おるたなChannelインタビュー拡大版(前編)/オープンキャンパス号特別企画

2025.08.01

 明大スポーツ第548号(オープンキャンパス号)1面にて、おるたなChannelのないとーさん(平25法卒)と渋谷ジャパンさん(平25政経卒)を特集しました。前編では大学生時代の思い出について掲載しております。8月1日発行の紙面と併せてぜひご覧ください。(写真はおるたなChannel提供)

――明大に進学した理由を教えてください。
ないとー 「早稲田大学を目指していて、一浪してもう一回挑戦したんですけどダメでした。MARCHは他にも受かっていてその中からどこにしようかな、もしくはもう1浪しようかなと悩んでいたのですが、明治がビビビときました。『早稲田に落ちたのが運命なのか。明治に呼ばれてるな』と思い、明治に行くべきだと迷いはなかったです」

渋谷ジャパン 「オープンキャンパスに来る方が見るから夢があることを言いたいのですが、当時は何も考えていませんでした。とりあえずMARCHという感じでした。俺らの時代は大学に行って、企業に勤めるという流れが主流だったので将来やりたいことはなかったのですが、とりあえず受かったところに行くという感じでした。今考えるとやりたいことから逆算して考えておけば良かったなと思いますね」

ないとー 「オープンキャンパスに来るみんなも多分そんな明確なものはないよね。それで全然良いと俺は思っている。だって高校の時なんて世界なんかわからないじゃないですか。だからとりあえず自分の高みを目指して挑戦するということはめちゃくちゃいいことだなと思っていて、人生を考える一つのきっかけになると思いますね」

――木曜会Zに入った理由を教えてください。
ないとー 「僕は高校生の時に漫才をやっていて、その時の相方が千葉大学のお笑いサークルに入ったんですよ。その子は現役で大学に行っていたので、1年間先にお笑いサークルに入っていて『絶対楽しいからやった方がいい』と勧められました。僕はインカレサークルなどに行って華の大学生を楽しもうとしていたのですが、木曜会Zの居心地が良すぎました。インカレサークルの男女で盛り上がるところに入りたかったのですが、気づいたら木曜会Zに落ち着いていました」

渋谷ジャパン 「僕は1年生の時にバドミントンサークルに入っていましたが大学生のノリに付いていけなくて、当時仲の良かった人とお笑いにハマったのをきっかけに気軽な気持ちで2人で入りました」

――お互いの第一印象はいかがでしたか。
ないとー 「(渋谷ジャパンは)当時は腕毛が濃くて真っ黒でブラックホールが教室に入ってきたなと思い、すべてが飲み込まれるかと思いました(笑)。大学2年生から入ってくる人も珍しかったですが、結構すぐ馴染んでいました」

渋谷ジャパン 「僕はあんまり記憶がないのですが、(ないとーは)少し浮いてるのかなという感じでした。だから逆に、サークルの中でも仲いい人たちのグループがあってそこで気が合った感じでしたね」

――今も木曜会Zとのつながりはありますか。
ないとー「ありますね。今度同窓会があったり、あとは結婚式での集まりなどがあって関係は続いています」

渋谷ジャパン 「でも俺ら5期生は意外に、同窓会も大学卒業ぶりなんですよ。だから10年ぶりに全員で集まります。(当時から)すごく仲いいという感じではなくて、お笑いにみんなストイックでした。活躍しているサツマカワRPG以外にもプロを目指す人たちがいたので、どこかライバルみたいな感覚がありましたね」

――先輩と後輩のつながりは強いですか。
渋谷ジャパン 「俺はむしろ同期よりも後輩とつるむことが多かったと思いますね」

ないとー 「確かに渋谷(ジャパン)は同期よりも後輩とのイメージがありますね」

渋谷ジャパン 「だから今もつながりはあって結婚式に呼ばれたり、たまにランチやディナーとか行きますね。大学卒業直後は一緒に旅行に行っていたのですが、今はお互いに家庭を持ち始めているのでランチが多いですね」

――2人の関係性が長続きしている要因はありますか。
ないとー 「たしかに考えるとコンビ組んで12年、大学時代も合わせると15年くらい続いているのはなかなかないですよね」

渋谷ジャパン 「もともと木曜会Zで仲が良かったということもあるのですが、(ユーチューブは)そんなに決心して始めたわけではないんですよ。お互いにやってみよみたいな感じで始めたので、そうやって緩くやってきたから続いているのかなとは思いますね。最初からコンビでやっていたら、ギスギスしていたのかなという気もします」

ないとー 「コンビで15年というのは、なかなかいないですよね。今はメンバーが増えていますけど、核となる2人が変わらずにやってこれたのは、言い過ぎかもしれないんですが嵐に近いかなと思いますね。嵐のドキュメンタリーで『思っていることのすべてを言わない。ぶつけ合うのではなく、間を取っていく』みたいなことを言っていて、それに近いかなと思いますね。お互いに100パーセント本音むき出しでぶつかり合って分かり合おうという感じではなくて、お互いになんとなく間をとっていく感じです。そこが嵐と似ているなと思いますね」

渋谷ジャパン 「お互いに昔から体育会系は苦手でしたし、昔ながらの飲みサーも苦手だったのでないとーとは気が合いました」

ないとー 「僕たちは時代のちょうど狭間でした。昭和の価値観と令和の価値観の間の平成だったので、どちらも経験していたのが今につながっていて良かったかもしれないですね」

――大学時代に将来の話を2人でしたことはありますか。
渋谷ジャパン 「卒業と同時に進路に悩んでいて、ないとーはほとんど就活していなかったですね(笑)。お笑いサークルの人たちは、お笑い芸人さんに憧れがあるので普通に就職していいのかと悩んでいましたね」

ないとー 「一番悩むところだよね」

渋谷ジャパン 「僕は普通に就職したのですが、その後も少し悩んでいました。そこから何かやりたいねという感じでユーチューブを始めました。当時はユーチューブをやるという人もいなかったですね。悩んでいたけど芸人になって活躍するイメージも湧かないし、肌に合っていないかなと思ってはいたのですが、何か発信はしたいなと思ってユーチューブに動画を投稿し始めました」

(写真:取材を受ける渋谷ジャパンさん(左)とないとーさん)

――大学生活の中での一番の思い出を教えてください。
ないとー 「やっぱり思い出は木曜会Zが一番濃いなと思っていて、それ以外の記憶はほとんどないです。後は、最後の1年でフル単を取らないと留年するという危機的状況で1年間生き抜いたのは自信になりましたね。未だに悪夢でうなされます(笑)。本当によく頑張ったなと自分を褒めてあげたいですね」

渋谷ジャパン 「僕もやはりサークルですね。ただもっと勉強しておけば良かったなって今になって思いますね。大学生の時は勉強は単位を取るためだけという感じだったんですけど、30代になって政治や社会心理学系をもっと勉強しておけば良かったなと思います。でも結局一番の思い出は木曜会Zの合宿です。楽しい合宿に行くためにサークル入ってるようなもんですし、社会人になるとないから大学生の特権という感じでいい思い出です」

――逆に大学時代で嫌な思い出はありますか。
渋谷ジャパン 「ないですね。むしろ明大に入って木曜会Zに入ったからこそ、いろいろな人と出会えてそこで人生が変わりました。(明大に)入って嫌だったことは一つもないですね」

ないとー 「僕も早稲田に行っていたらユーチューブはやっていないでしょうし、特には無いですかね。出すとするなら嫌だった思い出は、(3年時から)キャンパスが変わることです」

渋谷ジャパン 「確かにそれは嫌でした」

ないとー 「御茶ノ水キャンパスは普通のビルという感じですからね。やっぱり明大といえば和泉キャンパスという感じがするじゃないですか。駿河台キャンパスになると憩いの場みたいなのがなくて居場所が無くなっちゃいました」

渋谷ジャパン 「僕たちはオレンジデイズ世代なので、大学のキャンパスは広い敷地に食堂などがあるというのに憧れていました」

ないとー 「だから、(駿河台キャンパスは)会社みたいな感じがしていて、4年間和泉キャンパスで過ごすことができていたら、さらに最高だったなと思います」

――大学時代によく過ごした場所はありますか。
渋谷ジャパン 「ベンチですかね(笑)。キャンパス内にベンチありますよね」

ないとー 「あるある(笑)。噴水とか食堂の周りにありましたね」

渋谷ジャパン 「あとは春日亭。僕たちが在学中にできたんですよ。油そば屋がそれまでなかったからこそ当時の衝撃はすごくて、もうその衝撃は超えられないです」

ないとー 「1口目の衝撃すごくて脳が破壊されるからね(笑)。あとはスタ丼と明大マートにめっちゃ行きました。(明大マートは)2階が本屋になっていあそこが好きでずっといました」

渋谷ジャパン 「俺らが卒業と同時に図書館は新しくなっているよね」

ないとー 「図書館の1階にカフェのようなめちゃくちゃおしゃれなとこがあって卒業後に1回行きました」

渋谷ジャパン 「俺達の時よりもどんどん新しくなっていっているよね」

――卒業してから和泉キャンパスに行かれたことはありますか。
ないとー 「1回撮影でも行きましたね」

渋谷ジャパン 「自転車を数える回でも行きましたし、卒業後は大学生活を引きずるので卒業してから2、3年は結構行っていたかもしれないですね。明大前で集まって撮影することも多かったと思います」

ないとー「最近は滅多に行っていないですが、行きたくなる気持ちはありますね。高速道路から明大が見えるので。目で追ってしまいますね」

渋谷ジャパン 「御茶ノ水(駿河台キャンパス)の方はないんだけど、和泉(キャンパス)の方は自然と目で追っちゃいます」

ないとー 「御茶ノ水(駿河台キャンパス)の方がアクセスは良くて都心だから近いんですけど、やっぱり明大前の方が思い出が詰まっているので好きですね」

――就職への意識も当時はありましたか。
ないとー 「僕は早くから芽生えていましたね(笑)」

渋谷ジャパン 「何それ、ないとーはニートだったでしょ(笑)」

ないとー 「当時は周りに芸人になる人も、就職する人もいてどちらに行けばいいんだろうと悩んだのすが、結局決められずにニートになるという一番良くないパターンに陥りました。元々就職する気は薄かったかもしれないですね。ニトリだけ受けて最終面接まで行っていたのですが最後まで行きませんでした(笑)。『そろそろ来てください。もう終わってしまうので』と呼び出しを食らってから行って、志望動機を答えられずに落ちました(笑)。今では良かったのかもしれないですが、当時はめちゃくちゃ心配されましたね」

渋谷ジャパン 「お笑いの大会を各事務所が開催したりしていて、そういう大会でいい成績を残していたので養成所に入るか入らないかすごく悩んだのですが、お笑いの世界に飛び込む勇気がありませんでした。結局就活をみんなが始めるぐらいのタイミングで始めたのですが、なんかしっくりこなかったんですよね。お笑いと通じるかなと思って、イベント会社に入ったのですが、そこが激務で1年で辞めてしまいました。だからやりたいことを決めるのがもう少し早かったら良かったなと思いますね」

――就職という選択を後悔していますか。
渋谷ジャパン 「結局なんだかんだでユーチューブを始めて、めちゃくちゃラッキーだったと思うんですよ。当時ユーチューブがまだ人気ではなかった時から始めて、伸びると思ってやっているわけでもないので半分趣味で始めました。大学時代にもっとやりたいことがあって、勉強もしてというのが理想ではありました。でもやりたいことをやれる会社に入っていたら、ユーチューブをやっていなかったのでどっちもどっちかなと思います」

――学生時代にしておけば良かったなと思うことはありますか。
ないとー 「結構ありますね。何かを4年間続けなくてもいいなと思っていて、一回始めたらやり通すことは重要ですけど多感な時期なので変えてもいいなと思います。例えば、バイトを4年間続けることも素晴らしいですが3カ月単位で変えてもいいと思いますし、授業もいろいろなものに出てもいいなと思いますね。サークルも4年間いたことは素晴らしかったのですが、いろいろなサークルに顔を出して合う合わないを試すことはめちゃくちゃ重要だなと思っています。僕ももっと試せばよかったなと思っています。大学生時代の失敗って失敗にカウントされないと思うので、失敗できる時にもっと気軽にフットワークを軽くしていろいろなところに顔を出していたら良かったなと思います。やはりフットワークが軽いということは重要だと思います」

渋谷ジャパン 「僕も似ていて、勉強をしていろいろな知識を入れておきたかったなと思います。大人になると講義を受ける機会がなくて、もし大学生の時に興味がない講義も単位のためではなく受けていたら、何かしら今につながることもあると思います。今になって幅広い知識を身につけておいたら良かったなと思いますね。大人になるとなかなか勉強する時間がないので資格を取るとかすれば良かったなと思います」

――今でも覚えている授業はありますか。
ないとー 「ありますね。一般教養で、過去の離婚の歴史を探るみたいな授業です。周りの人は興味を示さなかったんですけど、僕は逆張り思考なのでそれだけはSをもらおうと思ってめちゃくちゃ勉強したんですよ。そうしたら、教授から1人だけSををもらいました(笑)。みんなから人気がない講義をあえて極めていて、マニアックな授業は面白かったなと思いますね」

渋谷ジャパン 「僕は第二外国語にフランス語を選んでいて、1年くらい学びました。今は全然その知識はないのですが、フランス語はそういう機会がないと絶対学ばないのでもう少しやっておけば良かったなと思いますね」

[聞き手:塩谷里菜、早坂春佑]