
(2)スケート部主将特別対談 大島光翔×大竹広記 第2弾
昨年度、日本学生氷上競技選手権(インカレ)で男子団体総合優勝を収めたスケート部。アイスホッケー部門を率いた大竹広記主将(令7営卒)とフィギュア部門を率いた大島光翔主将(令7政経卒)は幼なじみ。第2弾ではスケート部として励んだ大学時代ついてのお話を掲載します!
――以前、明大に進学することをお互い知らなかったという話を伺いました。
大竹「それ自分もびっくりして。自分はアイスホッケーで高校は北海道に行っていて、北海道で寮生活をしていたので、光翔と会うことは結構減っていたんですけど、そこで進路が明大に決まって。それで光翔のことは考えもせず、何かの機会で会った時に『大学どうすんの』みたいな感じで言ったら(光翔が)『俺明治行く』みたいなこと言ってて。『え?俺もなんだけど』って。小学校までずっと一緒で、中高離れてまた一緒になるのかと思いました。本当にお互い話してなくて(笑)」
大島「大学に入学する直前に知って。『え?』みたいな。何か『まじか!』みたいな感じでした」
――明大に進学した理由を教えてください。
大島「僕は自分が憧れていた先輩方も明大のスケート部にいましたし。何よりも明大のフィギュアはすごく強かったので。その強さだったり、先輩方に憧れた思いがありました
大竹「僕は(高田馬場の)チームでやっていた頃の指導者が明大を卒業した方が多くて、小学校の頃から明大に憧れを持っていて。当時からすごい大学というイメージがあって。それとあとは明大がインカレ優勝回数最多の大学でめちゃくちゃ強いというのと、後々のことを考えた時に、大学としてのレベルも高いというのもあったので。いろいろ踏まえて、明大に進学することを決めました」
――部門は違いますが、在学中の接点はありましたか。
大島「部としてあまり関われることはなかったんですけど、3部会というのが毎年コロナで(今までなかったのが)去年ぐらいからまた再開になったことで、スケート部全体の集まりとかで会うことは多くありました。また、僕が彼の試合を見に行ったり、彼が逆に僕のアイスショーを見に来てくれることもあったので、部としての関わりかどうかは分からないですが、お互いの競技に関わったりすることは少しずつありました」
――2024年度はお2人とも主将を務めましたが、そのことはいつ知りましたか。
大竹「それも直前で、お互いが決まってから『俺、キャプテンなんだよね』みたいなこと言ったら光翔が『俺も』って。どこかに2人で行った時に、温泉の露天風呂で話した時に知りました。お互いがお互いのことめっちゃ知ってるので、こんな2人がキャプテンでいいのかという話ではあったんですけど、なったからには頑張ろうという感じになりました」
――目指した主将像を教えていただきたいです。
大竹「自分はチームスポーツなので、これまでキャプテンをやってきた先輩のことを見ていて。上下関係がしっかりある部活なので、下級生が思うように100パーセントの能力を出せてないことがあって。自分もそういう経験をしてきたので。上級生になったら、全員が氷の上では100パーセントのパフォーマンスができるようなチームにしたいなと思っていました。寮生活でも後輩とはよく絡むようにしていて、寮生活を通して深い関わりになるので、そういう関わりを通して信頼関係を構築して、100パーセントのパフォーマンスを全員ができるようににしたいなと思っていました」
大島「僕はやっぱりフィギュアスケートが個人競技ということもあって、拠点もみんなバラバラで、なかなか集まる機会が少ない部活の一つなんですけれど、部練であったり、試合だったり、合宿を通して、少ない機会でどれだけ部としてみんな仲良く団結力ある部活にしていくかということを常に考えていて。それこそインカレとか東インカレ(関東学生選手権)といった大学の試合は、一応個人戦ではありますけど、総合成績は団体で見られるということで、お互い応援する気持ちであったり、そういった団結力をすごく意識していました。やはり(つながりを)作りづらい環境の中で、どう周りとつながりを増やしていけるかということを考えてしてましたね」
――実際にこの1年を振り返っていかがですか。
大竹「自分はもうほんとに悔いがないという感じで、いろいろなことがあったシーズンだったんですけど、その中でも副キャプテンの翼(DF成瀬・令7商卒)と杏爾(DF馬場・令7政経卒)とはいろいろ話して。その中で後輩も自分たちの話を聞いてついてきてくれて、最後は(アイスホッケー部門として)インカレ優勝はできなかったんですけど、決勝まで行って、最後の舞台でみんなと試合ができたといった面では、自分の中で学生スポーツにおいて悔いはないです」

大島「僕はフィギュアのことしかわからないので。ホッケー、スピード、それぞれ色々なことを思ってくれていて。それぞれ目標だったり、達成できなかった部分はあると思うんですけど、本当にスポーツをやってる以上、結果が全てだと思うので、そういった意味では僕らの代で〝明治大学スケート部総合優勝〟の盾をもらったので、もうこれ以上ない100点満点をつけられるのかなというふうに思います」

――大学生活4年間を通じての思い出を教えてください。
大竹「それで言うと、さっきも言った通り小学校の時はずっと一緒に学校に行っていて、一度(中高で)離れてから、なぜか一緒になったという、少しキモいんですけど、運命みたいな感じがあって。そこからともに頑張ってきて、最高学年ではお互い主将になって、スケート部として日本一を取れたっていうのが本当にうれしく思いますし、これからも多分死ぬまで関わると思うんですけど、この4年間は2人の人生の中で大きいものになってくるのかなと思います」
大島「スケート部っていう大きなくくりで見たら同じ部活に入っていて、2人で主将を務めて、明治大学を総合優勝させるという目標を達成して。競技は違えど、目指していた目標は一緒なので、それを達成して。本当に運命的な部分もあると思いますし、周りが引くレベルで、小学校の頃からニコイチみたいな感じで、もうセットみたいな。ずっとそうだったので、成人式に行った時に小学校のメンバーと会ったりしても『同じ大学で同じ部活』って言ったら、驚かれる部分もあったと思うんですけど『お前らならびっくりしていないかな』みたいな反応で。それぐらいセットだったので。それ(ニコイチセット)が、このまま大学まで続くというのは、(幼い頃は)考えてもいなかったんですけど、そうなるかなと、少し思っていたところもあったので。運命の下に生まれてきたんだなと感じますね(笑)」

――4年間、明大で学んだことを教えてください。
大竹「この寮生活で、1年生から4年生までの先輩と後輩と暮らしてきて、人生の全てをここで学んだという感じですね。言葉で表せないぐらい濃い4年間で、1年生の頃に先輩と過ごしたのもそうですし、先輩になってから後輩と遊びに行った時とかもそうですけど、いろいろ学んで、深い思い出ができました」
大島「僕は人間関係であったり、つながりの大切さをすごく体感した4年間だったなというふうに思います。これもなんか変な話なんですけど、1年生のクラス発表の時にたまたま同じクラスにアメフト部(アメリカンフットボール)の守屋圭(令7政経卒)がいて、同じクラスだったんですよ。彼も小学校が一緒で、僕に関しては中学校も一緒で。(明治に)入ってくるということは何も知らなかったのでクラス発表の時に知っている人がいるという(笑)。大学生活がそこから始まって、最初ってみんな友達作りたくて、うずうずしているじゃないですけど、そんな雰囲気の中で、知り合いがいるというのは大きなアドバンテージでした。そこから一気に僕の友達の輪が広がって。今はアメフト部の子だったり、それこそここの(大竹との)つながりでアイスホッケー部門のみんなともすごく仲良くしているので、他の部活の子たちのいろいろな人間性だったり、フィギュアでは感じたことなかった男くさい人間関係だったり、本当にいろいろな人を見て、関わって、人とのつながり方を学んだというふうにすごく思います」
[髙橋未羽、中川美怜]
第3弾に続きます!
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