(9)ルーキーインタビュー拡大版/新歓号特別企画

2025.04.03

 4月1日発行の「明大スポーツ」第545号の2、3面にて、今春から明大に入学する選手たちの特集を行いました。輝かしい成績を残してきたルーキーたちの思いに迫り、明大での4年間の意気込みを伺っています。今後のさらなる飛躍に大注目です。

今回は3面に掲載しました、スケート部フィギュア部門 奥野友莉菜(商1=駒場学園)のインタビューです。

(このインタビューは2月24日に行われました)

――現在はもう高校には行かれていないのですか。
 「そうですね。あとはもう卒業式だけという感じです」

――エンジョイしている感じですか。
 「エンジョイです。でも練習しかしていないです」

――高校生活はいかがでしたか。
 「練習で休むなどの融通が結構利く学校で。昼間に貸し切りがあることが結構あるので、まず朝に練習行って、間で学校に行って、また昼頃にリンクに戻って夜も練習するという感じでした」

――大学は朝から授業があるので大変でしょうか。
 「割と勉強が大変だと思うので心配ではあります」

――勉強はどのくらい得意ですか。
 「得意ではないのですが、多分やろうと思ったらできるんじゃないかと思います」

――住吉りをん選手(商4=駒場学園)とは同じ岡島功治コーチに師事されていて、高校時代の先輩でもありますが、明大に進学を決めた影響はありましたか。
 「もちろんゼロと言ったら嘘になるので、りをんちゃんだったり、もう卒業されているのですが、佐藤伊吹ちゃん(令5政経卒)も駒場学園から明大に行っていて。先輩2人は私よりもすごく優秀なので、そういった背中を追っていきたいなとは思っています。あとは、明大には有力な選手がすごくたくさんいらっしゃるので、スケートの技術だったり、部練も結構頻繁にやっているようなので、そういうのに参加させていただくことで、他の選手の技術を目で見て学習したりできるのではないかという理由で明大に行きたいと思いました」

――明大出身では樋口新葉選手(令5商卒)も同じリンクですが、何かお話しされたことはありますか。
 「大学をどうしようか迷っている時に、少し相談に乗っていただいたりしました。勉強との両立が、大学に入ってから1、2年はすごく大変だということは聞いていました。でも、私自身ものちのち楽に過ごせるようにするために、1、2年生のうちにしっかりと学校に行って単位を取ろうかなというのは、先輩方からたくさんのお話を聞いて思いました」

――商学部に進学を決められた理由は何でしょうか。
 「理由は、社会人になった時に、例えばスケートの道に進むとしても、別の道に進むとしても、やはりその筆頭に、自分のやっていることへ興味を持ってもらうために、これはまだ私自身もちゃんと学んでないので口先だけかもしれないのですが、マーケティングというのは大事になってくるのではないかと思っていて。商学部はそういうことをしっかり学ぶことができるマーケティングコースというのがあるのは、ホームページなどで確認して見つけたのが理由です」

――フィギュアスケートはいつ頃から始められましたか。
 「通い始めたのは5歳の頃ですね。初めて滑ったのはきちんと覚えていないのですが、それより前の3、4歳ぐらいだと思います」

――スケートを始めようと思ったきっかけはありますか。
 「5歳の時に母にそれこそ神宮(明治神宮外苑アイススケート場)の体験教室に連れて行ってもらって、そこで滑った時にもうすごく自分自身も楽しかったし、周りで滑っているお姉さんたちがすごくきれいにジャンプを跳んだり、表現などをしているのを見て、自分もあの中に混ざって踊りたいと思ったのがきっかけです」

――それからずっと神宮で練習をされているのですか。
 「そうですね。ずっとやっています」

――高校に入って、駒場学園高と神宮の両方で練習するようになったという感じでしょうか。
 「でも、駒場学園も学校に部があるというだけで、学校がリンクを持っているわけではないので。駒場学園も月に1回部練があるのですが、それは神宮で貸し切りを取っていて。神宮で月1で部の練習があって、それ以外は神宮のクラブで練習をしている感じです」

――明大の練習では神宮以外を使うと思いますが、どう思われますか。
 「聞いた話によると、南船橋(三井不動産アイスパーク船橋)をよく使っているというふうに聞いています。(現在の練習場所からは離れていますね。)若干遠いですが、全然大丈夫です」

――明大のスケート部フィギュア部門にはどのような印象を持たれていますか。
 「もう卒業されてしまうのですが、大島光翔さん(令7政経卒)がいて。インカレ(日本学生氷上競技選手権)を配信で見ていたのですが、やはりすごく団結して盛り上がって試合をやっている感じがするので、大学に入ってからインカレなどに出るのがすごく楽しみです」

――大島選手や菊地竜生選手(政経3=目黒日大)とは『滑走屋』で共演されていましたが、何かお話はされましたか。
 「大島先輩とは去年の『滑走屋』で初めて話しました。それまでも会場ですれ違ったりはしていたのですが、あいさつもできないような、会釈ぐらいしかしないような関係だったのですが、初めて『滑走屋』で話して。これは少し申し訳ないのですが、初めはすごく怖い印象だったんですね。背も大きいし、すごくオーラがあるじゃないですか。だから少し話しかけにくいなという印象はあったのですが、意外と話してみたらすごく気さくに話してくださるし、少しおちゃらけた会話とかもすごく乗ってくれて明るいので、そこで仲良くなれるかなと感じました。菊地くんは2、3年前に神宮に移籍してきたので、その頃から少しあいさつはしていたのですが、菊地くんとも『滑走屋』でちゃんと話すようになったという感じですね。そこからは仲良くさせていただいて、練習中も少し話したりしています」

――『滑走屋』では江川マリア選手(政経4=香椎)とも共演されていますが、何かお話はされましたか。
 「マリアちゃんは結構『滑走屋』の前から割と話すくらいの仲ではあったのですが、やはり『滑走屋』を通して、1週間の間にすごくたくさんコミュニケーションを取らないといけないような期間だったので、そこでさらに仲が深まった感じはしました」

――座長を務めていた高橋大輔さんから学ばれたことはありますか。
 「やはり〝見せる〟力というか、見せ方が本当に上手くて。私も言語化するのが得意ではないのですが、大人数いる中でも、本当に一瞬で目を奪われるくらいの、雰囲気というか、オーラとか、見せるものがなにか漂っているんですよ。あとは、しっかり指の先まで神経が通っている感じがして。もうどう切り撮っても本当にきれいな写真がすごく多くて。やはりそれを近くで1週間しっかり見られたことがすごく自分の中の大きな経験になりましたし、幸せでした。ファンです、ただの」

――推しと共演できるのはスケーターとしての強みですね。
 「本当にうれしい。光栄です」

――『滑走屋』の公式インスタグラムではご自身の強みについて、スケーティングと表現力とお答えされていたと思うのですが、もう少し詳しく教えていただけますか。
 「自分で言うのも結構恥ずかしいのですが、スケーティングに関しては、一歩がすごく伸びると思っていて。あとはできているかは自分ではわからないのですが、流れの途切れないスケーティングを目指しているので、そういった部分が自分の強みかなと思っています。表現はそれこそ前回の『滑走屋』ですごくたくさん学びました。人を誘惑するような表現を前回初めてやったのですが、それを生かして、この間までやっていたショートプログラム(SP)の『ピンクパンサー』はジャッジの人に限らず、観客の人たちを魅惑するという、そういうプログラムになったのではないかと思います」

――振り付けなどはいつもどういうふうに練習されますか。
 「SPとフリースケーティング(FS)があるじゃないですか。二つあるうちのどちらかは必ず宮本賢二先生にお願いするようにしていて。それはどうしてかと言うと、私自身が賢二先生に振り付けを頼むと、すごく滑りやすいというか、一番合っているような気がして。どちらかは必ず賢二先生に頼むのですが、賢二先生に限らず、頼んだ振り付けの先生方の動きをコピーするつもりで、本当にできているかは、欠けている部分もあるかもしれないのですが、手の角度だったり、音の取り方というのを振り付けしていただいたそのままコピーするようにしています」

――宮本さんは何度も振り付けをされていますが、例えば『ピンクパンサー』では練習の時にどのようなことを言われていましたか。
 「この歳になってピンクパンサーの選曲をする人は多分あまりいなくて。割とノービスの選手たちが使う曲なので。だから可愛くなりすぎない『ピンクパンサー』にしたいというのを2人で相談しました。賢二先生から言っていただいたのは、少し大人な『ピンクパンサー』、それこそ大人っぽい色気のある『ピンクパンサー』を踊ってほしいと言われたので、それを意識していました」

――衣装はいつもどなたが作られていますか。
 「ここ4つぐらいは母が作っています。母なので自分の要望は結構言いやすいので『いや、ここはもう少しこうしてほしい』と結構相談しながらやっています」

――年明けのインターハイからFSの曲を変えられた理由というのは何でしょうか。
 「年明け前までは、シニアのカテゴリーで出ていたので4分だったのですが、インハイと国体(国民スポーツ大会冬季大会)はやはりジュニア課題だから3分40秒がマックスになるんですね。だから(今シーズンのFSで使用した)『オペラ座の怪人』を縮めようかとも思ったのですが、縮めるのがすごくもったいなくて。音楽編集も難しいですし、振り付けは佐藤紀子先生なのですが、振り付けを削るというのも、自分的には『あれはもうあのまま残しておきたい』と思って。もったいないと思ったし、あとは去年使っていた『南極大陸』が不完全燃焼のまま終わってしまったというのもあって、もう一度やり直したいなということから『南極大陸』にしました」

――スケーターの方は過去のプログラムを覚えている方がかなり多いですが、やはり忘れないものでしょうか。
 「やはり毎日、1年ぐらい、ずっと朝夜と曲かけして滑っているので、多分体に染みついているのだと思います。もう流れたら体が動くというか。私も勉強に関しては、すぐ頭から抜けるのですが、ダンスなど体を使うことに関してはすごく記憶力が良いので、自分は音楽がかかったら割と踊れますね。多分3年前ぐらいの曲でもまだ踊れると思います」

――振り付けを覚えるのは早い方ですか。
 「早いと思います。得意です」

――初めて出場した大会は覚えていらっしゃいますか。
 「初めて出場したのは小学2年生の時、2014年の(東京)夏季フィギュアが初大会だったのですが、初級のカテゴリーで出たんですね。それが初めての大会で、多分緊張してあまりいい結果ではなかったのですが、覚えているのは、小さい頃のメンタルだったので、その時は試合ってすごく楽しいなと思った記憶があって。やはり大きいリンクで1人しか滑らない時間で、みんなが私に注目しているという、その中で見せるという時間がすごく楽しかったなというのは覚えています」

――これまでで記憶に残っている大会や一番印象的だった大会はありますか。
 「結構最近になってしまうのですが、2022年のジュニアから推薦で出場した全日本選手権(全日本)というのが一番記憶に残っているというか、印象が強い大会ではあります。それにはいくつか理由があって、まず目標としていた全日本ジュニア選手権からの推薦で全日本に出場するということが達成できて、自分のずっと求めてきた目標を初めてしっかり達成することができて、(全日本に)出場できたということです。あとはやはりみんなテレビで見るじゃないですか。小さい頃からずっとテレビで見てきた全日本に自分がその場で滑ることができたという感動があって。あとは結果的には(ジャンプを)3本中2本ミスしてしまったので、SP落ちになってしまって、すごく悔しかったです。一番ショックを感じた大会だったというか、自分の実力ってこんなものなのかと思った大会がその大会でした。うれしい気持ちもあったし、一番悔しかった気持ちもあったし、そういうものがいろいろ合わさって一番印象に残っている大会です。(ネガティブさとポジティブさが両方あったということでしょうか)そうですね。どちらもあります」

――全日本ジュニアからの推薦出場はとてもすごいことですよね。
 「その時はそう思っていたのですが、多分気持ちが舞い上がりすぎていたのかもしれないです」

――今シーズンからはシニアカテゴリーに出場されていました。シニアの大会にはやはり大学生もたくさんいますし、今までとは違うところが多かったと思いますが、いかがでしたか。
 「シニアに上がってから感じるのは、たくさんいろいろな大会に出てきた大学生のお姉さんたちは、気合の入れ方が結構違うんですよ。少しピリッとした空気が(流れていて)。大会に行くたびに自分の中ですごく集中していると感じます。自分は結構、試合の直前まで自然体でいたいタイプというか、あまり自分で集中というのが得意ではないタイプなので、結構その雰囲気というか、少しピリッとした空気に飲まれそうになったりはしてしまいました。やはりシニアに上がって、お姉さんたちのオーラをすごく感じました」

――試合では自然体でいたいとのことですが、何かルーティンなどを決められているのですか。
 「ルーティンというと、試合の5時間前くらいに食事を済ませて、そこから何も食べない。(食べない方がいいのですか)そうですね。やはり重くなってしまうと跳べないので。でもどうなんでしょうね。それってあまりよくないのかなと最近は思っていて。最近はずっとそのルーティンでやっているのですが、あまり結果が出ていないので、少し変えてみようかなと思っています。今までやってきたのは試合の5時間前くらいに、もうもう十分だなと思うくらいまでご飯を食べて、そこから食べずに、出発の2時間前ぐらいから化粧や髪の準備を始めるという感じです」

――5時間前だと朝が早い大会は大変ではありませんか。
 「それが問題なんですよ。でもそういう時は少なめにしています。食べないとやはりエネルギーは出ないので」

――今シーズン全体を振り返ってみていかがでしたか。
 「今シーズン全体を通して、自分でも何をやっているんだというシーズンにはなってしまったのですが、今シーズンは、練習では今までの中で一番調子が良くて。私は練習の中で調子が上がってもすぐ1週間ぐらいでジャンプが少し遭難気味になったり、結構調子の浮き沈みが激しかったりしたのですが、今シーズンは夏に一度調子が上がってから、もうずっと調子が良かったんですよ。だから、割と今シーズンは行けるかもしれないと思って臨んではいたのですが、やはり試合は少し難しいもので。メンタル的な問題だと思うのですが。ただ練習を通して学んだことは、多分今シーズンは結構多かったと思うので、それが来シーズンの下準備というか、試合の悔しい結果も通して、来シーズンの準備になった年なんじゃないかなというふうに捉えています」

――今シーズンは全日本に出場されていました。ジュニアで推薦出場するというよりも、シニアとしてブロックから勝ち上がって出場する全日本というのは感じ方が違いましたか。
 「あまり違わなかったです。やはり何回出ても全日本の舞台は一番みんなが目指している憧れの舞台だと思うので、そこに出場できているという喜びが大きいのと、あとは逆に全日本の方があまり緊張をしないです。2回しか出たことはないのですが、初めて出た時も、今年出た時も、緊張は東日本選手権などの方がよっぽどしていたんです。だから気持ちの持ち方が変わったなどはあまりないです」

――滑っていて一番楽しい時や、今までの人生の中で一番スケートをしていてよかったなと思った時はありますか。
 「今までの人生で一番スケートをやっていて良かったなと思ったのは、やはり去年の『滑走屋』に出演した後です。全ての公演が終わった後に、今まで諦めていなくて良かったと思いました」

――『滑走屋』からオファーが来た時の心境はいかがでしたか。
 「一昨年のシーズンなのですが、その時ももう踏んだり蹴ったりの結果だったんですよ。もうとんでもない結果を残してしまって、結構落ち込んでいたんですね。今まで練習してきたことはなんだったのだろうなと。結構テンションが下がったまま、その後練習をしたりしていたのですが、やはりオファーをいただいた時に、そんな私でも見つけてくれる人がいるんだと。しかも大輔さんから見つけていただいたことがとにかくうれしくて、そこからもうテンションやモチベーションがすごく上がりました。自分の存在意義をすごく感じさせてくれました。その時(スケートを)やっていて良かったと思いました」

――やはり今年の出演もモチベーションになりましたか。
 「なりました。今シーズンもあまり試合の結果は良くなかったのですが、出演が決定した時から、もうそれのために頑張ろうと思いました。今シーズンもそれのために頑張ろうというモチベーションでした」

――『滑走屋』は従来のアイスショーとは少し異なったコンセプトですが、お客様の前で滑ることで得られたものや思ったことはありますか。
 「やはりジャンプではなくて、スケートの技術で見せるというのがコンセプトのショーなので、一旦私の苦手なジャンプのことを忘れて、本来の私の好きなスケーティングスケートで滑ることだったり、氷の上で表現したりということをして、改めてスケートって楽しいなと思いました。スケートってこういうものだよねというのを改めて感じられたというのはありました。(原点を思い出したということでしょうか。)そうです。それです。原点みたいな、そんな感じです」

――スケート以外の趣味は何かありますか。
 「一応プログラムに掲載しているのは料理です。最近はあまりできていないのですが、でも本当に私の趣味はこれですというものはなくて、その中で一番何をやるかといえば、料理とお菓子作りをたまにしますね」

――お菓子作りでは何を作られますか?
 「シフォンケーキを作るのがすごく好きで(難しくはないですか。)難しくないんですよ。ずっと混ぜてればいいだけなので。結構好きですね、シフォンケーキは」

――料理ではどういったものを作られますか。
 「最近ハマっていたのはクロックムッシュです。本当になんちゃってクロックムッシュみたいな感じで、結構楽なんですよ。クロックムッシュというよりお食事系フレンチトーストみたいな、そういう感じのものを作っています」

――料理を作るようになったのは誰かの影響でしょうか。
 「コロナの時期にやはりリンクも閉まってしまって、学校もなくて暇だなとなった時に、割とその前から結構お菓子作りをしていたのですが、その時に結構たくさんやるようになりました。シフォンケーキに関しては母が得意というか、小さい頃からずっと作ってもらっていて、誕生日などに作ってもらっていたのがシフォンケーキだったので、それを自分でも作るようになりました」

――コロナの時期はどのように過ごされていましたか。
 「家で携帯を触って、少しのんびり過ごして、ただやはりずっと怠けていたら、体がなまってくるじゃないですか。だから友達と、友達の家と私の家の中間地点の公園までランニングして、そこで会って一緒にトレーニングして、もう一回ランニングして帰るというのをやっていました。あとは、夜にお父さんと一緒に10キロランニングなどをやっていました」

――料理以外で好きなことはありますか。
 「ゲームが好きです。完全にインドア派なので。私は休日に友達と遊びに行くのも好きなのですが、割と予定がない日は本当にずっと家にいるんですよ」

――ゲームはどういったものをされていましたか。
 「スイッチ(Nintendo Switch)をやっていました。携帯ゲームはあまりやらなくて、携帯では動画見ることが多くて、選手の演技も見ますし、それ以外も見ます」

――スイッチはブームでしたよね。
 「でもブームの時持ってなくて、結局少しブームが過ぎてから買ったんです。マリオカートとか、あとはボンバーマンって知ってますか。うちは兄がいるんですけど、兄と父とやっていました」

――お兄さんとは仲が良いですか。
「昔は割と仲が悪かったのですが、最近は2人とも大人になって、精神的にも大人になってきたので、あまりくだらないことでけんかはしなくなりました」

――ありがとうございました。

[大島菜央]

◆奥野 友莉菜(おくの・ゆりな)東京都出身、駒場学園高。160センチ