おるたなChannelインタビュー拡大版(後編)/オープンキャンパス号特別企画

2025.08.01

 明大スポーツ第548号(オープンキャンパス号)1面にて、おるたなChannelのないとーさん(平25法卒)と渋谷ジャパンさん(平25政経卒)を特集しました。後編ではユーチューブを始めた頃から今に至るまでの経験や思いについて掲載しております。8月1日発行の紙面と併せてぜひご覧ください。

――始めた頃、ユーチューブの企画はどこから着想を得ていましたか。
ないとー 「初めの頃はコントみたいなものだったので、お笑いをやっていた時の延長で作っていたと思います。コントを映像に落とし込む感じで当時も結構カオスなことをやっていたので、それがそのまま映像になっている感じですね」

――ないとーさんからユーチューブの企画を聞いた時の印象はいかがでしたか。
渋谷ジャパン 「元々お笑いの感性は似ていて、シュールなことがお互い好きでした。だから企画は多分一緒に考えていましたね。今見たらシュールすぎて訳が分からないのですが、当時は完全な自己満足で大学時代の仲間や後輩が見てくれるかなと思ってやっていました」

ないとー 「当時は尖れば尖るほど面白いと思っていました。理解できないことがかっこいい感じで、そういう理解されないようなものを作っていました」

渋谷ジャパン 「当時はユーチューブがどういうものなのか一切わかっていなかったですね」

ないとー 「今だとユーチューブは多くの人に見られる媒体ですが、当時はその認識が全然なくてとにかく友達に理解されないものを作ろうとしていました(笑)」

――2014年にユーチューブを本格的に始められましたが、そのきっかけは何ですか。
ないとー 「ずっとシュールなことをやってきて段々と見られることの価値や多くの人に知ってもらいたいという気持ちが芽生えてきました。(シュールなことを)このまま続けて自分たちのやりたいことだけをやっていたら、ずっと見てもらえないまま自己満足で終わってしまうなと思いました。ただ世間に合わせると、やりたいこととは少し違うかもしれないですが多くの人に見てもらえるのでどちらの方がいいかなと悩みました。やっぱりやった証を残したい、ユーチューブを今後続けていくためにも多くの人に見てもらえる方向にシフトしたということは、きっかけとしてあります」

渋谷ジャパン 「僕も一緒で当時、ないとーが東小金井の半地下の牢屋みたいなところに住んでいたんですよ(笑)。ニートをやっていて、ユーチューブも誰も見られないシュールなことをやっていましたね(笑)。それで東小金井からの帰り道に駅に向かう時、(ないとーと)もう少しガチャ企画やゲーム企画とかやったらどうかなみたいな話をしたのは覚えています。でも俺らにそういう発想は当時なかったですし、多分誰もなかったんじゃないかなと思いますね。今はユーチューブといえばこれみたいなのはあると思いますが、当時はネット上でバズるみたいな感覚がなくて俺らも分かっていなかったんですよ。それで他のユーチューバーが確率機をやっていて『なんでこれが伸びるんだろう。そういうことを1回やってみないか』という話をしたのは覚えていますね。結局、自分たちで考えて伸びるだろうなと思ってやり始めた一発目が1発ギャグ100連発。それまでは検索を全く意識していなかったですし、そういう発想もなかったんですが、検索に引っかかることが大事なんじゃないかと思い始めたのがユーチューブを意識し始めたのが趣味から仕事に変わった瞬間という感じです。あとは、アーノルズはせがわという大学時代の同期が、ツイッター(X)で漫画が一気にバズってその影響もあったと思います。アーノルズはせがわも木曜会Zの仲間で就職しないで芸人の道に進んだのでピンで何してるんだろうとなっていた中でツイッター(X)でバズったのを見てバズるってこういうことなんだと学びました」

ないとー 「確かにユーチューブをやりながら学んでいった感じでしたね」

――お互いにすれ違いはありましたか。
ないとー 「上り調子になった時は、結構ぶつかることも多かったですね。さっきは嵐みたいって言ったんですけど、それに至るまでは結構バチバチになっていて『こうした方がいいとか、絶対こっちがいい』とお互いに譲れないところがあったのでかなり初期の方はぶつかっていたと思います」

渋谷ジャパン 「最初は緩くやっていたのですが、ストイックになりすぎてしまって意見のぶつかり合いは多かったですね」

――バズっていく中でプレッシャーもありましたか。
ないとー「それもありましたね。一気に趣味から仕事になって、『数字を絶対に取るんだ』というところに意識が変わっていくと関係性も少しギクシャクしていきました」

――その頃、どのような動画をあげていたか覚えていますか。
ないとー「それこそ鉄球の動画であったり、世間的にも少し認められつつある時にはプレッシャーもあって、『絶対にこうした方がいい』、『いやこっちがいい』とかの言い合いはやはりありましたね」

――その少し前にはタイとの二拠点生活の時期もありましたが、その時は意見のぶつかり合いはありませんでしたか。
ないとー 「その時はまだ仕事になるかどうかというところで、続けるのか趣味でやっていくのか悩んでいる時期でもありました」

渋谷ジャパン 「多分数字の狙いは定めていたのですが、僕はサラリーマンをやりながらやってていました。でもないとーは、ユーチューブやせどりで生活していたので方向性の違いはなくてそこまでバズっていたり、お金になっていたわけではなかったので特にぶつかったりとかはなかったです」

ないとー 「僕も環境を変えて、タイではバズるかなと思って試行錯誤していた感じですね」

渋谷ジャパン 「僕も仕事をしながらやっていたので、そこはないとーの自由に『やりたいことがあるんだったらそれで』という感じくらいの温度感でした」

――ユーチューブを本格的にスタートしてから最初のU-FES落選は印象に残っていますか。
ないとー 「悔しさの一つなので今もめちゃくちゃ覚えていますね。やはり出られるか出られないかの狭間というところで出られなくて、みんなが出ているのを外側から見るという形だったので来年こそはという気持ちはすごいありました」

――他のユーチューバーとの差別化として意識されていたことはありますか。
ないとー 「いち早くバズることは意識していました。流行りのトレンドはいち早く取り入れてやる、数字を絶対取りに行くんだというところにプライドを持っていたという感じです」

渋谷ジャパン 「逆にコンセプトがなかったとは思いますね。当時はまだユーチューバー自体が少なかったので『ユーチューブ上でこれをやったら面白いんじゃないか』と話し合ってまだ誰もやっていないことを果敢にやるようにしました」

――動画はどのように企画されていますか。
ないとー「現在はお互いに企画を作って編集をしてますが、当時は2人だったので本当に一人一人が全部やる感じでしたね」

(写真:インタビュー中のないとーさん)

――ユーチューブをやっていて明大とのつながりを感じる瞬間はありますか。
ないとー「直接的ではないのですが、同期で一緒に頑張っていた人たちがテレビなどで活躍しているのを見てすごいなと刺激をもらったり、違う道に行ってそれぞれ頑張っている姿を見ると感慨深いものがあります。大学は違うんですが、真空ジェシカは同じ年代に同じ舞台でやっていたりしていましたし活躍をするの見てうれしいですね」

渋谷ジャパン 「大学お笑い自体当時は少なくて、少しプロの芸人さんにコンプレックスを持っているみたいなところもありました。各大学の人たちが集まって大会をやると、『このコンビ面白いな』とか本当に内輪ネタで大学お笑いという小さいところだけでやっていたのですが、そういうところから出てきた人が今はプロの芸人さんになって活躍しているのを見ると自分たちだけが面白いと感じただけではないんだなとうれしい気持ちになります」

ないとー 「そうそう。内輪だけじゃなかったんだ、俺たちの感覚は正しかったんだってなりますね」

――ユーチューブ活動が嫌になる時はありますか。
ないとー 「しょっちゅうありますね。ユーチューブは日常なので、どちらかというと作品作りというよりは日常を出していくということに近くなっていくので、それで息切れする時は何度もありました」

渋谷ジャパン 「ユーチューブを辞めたいと思ったことはないのですが、ユーチューブを5年続けた時くらいからきつくなってくるんですよ(笑)。同じことの繰り返しになるのに動画は消費されていくので、多分それぐらいで力尽きてしまう人も多いと思います。だから、一生できるかと言われたら、そうではないんだろうなと思っています。俺らはずっと作り続けるのはしんどいから、少し休憩しつつやっています」

ないとー 「そうですね。だから、よくユーチューバーはマラソンに例えられます。ペースを考えながら走り続けるのはとても似ているなと思います」

――気分転換はしますか。
ないとー 「僕はしないですね。ユーチューブをプライベートと分けたりはないですね」

渋谷ジャパン 「模索しています。いまだにどう休んだらいいのかなとか、結局休んでいてもユーチューブについて考えちゃったりもするのでユーチューバーは難しいですね」

――今でも新しい方向性を考えているのですか。
ないとー 「そうですね。こんなに変化が激しい業界はなかなかないので、やはり常に考えていますね。でもそれがあっているかどうかもわからないし、手探りな状態で正解がない世界だなとは毎回思いますね」

(写真:インタビュー中の渋谷ジャパンさん)

――チームおるたなにメンバーも加わりましたが、いい影響を及ぼしていますか。
ないとー「そうですね。やはりマンネリとの戦いだなということは自分たちの中であって見ている方は『ユーチューバーは刺激的なことを毎日やっていてすごく楽しそう』と思うかもしれないですけど、やはり人間はどんな刺激にも慣れていくもので毎回動画をやっているとルーティンになっていってしまうんですよね。その中でも新しいメンバーが入ってくるとまた少し違った刺激が入るので、見ている人たちのためにもなりますし自分たちのためということもあるなと思います」

渋谷ジャパン 「ソロはソロで大変だけど、コンビって大変ですね。例えば毎日投稿をしていたときは毎日動画を撮るって結構しんどくて毎日は話すこともないですが、ずっと2人でいて動画では楽しい姿を見せなければいけないというのがきつかったです。だから意外にソロの方が長く続いていたりするかなとは思います。メンバーが入って幅が広がったり雰囲気が変わったり、逆にコンビでもたまに撮ったりするんですけど、それが新鮮だったりしていい感じです」

――ユーチューバーという職業を勧めたいと思いますか。
ないとー 「僕は勧めたいというか、(動画投稿が)当たり前の技術になっていくなと思っています。全員が発信できないといけない世界になっていると思っていて、ユーチューバー専業は少なくなると思います。何かをやりながら宣伝として自分で発信していくということは全員必須になっていくので。できて当たり前になっていくかなと思います」

渋谷ジャパン 「おすすめしたいですね。ユーチューブをずっとやっていて始めたときはテレビの時代だったので、『ユーチューバーはダサい』みたいな感じで同期や後輩からも理解されなかったのですが、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。自分で自由に作ってそれを発信することで逆にやりすぎて疲れてしまう時もありましたが、すごく楽しかったです。動画とか何かを作って自分で発信するということは楽しいので、そういう意味でユーチューブではなくても何かやることはおすすめです」

――今後の目標を教えてください。
渋谷ジャパン 「意外にユーチューバーは登録者や再生回数以外に目標がないんですよね」

ないとー 「UUUMでの俺たちのキャッチコピーが『何かいる、ずっといる』になったんですよ。まだなんかずっといるよねみたいな感じで、歴の方を重視していこうとは思っていますね。今からまた大爆発することはあんまり想像できないのですが、老舗みたいな感じで、『この人たちまだいるんだ。まだやっているんだ』みたいなにずっと続けていきたいな思いますね」

渋谷ジャパン 「20代の頃は登録者数や再生回数で認められたいという思いが強くて頑張っていたのですが、30代になってくると落ち着いてきました。そういう若いパワーも少し尽きてきているので、逆に続けることが目標ですね。今はユーチューブが激戦になっていて、30代になったのでお互いにやりたいことや人生観もこれまでなかったものが出てくると思うので無理せず続けていければなと思いますね」

ないとー 「そうですね。登録者とかの数字はどんどん抜かされていくんですけど、歴だけは続けていけば1番になる可能性を秘めているので頑張りたいです(笑)」

渋谷ジャパン 「たしかにね、再生回数が伸びている人はいても『13年ぐらいやっています』という人はあんまりいないですね」

ないとー 「そこだけ唯一マウントを取って、守り抜いていければいいなと思います」

渋谷ジャパン 「12周年で今年13年目になるので、細々でもこれだけ続けているのはすごいと思っているのでそういうところで誇りを持って今後も続けていきたいなと思いますね」

――ユーチューブ活動の中で、大学時代の経験が生きたことはありますか。
ないとー 「明治大学というのは確実にフックになっているなと思っています。明治大学時代からずっと一緒にやっているというストーリーを語るとめちゃくちゃエモさが出ますし、明治大学に行ったことの意味は(渋谷ジャパンと)出会ったことにあるなと思っていますね」

渋谷ジャパン 「大学で木曜会Zに入って、ないとーと出会ってユーチューブを始めたことですね」

ないとー 「なんだかんだ一つでもピースがずれていたらユーチューバーになっていないのでタイミングや出会い方も含めて奇跡に近いのかなと思います」

渋谷ジャパン 「あの時、ユーチューバーを誰も知らなかったですからね。ヒカキンさんすら俺らも知らなかったし、世間一般にもまだ全然知られてなかったですね」

ないとー 「たしかにね、知らなかったですね。ユーチューバーという言葉もなかったですね」

――最後に受験生に伝えたいことはありますか。
ないとー 「学歴じゃないと言われている世界ですが、僕的にはめちゃくちゃ学歴を重視した方がいいなと思っています。というのも、受験勉強で勉強の仕方をある程度覚えておくと、大学時代に勉強をしなくても大人になった時に勉強の仕方がわかるんですよ。受験勉強時代に必死に勉強しておくと、卒業した後も『勉強ってこうやればいいよね』みたいなのが残っている気がしていて生涯続けて学び続けられるので受験勉強はめちゃくちゃコスパがいいなと思っていますね。学歴は関係ないと言われる世界になってきていますけど、勉強を必死にやることはめちゃくちゃ意味があるので高みを目指して頑張ってほしいなと思っています」

渋谷ジャパン 「少し前までは好きなことをしたほうがいいよと言っていたのですが、自分が好きなことをやってユーチューブにたどり着いたので一番は自己分析で自分を見つめなおすことが大事だと思いますね。好きなことをやって仕事にする人もいますが、仕事とプライベートを分ける人もいるので考えたほうが良いなと思います。学生時代に僕は何をしたいか全く考えたことがなかったですが、そこの方向性が定まったり少しでも考えていたりするとどういう生き方をしたいかや違う道を模索していくこともできると思うので、どういう風に生きていきたいかというのを考えていくことが重要だと思います」

[聞き手:塩谷里菜、早坂春佑]