
(153)箱根駅伝事後インタビュー/溝上稜斗
関東学生連合チーム(学生連合)として箱根駅伝(箱根)4区に出走した溝上稜斗(商4=九州学院)。公式記録は残らないものの、紫紺の思いを背負って駆け抜けた姿は多くの人々の心に深く刻まれた。今回は、最初で最後の箱根を走った溝上のコメントをお届けする。
4区 溝上稜斗 区間順位16位相当 1時間3分54秒(参考記録)
――箱根を走った率直な感想をお願いします。
「スタートの時に時計を押し忘れたので、タイムが分かっていない中で走りました。2人を抜いて法大に追い付いたので、 結構いい結果が出ているかなと思っていました。でも、終わってから区間タイムを見たら目標から1分ぐらい遅かったので、ちょっと悔しかったです。走っている時はタイムも知らなかったので、ひたすら前を追う駅伝ができて、めちゃくちゃ楽しかったです」
――箱根の雰囲気はいかがでしたか。
「今まで何回か駅伝を走ったことはあるのですが、どの駅伝とも比べものにならないぐらい沿道からの声援が大きかったです。明大を応援されている方も多くて、名前で呼んでくださったり、ミゾスペって言ってくださる人もいてうれしかったです」
――当日変更で4区出走になりましたが、レース前の心境を教えてください。
「富津合宿の時点で4区に出走することが決まっていたので、心の準備はできていました。当日は少し緊張したのですが、それよりも楽しみやわくわくする気持ちの方が大きかったです」
――レースプランはどのように考えていましたか。
「同じ大学で襷をつなぐわけではないので、どういうレース展開で、前の3選手がどの位置で来るかは正直読みづらいところはありました。前の選手が集団で来たとしても、単独で来たとしても対応できるようにイメージしていました。タイムも自分の中でイメージしていたのですが、時計を押し忘れて、その想定が全部水の泡になりました(笑)。でも、何も気にせずにとにかく前を追えたことは良かったです」
――箱根に向けてどのような練習をされてきましたか。
「基本的にポイント練習はみんなと別メニューで、単独走でやってきました。その練習のおかげで、一人で押していくことは自信がありました。12月が終わって1、2週間ぐらい、ためを作る時期を設けました。ジョグの量を増やしたり距離走を行うことで、距離に対してのアプローチもしていたので、自信を持って挑むことができました」
――チームから応援はありましたか。
「マエケン(前田健心・理工4=樹徳)とか新谷(紘ノ介駅伝主将・政経4=世羅)はすごく気にかけてくれていて、大会前日に寮で会った時に『頑張れ』って言ってくれたし、当日の朝もSNSでメッセージをくれたのでうれしかったです」
――襷を受け取った時の心境はいかがでしたか。
「(襷を受け取って)前を見た瞬間に、ぱーって視界が広がって、めっちゃ鳥肌が立ちました。ただ、豪さん(山本駅伝監督)から『溝上は上がりやすいから、一息ついて落ち着いて走り出すぐらいでいいから』と言われていました。それを自分に言い聞かせて、落ち着いて入ることだけを意識して走りました。それでもすごいテンションが上がりました」
――10キロ地点は村越主将(優汰・文4=横浜)、15キロ地点は前田選手から給水がありました。
「2人には前もって『今の区間順位と前との秒差を教えてほしい』と伝えていました。そしたら村越は、めっちゃにやにやしながら『あそこに大陽(飯島・商4=佐久長聖)がいるよ』っていうことだけを教えてきて、区間順位と前の選手との秒差が何も分かりませんでした。村越に言われた所を見たら、そこに大陽がにこにこして立っているっていう(笑)。それはそれですごい元気が出ました。マエケンはちょっと泣きそうになりながら順位とか教えてくれて、マエケンがいたところが一番きつかったところだったので、そこでも元気をもらいました」
――九州学院高の後輩である佐藤我駆人選手(駿河台大)との4区から5区への襷渡しでした。
「法大の5区が強いことは前もって分かっていたので、佐藤に少しでも楽をさせてあげられるように法大に追い付いて渡したいと思っていました。最後少し離されかけましたが、そこは先輩として最低でも(法大と)同じ位置で渡せるように頑張りました」
――走り終えた瞬間はいかがでしたか。
「ラスト1キロはめちゃくちゃきつくて足も止まっていました。ですが、最後は今までやってきたことやいろいろな人の顔が浮かんで背中を押してくれたし、足を動かしてくれたので、本当にやり切ったという気持ちで襷を渡すことができました」
――学生連合として走った箱根はいかがでしたか。
「学生連合のメンバーで、他大学の強い選手たちと戦うことにすごいわくわくしました。正直もっと上のシード権争いぐらいで戦いたかったという思いはみんなあったと思うのですが、普段なら絶対襷をつなぐことのない選手と前後で『今日はよろしくお願いします』とか『ありがとうございました』といったやり取りもあって、やっぱり駅伝っていいなと思いました。学生連合だからこそ得ることができた、いい経験になりました」
――今回の走りを通して、後輩にどのような思いを伝えたいですか。
「後輩の中に自分より強い人はたくさんいると思っているので、今回の走りを見て、来年度は自分たちが戦うんだという気持ちを持ってくれたらうれしいです。今はまだ力がない人も自分が下級生の頃の姿を知っていると思うので、少しでも刺激になってもらえればいいですし、これからのチームにとって少しでもプラスになればいいなと思います」
――事前取材の際には明大の代表として走りたいとおっしゃっていました。
「やはり明大の代表としてすごく重圧がありました。当日4区を走るとなった時に、いろいろな人から応援をいただいてプレッシャーもありましたが、すごい光栄なことだし、ありがたいことだなと思っていました。明大の代表として最後に重圧を背負って走れたことはすごく誇らしいし、うれしかったです」
――箱根が競技人生最後のレースとなりましたが、いかがでしたか。
「陸上を本格的に始めるきっかけも箱根でしたし、中学で陸上を始めた時に指導してくださっていた宮﨑容一さんと箱根を走るという約束をずっとしていました。それをラストチャンスでつかむことができて、走っている姿を宮﨑さんに見せることができたことは自分の陸上人生のすごくいい終わり方だったと思います」
――陸上競技で学んだことを今後の人生でどのように生かしたいですか。
「九州学院高の禿雄進先生の教えで『調子がいい時ほど謙虚に、悪い時ほど七転び八起きの不屈の精神で』とずっと言われていて、それが自分の中で大事な言葉として残っています。その気持ちや心構えは社会人になってからも絶対大切だと思うので、大事にしていきたいです」
――最後に明大ファンの方にメッセージをお願いします。
「自分なりに地道に頑張ってきて、最後にこのような形でたくさんの方の声援を受けて箱根を走れたことはものすごくうれしかったです。今後の人生の中で絶対忘れられない思い出であり、宝物になります。今回の箱根だけでなく4年間声援を送ってくださったことに感謝したいです」
――ありがとうございました。
[原田青空]
関連記事
RELATED ENTRIES