後藤快斗 日本一へ止まらぬ歩み

2025.09.29

 全国高校大会(花園)を制した期待のルーキーが明大に加わった。素早い展開と巧みなキックを強みとするスクラムハーフ・後藤快斗(政経1=桐蔭学園)。数々の困難を乗り越えてきた努力の鬼は明大でも成長を続ける。

味わった挫折
 父の影響でラグビーを始めた後藤。中学時代、同じスクールに所属していた髙木城治(京産大)から多くのことを学んだ。「彼から学ぶ部分がいろいろあった。それが今の自分にも大きく影響していると思う」。コロナ渦で、スクールでの練習すらもできない時期でも自主練に励んだ。しかし県選抜には選ばれず、悔いを残す形で中学時代を終えた。

常勝軍団での挑戦
 高校は福岡を離れ桐蔭学園へ。「僕を県の選抜に入れなかった人たちを見返したいと思った」と飛躍を誓った。入学後は1年生からベンチ入りし、3年生となり迎えたラストシーズン。関東新人大会ではメンバー入りを果たすも、すぐにスタメン入りとはならなかった。しかし全国高校選抜大会(選抜大会)ではスタメンの座をつかんだ。「どうにかして試合に出たいと思った。苦しい時期でもあったが、一番自分が成長できた時期だった」。選抜大会では準決勝で大阪桐蔭高に敗れた。サニックスワールドユース交流大会(サニックス)でも再び大阪桐蔭高に敗北。悔しさのにじむ敗戦を糧に、花園に向けてさらなる力を磨いた。花園では初戦から順調に勝ち上がり、迎えた準々決勝の相手は大阪桐蔭高。選抜大会、サニックスと2度敗れた相手との対戦となった。結果は26―14で勝利し、最後の最後でリベンジを果たした。「覚悟を決めて挑んだ試合だったので、勝ち切れたというのは本当にうれしかった」。そして激闘を制した後も気を緩めず勝ち続け、見事に花園連覇を達成した。苦しい時期を乗り越え勝利で終えたラストイヤー、プレーだけでなく多くの面で成長した。「言動に気をつけたり、プレーの精度も一個一個気をつけていたことが自分の成長につながった」。

紫紺の誇りを胸に頂へ
 高校卒業後は明大へ進学。小学生の頃から憧れた大学に進む選択に迷いはなかった。「明大の強いフォワードをスクラムハーフとしてコントロールできるという魅力を感じていた」。公式戦には関東大学春季大会から出場、1年生ながらAチームで経験を積んだ。夏合宿では帝京大戦に出場するなど、すでに戦力として多くの試合でチームに貢献してきた。こうして多くの試合に出場する過程で、すでに紫紺の重みを感じている。「紫紺を着るからには、明治の代表として生半可なプレーをしてはいけないという責任感が大きくなった」。多くの逆境に立ち、その度に努力し成長を見せてきた。目標は日本一、達成の日はそう遠くはない。

[虻川隼人]

◆後藤 快斗(ごとう・かいと)政経1、桐蔭学園高。試合会場への移動中に音楽を聴くのがルーティーン。「楽しい系の音楽を聴いて、自分のテンションを上げるようにしています」。164センチ・67キロ