(3)ルーキー特集②/岩佐太陽

2025.04.06

 創立150周年の節目に、競走部は「箱根駅伝(箱根)優勝」という大きな目標を掲げ、新たな挑戦へと踏み出した。その象徴となるのが「紫紺の襷プロジェクト」。伝統を受け継ぎながら、箱根への道を切り開くべく、今年度も新たな仲間が加わった。そして、短距離・競歩の選手たちもまた、明大の名を背負い、それぞれの舞台でさらなる飛躍を誓う。彼らが胸に秘める覚悟とは——。未来を担うルーキーたちの決意に迫る。

 第2回は長距離部門・岩佐太陽(商1=鳥栖工)のインタビューです。
(この取材は3月8日に行われたものです)

――入寮したのはいつ頃ですか。
 「3月6日です」

――練習に参加してみていかがでしたか。
 「高校時代よりも距離が増えているので、その分強度は上がっている感じはします。ただ自由度が高いので、自分で考えて動かないといけない部分で難しさを感じることが多くあります」

――学部と、選んだ理由を教えてください。
 「商学部です。幅広く学びたくて、かつ社会に出ても使えるような知識を得たかったので選びました」

――大学生活で楽しみにしていることはありますか。
 「特に考えていませんが、とりあえず競技に打ち込んで、その中で友達をつくって、どこか遊びに行けたらいいかなと思います」

――寮生活への期待や不安はありますか。
 「寮生活は初めてなので、分からない部分が多くあって不安な気持ちが大きいです。まず生活に慣れるところからだと思っています」

――同部屋の先輩はどなたですか。
 「前期は堀颯介(商4=仙台育英)さんです。聞いたら何でも教えてくれて、話しかけたりもしてくれるので、優しい先輩だと思います」

――陸上を始めたのはいつ頃ですか。
 「中学生の時に選んだ部活が陸上部で、そこで長距離を始めました。ただ、本格的に始めたのは中学2年生からで、中学1年生の頃は大会に出るだけのような感じでした」

――なぜ陸上部を選んだのですか。
 「自分の中学校は部活に力を入れている学校でしたが、その中でも陸上部は上下関係が少なくて、かつ和気あいあいと活動している姿に惹かれて入部しました」

――中学校で実力が伸びたのはいつ頃ですか。
 「中学校では輝かしい結果は出せませんでしたが、3年生の夏前に3000メートルで9分5秒を出したので、そこが一番のピークだったと思います」

――鳥栖工高を選んだ理由を教えてください。
 「自分は福岡の中学校出身で、福岡には大牟田高校という強い学校がありますが、鳥栖工業が一番近くて、監督が親身になってくれたので、鳥栖工業の方が自分に合っていると思って入学しました」

――下級生の頃から多くの駅伝に出場し、全国の舞台でも安定した結果を残しました。
 「1年生の時に出た全国高等学校駅伝競走大会(都大路)は、今の自分に大きな影響を与えていると感じます。大舞台を1年時に経験できたことで、2年生、3年生と都大路で緊張せず堂々とした走りができたと思います」

――昨年10月の奥球磨駅伝競走大会(奥球磨駅伝)では大学、実業団の選手に勝利しました。
 「あの大会は2年生が新人戦とかぶっていて、3年生だけの大会になっていました。3年生だけのチームは最初で最後になると思ったので、チームに貢献したいという気持ちが強くあって。自分より格上の選手が多かったので、勝ちにいくレースというよりは、次の走者にいい順位でつなぐという思いを持って走り出したのが結果につながったと思います」

――2カ月後の都大路では3区を走り、7人抜きでチームの入賞に貢献しました。
 「個人的には区間入賞で、かつ区間上位に食い込むという目標を立てて都大路に臨んでいたので、区間10位に収まってしまった面では悔しさが強くあります。しかし、7人抜きという点ではチームにしっかり貢献できたので、いい駅伝をすることができました」

――3年時は、佐賀県高校駅伝と都大路ともにエース区間の1区をチームメートに譲りました。
 「都大路に自分たちはフォーカスしていて『県駅伝と奥球磨駅伝と全九州高等学校駅伝競走大会(九州駅伝)での走りを見て、都大路のメンバーを決める』と言われていたので、エース格であった自分と石川蒼大(中大)と今村仁の3人を走らせて、一番いい走りをした人が都大路の1区を走ることになっていました。ですが、自分が九州駅伝前に足を痛めてしまって都大路1区を譲ることになり、後輩に重荷を背負わせてしまって不甲斐ないと感じる部分はありました。ただ今村も2年生ながら区間20番でつないでくれたので、自分の代わりを果たしてくれたという安心感の方が大きかったです」

――全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(都道府県駅伝)では2位集団から抜け出す、岩佐選手の強さが表れたレースでした。
 「都大路で個人としては振るわなかったものの、今回はもらった順位が良かったので、個人的にもいい結果を残したいと思って走り始めました。都大路で負けた松田祐真くん(青学大)などに勝って、チームを2位に押し上げたという点では、自分の強さを最大限に出せたレースだったと思います」

――2月は毎週のようにレースに出場し、好走を続けました。
 「まず、都道府県駅伝で2位という順位で走らせてもらったことが、2月の3レースにつながっていると思います。2月の最初の唐津10マイルロードレース高校10kmの部で優勝することができたので、残りの2レースにも弾みをつけて、安定した走りをすることができました」

――昨年11月にマークした5000メートルのベストタイム(14分5秒)はどのように捉えていますか。
 「日体大記録会では13分台を狙って走り始めたので、納得のいく結果ではなかったですが、自己ベストで走れたので最低限の走りはできたかなと思います。大学では自己ベストを更新して、13分台で安定して走れるような選手になりたいです」

――走りの持ち味を教えてください。
 「ロードで自分のペースを守って押し切ることができることが、自分の強みだと思っています」

――明大への進学を決めたのはいつ頃ですか。
 「高校2年生の冬頃にお誘いを受けて、その時に入学を決めました」

――明大に決めた理由を教えてください。
 「昔から箱根に出ている明治大学で走る方が、自分の将来につながるのではないかと考えて、明治大学を選ばせていただきました」

――最近の明大競走部へのイメージを教えてください。
 「最近は低迷しているなどと言われていますが、綾一輝(理工3=八千代松陰)さんや森下翔太(政経4=世羅)さんなど、力のある選手がたくさんいるので、まだまだ腐っていないと感じています」

――大学としても新しいプロジェクトを立ち上げ、競走部への支援を強める動きが始まっています。
 「皆さんから期待されている中で競技をやらせていただくので、その期待に添えるような走りをしていきたいと思います」

――4月1日からは大志田秀次氏が駅伝監督に就任されます。
 「大志田駅伝監督とは一度会ってお話しをさせていただきましたが、学生としっかり対話されるような監督で、とても話しやすい印象を受けました」

――今意識している選手はいますか。
 「大学に入ってから伸びてくる選手もいると思うので、ライバル視している選手はまだいませんが、同じ高校出身の選手には負けないように頑張っていきたいと思っています」

――目標や憧れの選手はいますか。
 「憧れの選手はいませんが、競技をしている中で、自分より速い選手の生活であったり、言動、距離に対するイメージは参考にして、自分のものにできるように心がけています」

――走ってみたいレースはありますか。
 「箱根です」

――走りたい区間は決まっていますか。
 「エース区間の2区や山登りの5区など、タフなコースを走ってみたいです」

――ルーキーイヤーと、大学4年間の目標をそれぞれ教えてください。
 「1年目は箱根に出場することを目標に頑張っていこうと思っていて、4年間では箱根で区間賞を取れるような選手になっていきたいと思っています」

――ありがとうございました。

[橋場涼斗]