(1)スケート部主将対談 大島光翔×大竹広記 第1弾

2025.03.29

 今年度、日本学生氷上競技選手権(インカレ)で男子団体総合優勝を収めたスケート部。フィギュア部門を率いた大島光翔主将(政経4=立教新座)とアイスホッケー部門を率いた大竹広記主将(営4=白樺学園)は幼なじみ。第1弾では、なれそめから同じ拠点で練習に励んでいた小学生時代について掲載します!

――出会いの時期と仲良くなったきっかけを教えてください。
大島「小学校が一緒で。初めて会ったのは小学2年時にクラスが一緒になって、そこで、大体小学校は出席番号順に座ると思うんですけど、大島と大竹ということで近くて。そこから話しているうちに『どうやら(大竹は)アイスホッケーをやっているらしい。(大島は)フィギュアをやっているらしい』ということを知って。僕が(当時)高田馬場のシチズンプラザでやっていた時で、彼も高田馬場のアトムズというチームでホッケーをやっていたので、学校とスケートリンク両方で会うようになって、そこからたくさん話すようになって仲良くなりました」

――競技ではなく小学校が出会ったきっかけですか。
大島「そうですね。今のは記憶があるうちの話で(笑)。記憶のないところでいうと、同じ病院で生まれて、しかも誕生日も1日違いで。なんかよく分からない運命の下に(笑)」

――誕生日は1日違いということで、それにまつわる思い出はありますか。
大竹「あんまり覚えてないんですけど、一緒に祝っていたと思います。自分が一番記憶に残っているのは、一緒に免許合宿に行った際に、合宿の最中に2人とも誕生日があって。新潟での合宿だったので、周りにそんなに祝える場所もなくて。(合宿の)スケジュールも少し忙しかったので2人でスーパーに行って、小さいケーキを買って、スーパーにある小さなイートインスペースで、ろうそくに火つけて祝ったことを一番覚えています」

大島「一緒だったのは小学校だけで。高校は一緒じゃないし、中学も名前は一緒なんですけど、(大竹が)立教池袋と(大島が)立教新座だったので、別の学校で。でも、その間も家族ぐるみで仲良くて、妹が行っている学校が一緒だったり、妹同士も1個差で、すごく仲良くて。旅行もお互いの家族と一緒に行ったりしてたので、誕生日も毎年何かしらご飯行くなり、何かしら毎年お祝いみたいなことはしていました」

(写真:20歳の誕生日に<本人提供>)

――小さい頃の思い出を教えてください。
大島「それで言うと、小学校の時とかは2年生で出会ってからほぼ毎日のように登下校も、最寄り駅で待ち合わせして、一緒に行ったり、帰りも一緒に帰れるときは帰ったり、休み時間もクラスが違っても毎回遊んでいたり、本当に一緒にいる時間が気持ち悪いぐらい長いんですよね。(笑)」

大竹「光翔も言った通り、本当にずっと一緒にいたので、結構けんかすることも多かったです。下校の時、面白かったことがあって(笑)。下校中に、本当に半殴り合いぐらいしたことがあって。(けんかの原因は)紙切れ1枚をどっちが持って帰るかみたいなもので、マジの大げんかして。その時は2人別で帰ったんですけど、次の日何も言わずにいつもの待ち合わせをして。『おう』みたいな感じで(笑)。多分普通の人だったら1カ月口を利かないぐらいの喧嘩したんですけど、何も言わずに次の日普通に一緒に行くっていう(笑)なんかよく分からないんですけど、それはすごく覚えています」

(写真:小学生時代の二人(左が大竹、右が大島)<本人提供>)

――互いの競技に憧れたことありますか。
大竹「フィギュアって跳ぶじゃないですか。一緒に高田馬場のシチズンパークのリンクで滑っている時は、一般(滑走)の時間も一緒に滑っていたりしていたんですけど、光翔はフィギュアのゾーンでくるくる跳んでいて。自分はそれができないので、何回か挑戦したことはあるんですけど、全然できないので。くるっと回るやつはすごいなと思っています」

大島「僕は小さい頃、あまり憧れはなくて。痛そうだなと思ってていて。でも高校、大学となっていくうちに、彼のホッケーの試合もよく見るようになって、フィギュアスケートはどちらかというときれいで、華麗なスポーツっという感じで。でもアイスホッケーはまた違って、本当に男らしい、熱いスポーツなので、そういった意味ではそこに対してはすごく憧れがありました。あと、フィギュアは個人競技で氷に乗っている時も、試合の時もいつも1人なので、ホッケーみたいなチームスポーツを見ていると、団結力というか、そういうところに憧れますね」

――普段氷上に居るアイスホッケーの選手でもスピンは難しいですか。
大竹「いや、マジでできないです(笑)」

大島「(スケート靴の)ブレードの作りも違うので、やっぱフィギュアの方はギザギザがあるからこう踏み切ったりできるんですけど、(ホッケーは)つるっとしていて、何もないので」

大竹「氷の上でクルクルは回れるんですけど、ジャンプして跳ぶとかは、半回転ぐらいができるかできないかみたいな感じなので、もう全くできないですね。全然違います。同じスケート靴なんですけど、スピードスケートもアイスホッケーもフィギュアも全然違うので、それがやっぱりできない一つの理由かなと思います」

――お互いリンクが同じだったこともあったそうですが、そこでの思い出はありますか。
大竹「100円ポテト(笑)」

大島「今考えたら珍しいかは分からないんですけど、リンクの一般滑走でも一緒に滑ることがあったので。ホッケーの人はあまり一般滑走で練習するイメージがなかったんですけど、なんかずっといたので、一緒に一般滑走のタイミングでリンクのホットスナックとか食べたり。休みの日でもリンクいるときは一緒にいたりしたので。あと、なんかしていたかな……?」

大竹「2人でずっと遊んでいて。鬼ごっことかしていましたし」

大島「あと、なんか、自販機の下の100円とか探してた(笑)」

大竹「だよね、意外と真面目にスケートしてるのかと思いきや、半分ぐらい遊んでた(笑)リンクにボーリング場とかもついていて、そっちの方まで鬼ごっことかして、リンク関係なく遊んでいました」

――大島選手はその後埼玉(埼玉アイスアリーナ)に移られたと思います。
大島「僕が小学校から中学校に進学するタイミングで拠点も変わったので、お互い学校も変わって。学校とかリンクで会うことはなくなりましたけど、それ以外の部分で普通に遊びに行ったりしていましたね。あまり変わらずという感じです」

[髙橋未羽、中川美怜]

第2弾に続きます!