(146)【第543号特別企画】溝上稜斗選手の恩師・宮﨑容一さんインタビュー 後編

2024.12.15

 今回、関東学生連合チーム(関東学連)に選出された溝上稜斗(商4=九州学院)。今回は、水俣で本屋をしている傍ら地元の小学生、中学生、高校生に陸上を指導しており、溝上選手の中学校時代の恩師にあたる宮﨑容一様にお話を伺った。

——溝上選手の性格面はいかがですか。
 「本当に真面目でした。指導するときに、なかなか監督というかコーチの話をそのままうのみにすることは非常に難しいのですが、稜斗と私の信頼関係があって(彼に)監督が言うことは絶対に間違ってないんだという思いがあったので、非常に私もやりやすかったです。しかしその反面、メニューに関してはすごく神経を使いました。本当に稜斗に合ったメニューなのか、 少しタイム的に遅くないかとか、あるいは疲れが残ったらいかんなとか、そういったことも考えていました。練習の前日にメニューを彼に渡すのですが、それは一晩かけてずっと考えていました。(溝上選手が)それだけ非常に素直な人間だったということです。もう一つ、彼は九州学院に行きましたが、そこで故障が多く、故障した時にはどういったことをやればいいかと聞かれたので『チームのために一生懸命尽くせ』と電話やメールで伝えました。その姿を九州学院の監督がちゃんと見ていて、キャプテンというポジションに彼を据えるほど、信頼できる素直な人だったと私は思っております」

——溝上選手との連絡の頻度はどのくらいでしょうか。
 「仕事上、ときどき東京にも出かける用があったので、ちょっと早めに行って(一緒に)ご飯を食べに行ったりしました。もちろん、電話とかメールでの連絡の取り合いもしていましたけれど、やはり会って話すことが1番。『昔のことを思い浮かべることができて、元気が出ました』と言って、また寮に帰ってくれたので、東京まで来たかいがあったなと思っています。定期的な電話やメールの決め事はなくて、必要に応じた中で『今は絶対私の声を聞かせないかんな』と思うときは激励しますし、今は少し遠めから見ておこうというようなときもありました」

——溝上選手の強みはなんだと思われますか。
 「メンタルが強いところです」

——その中で溝上選手が明大に進まれるとお聞きした時はいかがでしたか。
 「当時は、明大の実力に対してあまり知識がなくて『明大か?勉強するのか?』と聞いたら『勉強もしますが陸上もします』と言っていました。稜斗の場合はこの学部(商学部)にいきたいということを含めた中での大学の選択だったそうです。彼はそういったところもしっかり受け止めながら大学を選んだのだと知り、改めて彼の賢さを感じました」

——大学での溝上選手をどう捉えていますか。
 「あまり大学の時には、私は頑張れという言葉をあまり掛けたくないような気持ちでした。大学生活の半分は故障や新型コロナウイルス感染症などがあったので、頑張れと言うことで逆に彼を萎縮させてしまうのではないかと。どちらかと言えば、稜斗からの吉報待ちでした」

——明大が12位で箱根出場を逃した中で、学生連合として溝上選手が選ばれたその瞬間の心境はいかがでしたか。
 「本当に舞い上がるような思いでした。明大が(本選出場枠に)入らなかったとき、4年間お疲れだったなという慰めの言葉をずっと考えながら帰りましたが、稜斗本人から『僕、学連で選ばれるかもしれないです』という電話があって、良かったねと思いました。本当にうれしかったです。今でもまだうれし涙が出てきます」

——溝上選手へエールをお願いします。
 「今まで陸上競技をやってきて、中学校も全国、九州学院も全国で、大学も箱根のために頑張っていると思うので、とにかく自分がやってきたことに対して悔いのない走りをできるように頑張れという思いでいます。今年度は私の息子、娘たち家族も含めて10人で行く予定です。とにかく家族、みんなの声援を稜斗にぶつけたいと思います」

[原田青空]