(139)【第543号特別企画】中国電力・中島大就選手インタビュー 前編

2024.12.15

 明大が箱根駅伝(箱根)出場を逃した第94回大会。チームとしての出走はかなわなかったものの、当時2年生だった中島大就(令2商卒・現中国電力)が関東学生連合チーム(学生連合)として4区に出走した。学生連合を経験した中島だからこそ語ることのできる思いや競走部に向けてのメッセージを伺った。(この取材は12月10日にオンラインで行われたものです)

――大学での競技生活を振り返っていかがですか。
 「苦しかった時期もありましたが、全日本大学駅伝(全日本)と箱根を経験して、関東学生陸上競技対校選手権(関東インカレ)・箱根駅伝予選会(箱根予選)も何度か走ったので、大学駅伝に関してはいい経験をさせてもらったと思っています」

――チーム内トップでゴールした2年時の箱根予選は振り返っていかがですか。 
 「予選突破を目指してはいましたがチーム状況が良くなくて、エースの坂口さん(裕之・令1政経卒=現住友電工)が欠場したり同期の三輪(軌道・令2理工卒)がレース中に転倒したりとアクシデントも多々ありました。そのなかで僕がトップだったのはチームとしては良くなかったのですが、関東学生連合チーム(学生連合)として走るチャンスをもらえたということで、出られない人たちの分まで頑張ろうと思うような予選会でした」

――予選会の難しさはどこにあると思いますか。
 「約21キロを10人以上が好走するのは至難の技だと思うので、チームの雰囲気や指導者のプロデュース力などが全てかみ合わないと突破できないと思います。また、確実に突破しないといけないプレッシャーもあるので、自分の100パーセントを出しきるメンタリティーではなくて、離れない、遅れないようにという気持ちで走らなければいけないのがきついと思います」

――2年時の予選会は明大として10年ぶりに箱根出場を逃した大会でもありました。
 「チームメートは沈んでいましたが、ないものは仕方ないので。僕らの中でもがっかりしている気持ちはありましたが、それよりも応援してくれている方がすごくがっかりしているという声が届いてきたのが辛かったです」

――学生連合に選ばれた際の心境を教えてください。
 「箱根の走路員を予選敗退したチームのメンバーがするんですよ。箱根を走ることを目標に入ってきた人たちばかりなので、当日に黄色いジャンパーを着たいわけがないはずです。そのなかで僕がたまたまチャンスをもらったので、少しでも箱根で明大をアピールできるようにという思いと、みんなに対して感謝の気持ちを持って走りました」

――周りのチームメイトから何か声をかけられたりしましたか。
 「先輩も、同期でエースだった阿部ちゃん(弘輝・令2政経卒=現住友電工)もみんな走路員になってしまいましたが、『せっかく出られるんだから気持ちよく走ってこいよ』と言ってくれました。阿部は僕よりも調子が良かったのですが、予選会だけ良くなくて。その後の箱根に向けた練習でも、練習パートナーみたいな感じで僕の練習を率先して前で引っ張ってくれたり、声掛けももらって色々助けてもらいました」

――学生連合の雰囲気はいかがでしたか。
 「雰囲気は良かったと思います。僕は明大として出られなかった残念な気持ちが強かったですが、予選突破が厳しいチームも多かったです。走力はもちろん、10人そろっていないチームもありました。なかでも東大の近藤修一さんはリーダーシップを発揮してくれて『オープン参加なので結果は残らないけど、せっかく出られるしみんなで頑張っていこう』と盛り上げてくれました」

――どのようなモチベーションで臨みましたか。
 「僕は初めての箱根だったので、来年度チームとして臨むに向けて箱根の雰囲気を知るという目的で出ました」

――希望区間はありましたか。
 「1~4区が良くて、希望していた前半区間が他の選手と被ってしまって4区になりました。3、4年時になればチームのポジション的に前半区間を走れそうだったし、走りたいと思っていたので、勉強のためにその区間を選びました」

――4区の印象や攻略へのポイントはありますか。
 「アップダウンが多いのでリズムに乗りづらくて、どこかで出し切りすぎると途中で止まってしまう区間で難しいと思います。1~4区なら4区が一番難しい区間だと思うので、コースの特徴を全てマイナスに受けたら悪い結果になるし、全部プラスに変えられたらいい結果になると思います」

――チームメイトからの寄せ書きが書かれた襷を腰に巻いて走ったと伺いました。
 「学生連合に選ばれた時に、マネジャーが明大の襷を作ってくれて、他の選手たちが僕に向けて色々書いてくださって。当日は学生連合の襷を着けて走りますが、せっかく明大のユニフォームで走るので、作ってもらった明大の襷もどこかにつけようと思って腰に巻いて走りました」

――ご自身の走りは振り返っていかがですか。
 「1人で箱根に向けて練習をしていたのがしんどい部分もあって。結果は良くなかったですが、襷が渡る時点で学生連合が遅れていて、前も見えない単独走になってしまったので、仕方ないかなとは思います。ただ、箱根という大舞台で色々なチームと競ってみたかったので、不完全燃焼のところがありました」

――走っている最中にチームメイトから声掛けなどはありましたか。
 「走っている途中に、僕が1年生の時に部屋で面倒を見てくれた先輩から声掛けをいただいて、当時のキャプテン(末次慶太・平30理工卒)に給水をお願いしました」

――給水は自分からお願いするんですね。
 「そうです。末次さんにお願いしました。もちろん給水時にも声を掛けてもらったし、終わってからもみんなから『お疲れさま、来年はみんなで出よう』と労いの言葉をかけてもらいました。同期の阿部も陸上にストイックな人だったのでメンタル的にきつかったとは思うのですが、『いい練習を冬に積めていたので春に頑張ろうな』と声を掛けてくれました」

――学生連合として箱根を走ってチームに還元できたことはありますか。
 「3年の春に1万メートルで自己ベストを大幅更新しました。箱根を走った僕が春にしっかり走ったことがチームにとっては刺激になったと思いますし、特に同期の阿部は春にまたタイムを抜き返してきてその年に27分台を出しました。阿部自身も『大就に抜かれて悔しかった』って言ってくれたので、意識してもらえたと思います」

――学生連合の一員として走って得たものや、新しい気づきはありましたか。
 「各大学のチーム状況やモチベーションについて話した時に、箱根は人によってはとても大事だし、人によっては足かせになっていたりもしました。そういった面では、学生連合で出たのは視野が広がる経験であったと思います」

[松原輝]

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対談インタビューの記事は12月19日発行の明大スポーツ第543号にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!