(66)三田村悠吾 辿る〝剛腕変化球投手〟への軌跡

2025.10.06

 憧れだった紫紺のユニホームへと袖を通し、最速153キロにまで球速を伸ばした三田村悠吾投手(総合1=千葉黎明)。恵まれぬ環境も、悔しさも、すべてを糧に這い上がってきた。大学ではチームを四冠へ導く〝剛腕変化球投手〟を目標に突き進む。

偶然が紡いだ出会い
 「走るのが疲れてしまって」。サッカー少年だった三田村が野球と出会ったきっかけは、実にシンプルだった。5歳でガーナから来日すると、近所に住む幼なじみの父に誘われ、野球の世界に足を踏み入れた。
 中学時代は決して恵まれた環境ではなかった。軟式の野球部に入部すると、部員は少なく、3年時はギリギリ9人。2年時は合同チームで大会に出場していた。「軟式でも自分がしっかりしていればプロを目指せる」。環境にこだわらず練習に打ち込み、学業にも注力した。

受け継いだ紫紺の夢
 明大出身の曽祖父の影響もあり「明治は日本一強い」と中学生ながら漠然と明大への憧れを抱いていた。その思いから、勉強と野球を両立できる千葉黎明高・特進コースに進学し、夢への道を歩み始めた。
 三田村が本格的に投手に挑戦したのは高校に入学してからだ。するとすぐにその頭角を現し、高校3年時には背番号1を獲得。しかし「投球に自信がなく、常にかわす投球だった」と最速147キロながら、スライダーを中心に打者をかわす投球を軸としていた。最後の夏の大会は、Bシードながら2回戦で敗退。後輩にマウンドを譲る形となった。「とにかく自分が憎かったし、悔しかった」。夏の大会以降は、一般入試でも明大を目指そうと、学業に努めた。

遅咲きの桜今開花へ
 明大への入学が決まったのは、高校3年時の11月。最終的にはスポーツ推薦で合格を勝ち取った。「全国で名をとどろかせた選手が集まってくるので、一筋縄でいかない。雑草魂、絶対に食らいつくという気持ち」と新天地で感じたのは圧倒的なレベルの高さ。「全員が活躍するために自分なりに考え、練習している」環境で高校時代の悔しさを胸に、一日一日を大切に憧れの舞台で汗を流す。
 大学では四冠へ導く〝剛腕変化球投手〟が目標。「投げ分けのできる最速160キロ投手」を目指す。そして最終的な夢はメジャーでワールドシリーズ制覇。壮大な夢だが、三田村の目に迷いはない。この大きな夢に向かって一歩一歩着実に、通過点である大学で飛躍を遂げて見せる。明大から世界へ。大きな夢を見据える紫紺の新星が、力強く羽ばたく。

◆三田村 悠吾(みたむら・ゆうご)総合1、千葉県出身、千葉黎明高。186センチ、86キロ、右投げ右打ち、投手。先輩がいない総合数理学部で学業にも励む。