
(143)【第543号特別企画】九州学院高・禿雄進監督インタビュー 前編
今回、関東学生連合チーム(関東学連)に選出された溝上稜斗(商4=九州学院)。今回は高校時代の恩師であり、今年度で九州学院の監督を務めて37年になる禿雄進さんにお話を伺った。
——溝上選手の第一印象を教えてください。
「最初に喋ったのは中学校に選手の勧誘に行ったときなのですが、ハキハキ物も言うし、とても真面目そうだなという印象でした」
——走りの特徴はどのように捉えていましたか。
「非常にフォームがきれいで、完成した走りをする感じの選手でした」
——2年時の全国高校駅伝(都大路)でアンカーに選んだ理由を教えてください。
「アンカーは順位が決定する区間ですからもちろん信頼のある選手でないとなかなか使えないのですが、日頃の様子とかを見ていて、溝上だったらブレーキしないだろう、抜くことはあっても抜かれることはないだろうと。そういう思いでアンカーに使いました」
——都大路での走りはいかがでしたか。
「区間賞は取れていませんが、自分の役目を十分に果たしたのではないかなと思います」
——高校3年時に主将に選んだ理由を教えてください。
「うちの場合は生徒同士に主将を決めさせるのですが、見ていて当然溝上が主将になるだろうと思っていました。その中で(溝上自身が)僕が主将に選ばれましたと言いにきたので『うん、分かった』と二つ返事で許可しました」
——どのような面が主将に向いていると思いましたか。
「頭がいいからテキパキ物事の判断できるし、周りに対しての包容力もありました。試験前に溝上が他の者に勉強を教えることもあったので、リーダーシップが取れる生徒だろうと思っていました」
——高校3年時に3度の疲労骨折で都大路へのエントリーが見送られましたが、その判断をする際の心境やエピソードを教えてください。
「情の部分としては、入ってもらいたかったです。3年生でキャプテンでもあるし、前年度の経験者でもあるから、選手として使いたいという気持ちはあったけれど、故障の状況を考えると、外さざるを得ないなと思いました。非常に苦渋の決断でした」
——都大路を走れなかった溝上選手でしたが、主将としてチームへの貢献はいかがでしたか。
「うちは選ばれた者と外された者の両方に、責任と役目があるといつも言っていました。溝上は外されたことで、非常にショックだったと思うけれど、おくびにも出さずに、最後までキャプテンとしてリーダーシップをずっと執ってくれました」
——溝上選手の代は青学大の鶴川(正也)選手、慶大の田島(公太郎)選手などもいらっしゃいましたが、当時のチームの特徴を教えてください。
「非常にポテンシャルの高い学年で、鶴川を筆頭に力のある選手が多かったです。それと同時に、人間性が非常に高い選手が多かったと思います。真面目だし、やる気もあるし、向上心が高い学年でした」
——溝上選手は競技面と性格面、それぞれどのような特徴を持った選手だと思われますか。
「競技の面ではスピードランナーだったと思います。人間的にはとても温厚で周りの生徒からも下級生からも慕われるような先輩でした」
——溝上選手が明大に進学するという決断に対してはいかがでしたか。
「(明大には)何人かいっているのですが、溝上の場合は当時の山本(佑樹)監督が学校に来てくれて、話をしました。監督と話して、明大に行きたいですということだったので、最終的には本人が監督の人柄などに魅力を感じて決めたのだろうと思います」
——禿監督が陸上競技部の生徒と関わる上で大切にしている部分はなんですか。
「毎日コツコツやりながらスランプや故障など、自分との戦いを乗り越えて強くなっていく競技なので、陸上競技を離れてからも、人生を歩んでいく上で非常に大事なことを学べると思います。その中で、高校時代は都大路という目標、大学にいったら箱根という目標。具体的な目標に向けて努力していくということが、人間形成になるのではないかと思います。高校3年間都大路に向けて本気で一生懸命やるということは、将来社会人になって幸せな人生を送っていくために必要なことを学ぶことができるのではないかという話はしています」
——溝上選手は明大競走部の中で、一番練習をしている選手に名前が挙がることが多いです。教えが生きている部分があると思いますか。
「そう言ってもらえるとうれしいな。今年度ぜひ箱根を走ってもらいたいと思います」
[原田青空]
後編はこちらから!
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