(29)シーズン後インタビュー 大島光翔

 各選手がさまざまな思いを抱え駆け抜けた今シーズン。全日本フィギュアスケート選手権(全日本)に6人が出場、日本学生氷上競技選手権(インカレ)では男子が団体部門で優勝を果たすなど活躍した1年となった。本インタビューではシーズン後の選手たちの声をお届けする。

(この取材は4月27日に行われたものです)

第7回は大島光翔(令7政経卒・現富士薬品)のインタビューです。

――2024-25シーズン振り返っていかがですか。
 「2023-24シーズンはなかなか安定することができなくて、どの試合も自分の思いが残る演技になってしまったところが多かったんですけど、2024-25シーズンはやり切れたかと言われたら、全日本選手権(全日本)のあの演技も含め、悔しいところは多々あったんですけど、それでも最低限安定感は欠かさずにシーズンを通して演技することができました。得点的にも平均したら一番高いシーズンになったのかなと思っているので、安定して自分の滑りができたシーズンだったのではないかなと思います」

――「初戦の東京ブロックから100%の力で」とおっしゃっていたのが印象的でした。その点も安定感につながった要因だと思いますか。
 「そうですね。やはりそういう気持ちもありましたし、一試合一試合の重みという面でも、大学ラストシーズンということは当時はそこまで頭にはなかったんですけど、今考えてみたらそういうこともあって、自分としては気が引き締まっていたのかなと思います。その一方で、全日本で強さを発揮できないというのは、課題ではあると感じました」

――全日本について、いくつかお聞きしたいと思います。全体的に振り返っていかがですか。
 「全日本はSP(ショートプログラム)はこれまでの全日本で一番いい演技ができたなというふうに思っていて、FS(フリースケーティング)が勿体ないミスが何個かありました。それは練習でもしないようなミスだったので、やはりメンタル面での不安や緊張があの演技で浮き彫りになってしまったなという試合でした。やはりショートだけ良くてもダメですし、フリーだけでもダメというのがスケートの難しいところで。そういった意味で考えると、全日本の3日間を通してメンタル面での不安定さが出てしまったなと思います」

――SPの演技後は会場がすごく沸き、多くの人の心をつかんだ演技だと感じました。ご自身としてはいかがでしたか。
 「SPが今までどうしてもすごく苦手で。自分の中でもいいイメージがなかったんですけど、やはり曲と会場の皆さんの応援も相まって、その不安が本当に軽減されて、自分も気持ちよく滑れたと思います。本当にお客さんに助けられて、あの演技につながったんじゃないかなというふうに思います」

――例年と比べて手応えのあるSPを終えて迎えるFSということで、メンタル面でこれまでと違ったことはありましたか。 
 「メンタル面でいうと、そこまで多分大きな違いはなかったと思うんですけど、やはりあの後半グループということもあって、自分が感じ取れなかった部分もあると思います。会場の雰囲気もこれまでとは絶対どこかしら違った部分があったと思いますし、知らず知らずの間に自分も追い込まれた部分があったのかなと感じてはいます」

――練習でもしないミスというのは、ジャンプの面ですか。
 「そうですね。ジャンプは特に自分がやってきたつもりだったのと、これまでの練習でも本当に失敗しないようなミスが出てしまって。自分でもびっくりした部分がありました」

――今回男子の選手は全日本で苦戦されていた雰囲気があったと思いますが、全日本ならではの緊張感は、何回経験しても感じますか。
 「そうですね。これまでも毎シーズン『昨シーズンはダメだったから、今年の全日本は思いっ切り緊張せずにいこう』と思い込んで行くんですけども、やはり不思議なことに難しい大会で、僕はもちろんですけど、世界で戦ってきている他の選手たちも難しい大会だと言います。他の試合とは違う異質な大会なんじゃないかなと思いますね」

――FSの演技後にはお父様との抱擁も見られました。特に心がこもったプログラムを実際滑り終えた当時のお気持ちを伺いたいです。
 「演技の出来が良くも悪くとも、エレメンツ部分がどうであっても、あのプログラムは、父と二人で作り上げてきたもので、自分としてもすごく思い入れがあったプログラムです。全日本という会場があのプログラムを披露する場で一番大きい会場で、そこで悔いのない演技を絶対にしようと思っていました。そういった意味では、伸び伸びと最後まで思いを込めて滑ることができたので、やり切れたという気持ちと、エレメンツの部分での悔しさと、父親への申し訳なさと、本当にいろいろな感情が混じり合っていた演技後だったなと思います」

――演技後の涙を見て、現役引退するのではないかと思ったファンの方もいらっしゃったと思います。涙の意味という部分では悔しさの感情の方が大きかったですか。
 「そうですね。悔しさが大きいですね。でもその中でどこか1年が終わったというか。昨シーズンの全日本が一つの区切りとなって、そこから新たな1年間が僕の中でスタートして。年末ということもあって、全日本が終われば僕の1年間は終わりというところで、終わりが見えていた中での演技だったので、少し安心感もあったんじゃないかなと思っています」

――シーズンを通して特に印象に残っていることを教えていただきたいです。
 「自分的にはらしくないようなプログラムを二つとも滑ったというのが、今までとの違いかなというふうに思っています。それでも周りの人からの反響が本当に良くて『かっこいい』や『本当に似合っていた』という声をすごくいただいきました。自分の新たな一面じゃないですけど、新たな表現に挑戦できたということが非常に大きな収穫だったといえますね」

――自分らしくないプログラムを、滑ろうと思ったきっかけはございますか。
 「FSに関してはもともと使うと決めていた曲で、SPに関してもシーズン前に『滑走屋』と『氷艶』に出演させていただいて、その中でいろいろな表現にチャレンジしていく中で、自分も新しいことに挑戦したいという気持ちが芽生えたことですね。でもそこで自分で音楽を選んだり、自分がどういうふうにやりたいかを考えてしまうと『これまでの自分の路線に行ってしまうな』と思ったので、プログラムを全て村元哉中さんにお願いしました。そこで、これまでの僕のイメージとは違うような、新しい表現にチャレンジしたいということをお伝えしました。アイスショーを通して、いろいろな表現にチャレンジする機会があったことが、新たな曲を使うきっかけになったのかなと思います」

――先日、改めて現役続行の発表されましたが、これまでも引退ということは何も考えていなかったですか。
 「心の中ではまだやり切れていない部分だったり、自分に対してもまだ伸びしろや期待が捨て切れていない部分がありました。心のどこかでは続けると思ってはいたんですけれど、昨年は大学4年生ということもあって、僕の同級生の8割9割が引退していく中で、自分だけ現役続行するからといって、一つのシーズンを甘えて送るという心構えは持ちたくなかったので、自分も本当にラストシーズンのつもりで、今までのすべてを出し切るようなつもりで臨んでいました」

――実際に続ける決断を下したタイミングはいつごろですか。
 「全日本が終わった後に改めて、やり切れていない気持ちと悔しさと、自分はまだまだできるなと思ったので、意志を固めたのは全日本が終わってからですね」

――その発表には、多くのファンが喜びの声を上げていたと思いますが、その声を聞いていかがですか。
 「自分の決断に喜んでくださる皆様がいてくれて、本当に僕は幸せなスケーターだなというふうに思いましたし、応援をしてくださる方のおかげで、僕もこうやって演技することができます。本当にそういった意味では感謝しかないです。自分の決断にあの喜んでくださる人がいてうれしいのが一番ですね」

――次のシーズンの準備に進まれていると思いますが、目標を教えてください。
 「先ほども言った通り、僕の同年代は社会人1年目になって、僕も社会人の年齢になってという意味では、本当にまた大きく一歩変えなくてはいけないなというふうに思っていて。それはもちろん先程言った表現面もそうですし、なんとしても一番成長しなくてはいけないのは技術面だと思っています。エレメンツの部分で、見てくださる人や自分を驚かせられるような成長を遂げる1年になればいいなと思ってます」

――ここからは3月に行われたアイスショー『滑走屋』について伺いたいと思います。振り返っていかがですか。
 「昨年の福岡公演よりも完成系に近づいたというか、昨年やり切れなかった部分であったり、個人的に悔しい思いをした部分、その全てをぶつけられた『滑走屋』完成形をお見せできたのではないかなと思います」

――福岡公演で悔しい思いした部分というのは、具体的にはどのような部分ですか。
 「まずは『滑走屋』が全員で、最後まで完走することができなかったというのが一番悔しい部分でした。やはり人数がいなかった部分は完成度も落ちていましたし、一つ一つのプログラムに対する完成度も、どこかで欠けていた部分がありました。そういった意味では、まず今回の『滑走屋』が全員で最後まで終えることができたのが一番大きいことだったと思います」

――特に印象に残っているナンバーはございますか。
 「やはり僕的には『Centuries』という新しく追加された新曲のナンバーですね。自分も一つ役をいただいて、一人で滑る時間があったナンバーだったので、そこはやはり自分の中でも特に印象に残ってます」

――そのナンバーを作り上げる過程で、印象残ってることや思い出はございますか。
 「新しいナンバーということで、最初は曲名しか知らない状態から始まって、リハーサルが進んでいく中で、大ちゃん(高橋大輔さん)から直接『ここは光翔と咲綺ちゃん(三宅・シスメックス)が一人ずつバトルみたいな感じで滑るから』というふうに伝えられて、その時は本当にうれしさがありました。それでもだんだんそれが現実味を帯びていくようになってから、責任感や重圧を少しずつ感じていたんですけど、その中でもそのナンバーは振付師のゆまさん(鈴木ゆまさん)が入っているわけではなくて、振り付けを大ちゃんと哉中ちゃん(村元哉中さん)の2人が担当してくれていて。咲綺ちゃんのパートの方は哉中ちゃんが、僕のパートの方は大ちゃんが担当してくださったので、僕の一つの夢でもあった、大ちゃんに振り付けをしてもらえることがかなった瞬間で。本当にワクワクした振り付け期間で、すごく思い出に残ってます」

――新メンバーも加入しました。なにかサポートであったり、声掛けはしましたか。
 「活動量が多い『滑走屋』で、覚えることや振り付け面でもすごく大変なことが多いと福岡公演で実感していました。新メンバーだったり、それこそ昨年出れてない子だったり、お互い助け合いながらでした。分からない部分を自分で抱え込むと精神的にも体力的にもすごく不安定になると思うので、全員で完走するためにも、助け合うことは意識して、リハーサルから臨んでいました。僕は関東のリハーサルから参加していたので、自分が分かるパーツだったり、自分が出ているナンバーは積極的に分からない子や身につけられていない子の負担を分散できるように、力になれたらいいなと思っていました。とにかく助け合いながら、練習をしていたと思います」

――今年度の『Carmen』のナンバーはオーディションだったと伺っていますが、実際演技をしてみていかがでしたか。
 「昨年も『Carmen』というナンバーがあって、大ちゃんのソロのプログラムの前のナンバーということで、やはり一番目立つ場面で、一番かっこいいナンバーで『滑走屋』の花形ナンバーだなというふうに思っていました。それをオーディションで決めるということだったので、すごく気合いが入っていました。そこでオーディションを通してもらって、自分に公演を一ついただけたので『滑走屋』を通して思い入れの強いナンバーの一つになったなと思っています。やはりオーディションを通って自分で勝ち取ったナンバーでもあったので、そういった意味では自分の成長にすごくつながったナンバーでもあると思います」

――オーディションの選考は、振り付けの鈴木さんや高橋さんが行っていたのですか。
 「そうです。 その二人が見ている前でオーディションという形でした。スケートでオーディションというものを受けること自体が初めてだったので、新しいことを経験して、また新しい自分を見つけることができたなと思いました」

――実際に披露した数分間を振り返っていかがですか。
 「自分がやった公演は、6公演中の1公演だけだったんですけど、それこそ5公演やっていない分、1公演の重みというのはすごくあって。オーディションの時もそうでしたけど、一つの踊りに魂をかけて、1公演に魂をかけて全身全霊で臨んだあの数分間は、本当に自分にとっても大きく、心に残るものだったなと思います」

――アイスショーとしては珍しい、学生スケーターを多く起用している『滑走屋』ですが、その点を客観的に見ていかがですか。
 「他のアイスショーと比べてと言ったらあれですが、あの活動量をあの密度でこなすというのは、学生の体力だったり、若さならではだと思うので、そういった意味では、一番アイスショーとして生き生きしたものなんじゃないかなというふうに思っています。それでもって、1日3公演が2日間あって6公演なので、プロスケーターさんには及ばない部分は多くあるんですけど、その分多くの伸びしろを一人一人が持っていて、回を追うごとの成長を肌で実感できるようなアイスショーだと思います。よりリアルに人間味を感じられたり、すごく生き生きしたアイスショーだということが、学生ならではの部分かなと思います」

――記者会見では高橋さんが『学生たちには、魅せる力やスピード感をつけてほしい』とおっしゃってました。その力は、自身にも、周りの選手にも身についていると実感することはありましたか。
 「映像が残っているものだと『Carmen』のオーディションの映像を見ると、全員が本番に向けて数段レベルアップしたなと実感しました。その他のナンバーもやっている身としてはなかなか周りも見れない状態なので、あんまり実感することはなかったのですが、後で動画を見返してみたときに、一体感であったり、おのおの目の輝きなどを感じて、本当に成長した1週間だったなと思います」

――他のアイスショーにも出演していると思いますが『滑走屋』にしかない魅力はどの部分だと思いますか。
 「学生ということもあり、本当に何も武器を持たないような、全員が同じスタートラインから成長して、誰がどの方向に伸びしろを持っていて、どの方向に伸びていくか分からないという状態からのスタートです。その中で全員が貪欲で、120%の力を出し切れるように、2週間全力で成長できた期間で、成長率で言ったら『滑走屋』は他のアイスショーと別物だなと思っています。やはりプロのアイスショーというのは、個人、個人が持っているもともとの武器を生かして適材適所、武器があってこそプロのアイスショーで、そこの完成度は超一流です。それを超えるものはないかもしれないですが『滑走屋』は長所を生かすアイスショーというより、おのおのが長所を見つけ出して、魅せ方や武器というのを見つけて、戦っていく、完成させていくという一つの物語があります。僕が言うことじゃないですけど、完成形が見えてのスタートではなかったと思うので、一人一人が自分がどのように必要とされているのかというのを考えながら過ごした2週間で、完成形が見えないゼロからスタートのアイスショーでした。日を追うごとに完成形が見えてきたワクワク感が他のアイスショーとは違ったなと思います」

――座長の高橋大輔さんから、なにかお言葉かけられたりとかしましたか?
 「直接的に何かはなかったんですけれども、今回それこそ『Carmen』のオーディションに選んでいただいて、『Centuries』のソロの時間もいただいてという部分で、自分としても必要とされている時間があったことがすごくうれしかったです。公演後に父へ連絡が来ていて、そこで『すごく光翔に助けられた時間が多くありました』というお言葉をいただいて、少しでも『滑走屋』に尽力できた自分がいたなら、素直にうれしいなと思いました」

――ありがとうございました。

[髙橋未羽]