟じゃできないから、簡単に任せて、途中で無理ですというのは通用しないから、一日しっかり考えて」と真剣に言われて、「そんな簡単なものじゃないし、深く考えなければいけない」と思いました。

――「今年の代は厳しい代になる」と言われた理由は何ですか。
申:自分たちの一個上の代が、何でもできて、初めからすごく強い代でした。それに比べて自分たちは試合に出ていた部員も3人くらいだったし、身体の大きさや能力に関しても全部劣っていて、最初はかなり弱い代だと自認していました。

――主将・副将として意識していたことを教えてください。
古:驥世はみんなに厳しいことも言うんですけど、色んな人にズバッと言えるタイプではなくて、僕に比べて優しさが先に出てしまいます。驥世がみんなをまとめている分、自分がしっかり言うべきことを指摘することは意識していました。主将が見えていないところを自分がまとめるというところは考えていました。
申:やっぱり古賀がこのようにバランスを取ってくれていた部分がありました。僕が話しすぎていたら、古賀が引いてくれたり。自分が気づいていないところに古賀が気づいてくれていたので、自分がチームの優勝に必要だと思ったことを、チームにどう伝えるか、どう体現するかにフォーカスを当てることができました。古賀のおかげで自分のやることがはっきりしていて、やりやすかったです。

――夏はお二人ともケガで戦列を離れていたと伺っていますが、どのようにチームを立て直すか話し合っていたことはありますか。
申:二人ともケガをしてしまってチームに迷惑をかけちゃったんですけど、それで代理のリーダー陣が試合に出てくれて、自分たちだけじゃなくて3年生全員がリーダーシップを持とうという話になって、結果的にそこで団結力が上がったのかなと思います。

――自分たちの代で花園連覇を達成された時の心境はいかがでしたか。
古:ずっと勝ってきた関東新人(関東高校新人大会)で準優勝になったり、選抜大会(全国高校選抜大会)もサニックス(サニックスワールドユース交流大会)も負けて、自分たちの代でうまくいくことが少なかったんですけど、夏合宿で僕たち2人が離脱した頃から、チームの意識もどんどん変わって、(ケガから)戻る頃には僕たちが特に意識しなくても大丈夫なチームになっていたので、チーム全員でつかみ取ったものだと思って、すごくうれしかったです。
申:本当に、感動、誇らしい気持ちがありました。2年生の時に優勝した時は単純な「やったー」という喜びだったんですけど、3年生で最後優勝した瞬間は「”自分たちの代で”優勝したんだ」っていうそのうれしさと「弱い」と言われてきた代として「強い」ことを証明できたうれしさとか、今までの辛かったことを思い出して感動して、試合終了の笛が鳴った瞬間に泣いちゃって。自分でもビックリしたんですけど、本当にホッとしました。

――その他印象に残っているエピソードはありますか。
申:いろいろありますけど、主将・副将を任されてすぐにチームスローガンとか色々考えなければいけないことがあったんですけど、それが何回も却下されてしまったりして、結構しんどかったのは覚えてます。
古:ラグビーは関係ないんですけど、僕と驥世と石原遼(早大・スポ1)、谷本幹太(早大・スポ1)とか、一緒に駅から帰る組みたいなのがあったんですけど、一緒に遊ぶことになったら絶対集合時間にそろわない。絶対に誰かしらが遅刻してきます(笑)。驥世とかはいつもちゃんと来るんですけど。
申:谷本は髭剃りで(人中のあたりを)切っちゃって3時間くらい遅れたことあったよね(笑)。あと、県予選前の涙のミーティング!
古:真実話すん?(笑)
申:程々に。僕たちの県予選の前に、僕たちもケガしていて、チームとしてもうまく行ってなかった時に、部室に選手たちが集まって「この先のチームどうしていくのか」のミーティングがあって。かなり熱い話をしたので、それも覚えています。

[島森沙奈美(慶應スポーツ新聞会)]