
伊東開耶 試練乗り越え水の韋駄天(いだてん)復活へ
明大水泳部に再起をかけるルーキーが加わる。伊東開耶(政経1=昭和学院)は中学、高校と数々の栄光を積み重ねるも、突如大きな挫折が訪れた。しかしその経験をバネに、明大の舞台で再び輝きを取り戻す。
負けず嫌いから始まる飛躍への第一歩
兄の泳ぐ姿をじっと見ることができず、困った母親がスイミングスクールに入れたことが、彼女の水泳人生の幕開けとなった。兄に負けまいと続けていた水泳は、小学生の頃に参加した西日本の合同合宿をきっかけに本気で向き合うものへ変化する。自分より速く泳ぐ選手が何人もいる現実を目の当たりにし、いつか勝ちたいと闘争心をさらに燃やした。
その後の成長は目覚ましかった。中学時代に日本記録を樹立するなど確かな成長を示すと、明大OBの松元克央選手(令1政経卒・現ミツウロコ)を指導するコーチからスカウトを受け、高校進学を機に地元を離れクラブチームの寮で生活を始める。レベルの高い大学生に混じり練習する孤独な日々を送り、毎晩のように涙を流した。それでも厳しい練習を耐え、インターハイを高校2年生にして制覇。「一番つらい中でこの優勝があったから、その後も頑張れた」と語るインターハイ優勝は、彼女の努力が報われた瞬間だった。
止まらざるを得なかった高校最後の年
順風満帆だった競技生活に突如として異変が起きる。高校3年の春、練習中に前十字靭帯(じんたい)断裂と外側半月板損傷という大ケガを負った。手術から目が覚めると足がまったく動かず、いつ泳げるようになるのかもわからない状況に。一方でライバルたちは次々と結果を残し、置いていかれる焦燥感が強まっていく。この不安の中、支えとなったのは1年後の日本学生選手権(インカレ)の4×200メートルフリーリレー(8継)で優勝する自身の姿だった。「冗談抜きでインカレの8継で優勝している姿をずっと想像していた」。足を動かせない中でも、自分にできることを探し続け、その結果上半身のパワーが新たな強みとなった。
ケガを乗り越え目指すは仲間との優勝
明大に入学した理由は少数精鋭のチームに惹かれたため。大人数ではなく、限られた仲間と力を合わせて戦う環境に魅力を感じた。紫紺を背負って臨んだ初めてのインカレでは、100メートル自由形で7位と結果を残し、着実に以前の調子に近づいている。ケガの支えとなった8継では2位と優勝は逃したものの、「全員で泳ぐことを形にし、優勝と学生新記録を狙って心を一つにできた」と充実感をにじませた。「もうケガは乗り越えた。あとはまい進するだけ」そう力強く語る彼女のまなざしは、すでに次のステージを見据えている。彼女の水泳人生は、ここからが本番だ。
[藤岡千佳]
◆伊東 開耶(いとう・さくや)愛知県出身、昭和学院高。勝負曲は自分を盛り上げてくれる曲である『ドラゴン桜-Main Theme-』。165センチ
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