
(145)【第543号特別企画】溝上稜斗選手の恩師・宮﨑容一さんインタビュー 前編
今回、関東学生連合チーム(関東学連)に選出された溝上稜斗(商4=九州学院)。今回は、水俣で本屋をしている傍ら地元の小学生、中学生、高校生に陸上を指導しており、溝上選手の中学校時代の恩師にあたる宮﨑容一様にお話を伺った。
——溝上選手との出会いを教えてください。
「稜斗が水俣の中学校にいる時にちょっと目に付いたもので、一度グラウンドまで来てみんなと一緒に走らないかと声を掛けたら、すぐ来てくれて。今まで一緒に走っていた他のグループとは桁違いの素質を感じて、この子はすごいなと思いました。(溝上選手は)小学校時代ずっと野球をやっていたのですが、野球を世話した先生いわく、とにかく時間があれば走れという指導だったようです。それもあって走りができ上がっている選手だなと初対面の時に感じました。熊本県では、郡市対抗熊日駅伝(熊日駅伝)という地元の駅伝があるのですが『中学生の区間があるので、走ってみないか。ただし、水俣の予選が1月にあるから、それに出てとにかく勝て』と言っていました。無名であいつ誰だというような感じで予選会に出たのですが、たまたまその時に優勝して、熊日駅伝の水俣の選手として出場しました」
——溝上選手のお話の中で、その大会で区間新記録を出したということも伺いました。
「その本番の熊日駅伝で、中学生の区間を走って、区間新記録で走りました。熊本県が大騒ぎするような出来事でした。全く無名の選手がぽっと出てきて、現青学大の鶴川選手もやっつけて。そこから〝溝上稜斗〟という固有名詞が何者だと注目されるようになりました。それが出会ってから3、4カ月くらいでしたかね。そこから本格的に彼とのお付き合いが始まりました」
——宮﨑さんはどのような教え方をされていたのですか。
「決して無理はしないで、少し余力を残した中で練習はやっていこうと。練習で100%走り込んだら疲れがたまって、本番ではなかなか力が出せないぞということを昔から自分の信条に思っていたので、稜斗にもそう伝えながら指導をしてきました。高校に行ったらまた今度はそれなりに体、筋力と成長していきます。九州学院に有名な監督がいますので、ちゃんとそこに合った練習を新しく学んで頑張れということで、中学校を飛び立っていきました」
——箱根駅伝予選会(予選会)はいかがでしたか。
「私も現地に行きました。とにかく人がいっぱいいて、恐らく顔も見ることができないとわかっていましたが、どこかで声が届けばいいかなと思って『溝上』とか『稜斗』とか『水俣の溝上』とか、表現を変えながら、ずっと声をからしながら、応援の力で絶対に後押しできると思い、とにかく『稜斗、頑張れ』というような声を掛けさせてもらいました。自分自身、東京に来て良かったと、応援ができて良かったなと思いました。あとこれは笑い話ですが、写真を撮ったら、稜斗が写っているぞと思って、稜斗に送ったんですよ。『写真を撮れたぞ』って。後で返事が来て『僕じゃありません。僕はまだ前の方走っていました』と言っていました。私のおっちょこちょいの話ではありますが、印象に残っているエピソードです」
[原田青空]
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